婆沙羅 | ナノ





シャラン、シャラン

空は真っ暗だ

シャラン、シャラン

全てが真っ暗だ

シャラン、シャラン


光が、消えていく





「どうした。珍しい顔しやがって」

「…景綱ですか」

「こんな夜更けに外に居るんじゃねぇ。万が一山賊や野良犬がやってきやがったらどうするんだ」

「それはこちらにも言えた事です。何故、こんな時間にこちらへ…?」

「話があってな」





生きとし生けるもの全てが寝静まった真っ暗闇の世界。此所、奥州もそれは同じ。明かりを灯す光が消えている世界は沈黙を守り、暗闇に溶け込んでいる

森の中の、自分の家の前で一人空を見上げていた聖蝶に小十郎は歩み寄る。何をしに、否何故このような時間にまた来訪してきたのかと表情を曇らせる聖蝶。そう、つい数刻前に小十郎と梵天丸はやってきて、帰宅していったのだ。今日はもう来る事はないと思っていた矢先の小十郎の訪問に聖蝶は戸惑った

聖蝶の隣りに立った小十郎を聖蝶は見上げる。約頭一個分上くらい身長が高い小十郎の背丈。聖蝶を見下げた後、ふいっと空から見える月を見上げ、言葉を待つ聖蝶に口を開いた





「最近元気が無かったな。梵天丸様が心配されていたぞ」

「…その事については、お気にならさず。梵天丸に伝えて下さい。姉上は大丈夫です、と」

「そのわりには表情が浮かばれねぇぜ。何だ、悩みでもあるのか?」

「悩みなど………景綱、まさかそれを聞く為にわざわざ?」

「……勘違いすんなよ。俺は梵天丸様の意志の元、此所に来た。テメェが吐かない限り、あの方は心配で眠れやしない」

「…優しいのですね。梵天丸は」

「当たり前だ。梵天丸様だからな」

「景綱も」

「…………チッ」





此所最近、聖蝶は元気が無かった

傍から見れば至って普通な素振りを見せるも、何処か憂いを浴びた表情を浮かばせるのだ。寂しそうな、悲しそうな、辛い顔を。暗くなると悲しそうに空を見上げる姿も見れば、小十郎はともかく梵天丸でさえも気付き、そして心配をしてしまう。城に戻れば「姉上、今日も元気なかった…」と悲しそうに顔を歪めるのだ。勉強にも勿論影響がきていて、稽古でも隙を付かれるばかり。見るにも耐えない自分の主に小十郎はこうして足を運んだのだ

勿論、城主輝宗は梵天丸から離れ城を出て聖蝶に会う事を承諾している。むしろ行かせた。梵天丸が意気消沈している事は耳にしていて、聖蝶の様子を小十郎に聞けば「何をボサッとしておるのだ!それこそお前が側にいなければならないじゃないか!」と怒り、尻を叩かれて城を追い出されたのはつい先程





「言え。テメェに拒否権は無ぇ。梵天丸様の不安をいち早く無くしてやりてぇからな。…それに俺さえよけりゃ相談に乗ってやらねぇでもない」





こう見えて小十郎も心配しているのだ。ぶっきらぼうで素直じゃない言葉が小十郎らしいが。見上げた空から聖蝶へ視線を移し、静かに笑う。息を飲む聖蝶に合わせてシャランといつしか小十郎があげた簪が音を鳴らした

彼らしい、それでいて優しい笑みを浮かべる小十郎を目を張って見上げる聖蝶だったが、フッと小さく笑みを零した。だけどその笑みは嘲笑にも似たそれで、小十郎は眉を潜めた。小十郎から視線を逸らし、空を見上げた





「………もうじき、新月ですね」

「あ?……あぁ、そうだな」

「月って綺麗ですよね。夜を支配する優しい光を放つ月はあってはならない存在です。景綱、貴方は月はお好き?」

「月、か。好きな方に入るな。なんだ、それが一体どうした?」

「……私は月が嫌いです」





もうじき無くなるか無くならないくらいうっすらと月の原形を保たせる月。一言で言えば十六夜の月を見上げて聖蝶は言う。声色は冷たくて、浮かべる表情も辛くそれでいて無表情で小十郎は目を張った

初めて見たと言っても良かった。こんな表情、今まで見た事なかったのだから





「ですが本当は月は好きなんです。日輪の太陽も好きですし、日によって様々な形に変わる月も好きなんです。本当は、好きだったんですよ」

「…………」

「こうして優しい月の光を浴びながら景綱や梵天丸と一緒に見上げる月も、お月見しながら見上げる月も、談笑しながら見上げる月も、本当は好きだったんですよ。大好きだった」





壊れてしまいそうな身体を守る様に自分で抱え込み、弱くなっていく聖蝶。口から流れる言葉は無機質だった。空を見上げる瞳は青く、それでいて紫だった





「でも、私は月が嫌い。月が大っ嫌い。だって、だって月は―――私を蝕み私を壊していくだけじゃなくて、私の大切な人達を引き離してしまうのだから」






小十郎に振り返った聖蝶は笑っていた

悲しそうに表情を歪ませて、悲しそうに瞳を青色に輝かせて





「景綱、今度の新月で私はこの森から消えてしまうの」





シャラン、とまた一つ鳴った














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