婆沙羅 | ナノ



夢を見た

とても寂しくて、嫌な夢を―――






「さて、今日も遅くなっちゃったね。もう空が夕暮れになってるよ。時が経つのは本当に早いよね」

「うー…まだ姉上と一緒にいたい」

「梵天丸様、そろそろ城に戻らないと輝宗様が心配なされますぞ」





今日も一日が終わった

勉強を終え稽古も終えた午後も梵天丸と小十郎は聖蝶の元を訪れ、正午から夕方まで楽しく遊び共に過ごした。見上げた空はオレンジ色になりつつある。遊びに来ていた野生の動物達も既に自分の住家へと種を返していく

遊び足りない、もしくはまだ居たいのか見送りされても聖蝶から離れようとはしない梵天丸。ひっつき虫の様に着物をギュッと掴み、嫌々と駄々をこねる。あらあらと聖蝶は苦笑するも、小十郎と目を合わせた途端、表情を小さく歪めた。小十郎も梵天丸に悟られない様に普通でいるが、やはり小十郎も聖蝶と顔合わせた途端、顔を歪ませた。二人共、困った様な参った様な、でも辛い表情を浮かべながら





「さ、そろそろGo homeの時間だよ梵天丸。景綱を困らせちゃいけないし夕餉に間に合わなくなるよ?」

「なー、姉上」

「んー?」

「明日も姉上、ここにいるよな?」

「―――――…」





身長差のある細くて柔らかい身体を抱き締めながら、梵天丸は隻眼の眼で聖蝶を見上げてそう言った

不意打ちに近く、まさかそんな言葉を投掛けてくるとは思わなかった聖蝶は息を呑んで固まった。勿論、小十郎も目を張って梵天丸を凝視した





「…どう、して…そう思うのかな?」





彼女にしてみれば的を得たその言葉。動揺しつつも梵天丸の前にしゃがみこみ目線を合わせ、逆に聞き返す

知っている筈なんてない。誰にも言っていないしそんな素振りさえもしなかった。なのに突然梵天丸は聖蝶に言葉を投げ掛けた。聖蝶にとって動揺させるのに十分な言葉だった

少し様子がおかしくなった聖蝶を疑問に思いつつも、隻眼の眼をまっすぐ聖蝶を写しながら口を開いた





「夢を見たんだ」

「夢?」

「勉強終えて稽古も終えて、今日もまた姉上の元に行ったら…此所に辿り着けなくて小川に出ちまう夢。姉上に会いたいのに会えなかった…そんな夢を見たんだ」

「―――――…」

「…それは、さっきの昼寝で?」

「いえす」





確かに梵天丸は遊び疲れて一刻ばかり昼寝をしたのだが、まさかそんな夢を見ていたとは思わず聖蝶は驚愕した

何の前触れか、それとも予知夢か

だからか、だから聖蝶から離れるのを拒んでいたのか。子供は純粋ゆえに侮れないのはまさにこの事だ。完璧に言葉に詰まった聖蝶を見て、自分の予感が当たったのだと気付いた梵天丸は顔を青くしてガバリと抱き着いた






「嫌だ!姉上いなくなっちゃ嫌だ!」

「っ…」

「姉上はずっと俺と一緒にいるんだ!一緒に遊んで一緒に勉強して、それから…それから…!!」

「梵天丸様…」

「っ姉上が元気無かったの…まさかこれのせいだったのか?姉上が悲しんでいた原因は、こういうことだったの?なあ姉上、嘘だよな?嘘だって言ってくれよ姉上!」

「…そろそろ帰る時間だよ、梵天丸。さ、私の身体から離れない」

「嫌だ!絶対に離れない!姉上がずっと俺と一緒にいるって言わない限り離してやるもんか!」




力一杯抱き着き、嫌々と頭を振りその隻眼の瞳から大粒の涙が零れては聖蝶の着物に染みをつける

小十郎は苦渋の表情で梵天丸を黙って見下ろしていた。梵天丸にとって聖蝶の存在は大きかった。いや、大き過ぎていた。ずっと一緒にいる事が当たり前だと思っていた矢先の予知夢で、しかもそれが現実になろうとしている。まだ幼くて姉上至上主義な梵天丸にとって認めたくない事実

梵天丸に抱き締められている聖蝶は困った表情をしていた。小十郎の位置から聖蝶の表情は手にとる様に分かっていたから、今どんな気持ちでいるのかなんて愚問だった。それでも聖蝶はゆっくりと腕を伸ばして優しく梵天丸を包み込んだ。しゃくりを上げ続ける梵天丸に、優しく穏やかな表情で問い掛けた






「梵天丸、私達はどんなに離れていても心は繋がっている。君が私を忘れない限り、私は君と一緒にいる。君の心の中で」

「っ!」

「初めて出会ったあの頃より立派に成長してくれて、こんな私を姉上って親しく呼んでくれて、梵天丸や景綱に出会えて…私は本当に幸せだった」

「や、やだやだやだ!そんな別れな挨拶なんて俺は嫌だ!聞きたくねぇ!…小十郎!小十郎も何か言ってくれ!行くなって、なぁ小十郎!」

「………」

「こ、小十郎…?」






何も返事を返さず、苦渋の表情のまま梵天丸を見下ろす小十郎。それがどう意味しているのか…賢い梵天丸は分かってしまった

姉上は、消えてしまう

自分達がどうこうする前に姉上は消えてしまうのだと。賢い梵天丸だからこそ、残酷な答えに辿り着いてしまった





「梵天丸、強くて優しい武士になって民や仲間を守りなさい。君ならそれが出来るよ。困難が降り懸かろうともけして挫けちゃいけない。前を向いて、龍の様に天へ目指す立派な御仁になりなさい。私は遠い場所、遠い世界で君を見守っているからね。どんなに離れていても私達は心が繋がっているから。もう前みたいに、泣いちゃ駄目だからね」





いつも自分にしてくれる優しい手で頭を撫でてくれるソレに、優しく包み込んでくれる抱擁に、梵天丸は今度こそ大きく泣いた

初めて聖蝶と出会った時の様に、優しい温もりの中で

小十郎も抱き締め合う二人に歩み寄り、隣りにしゃがんでは逞しい腕を伸ばして二人を抱き締めていた。二人に挟まれた温かい温もりの中、梵天丸は泣きながら静かに瞼を降ろしたのだった






「ねぇ、梵天丸…こんな私を好きになってくれて、ありがとう」






だからどうか、幸せになって

私は貴方の幸せを願っているから















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