長い授業が終わり、珍しく部活がない日は必ず寄るところがある。己の弾む心を鎮めつつ、しかし今日はいて欲しいなと微かな希望を胸に抱きながら図書館の扉を開ける
図書館のカウンターに座る人物を視界に捉えたリドル・ローズハートは、そのかんばせを綻ばせながら近づいていく。リドルが近付く気配に気づいた存在は、サラリと長い漆黒の髪を揺らしながらこちらに振り返って、そして薄い唇を優しげに震わせた
「御機嫌よう、ローズハート先輩」
「御機嫌よう、監督生」
図書館のカウンターに座っていたのは監督生―――ミリ・クロウリー
監督生と呼ばれた彼女。学園で唯一の高嶺の花。今日は運良く当番だったらしい。己の運の良さに流石に自制が効かず、少々浮かれ気味になりつつもリドルは手にした本をカウンターに置いた
「返却をお願いするよ」
「お預かり致します」
「前に頼んでおいた本は返却されているかい?」
「えぇ、こちらに。1週間で宜しいですか?」
「よろしく頼むよ」
手際よく手配をする彼女の姿に、彼女の所作に、リドルはついと見惚れてしまう。以前の黒縁メガネを掛けていない彼女の横顔は、どうしてこう美しく見えてしまうのか
なかなかどうしてか、彼女とはこうして会話するキッカケがないもんだからか、こういう時間がとても貴重に感じる。前に会話したのは何時だったか。なんでもない日や寮のパーティーでも誰かしら隣にいたから、新鮮でしかない。図書館だからこそ感じる相乗効果によって、リドルの鼓動はバクバクと弾みを止めない
「お待たせしました。こちらになります」
「あぁ、ありがとう」
もっとお話したい。他愛のない話をしたい。エースやデュースみたいに笑い合いたい。トレイみたいに一緒にケーキを作りたい。ケイトみたいに写メを撮りたい
そんな、淡い恋心がリドルの胸にひっそりと灯す
しかしリドルはなかなかどうしてか行動に移せないでいた。他の寮生や自分のクラスに言うように言えばいいのに、億劫になる。こんな自分が軽率に誘っていいものか、と。これが寮関係の誘いだったら、いつもの調子で平気にいけるのに
今の自分には、手渡された本を通して彼女の温もりを感じる事くらいしか出来ない
嗚呼、つくづくボクは−−−−
リドル・ローズハートは○○している
リドルが後ろめたい気持ちを抱えるのには大きな理由があった。それは自業自得と片付けていいものでもあるし、または気にし過ぎだと言える理由でもある
やはり大きな理由は己がオーバーブロットをして、巻き込まれた彼女に怪我を負わせ、なおかつ彼女の大切な身内を貶した事である
オーバーブロットの件に関しては己の黒歴史だ。しかしオーバーブロットがあったからこそ通じ会えた事もある。今更後悔するつもりはない。その分、前を向いて同じことを繰り返さないように務める。だから言い訳はしない。実際にあの時のオーバーブロットの後始末は次に行われたなんでもない日で一応は解決としている。今更振り返ることは誰もしない。寮生に謝罪は済ませたし、もちろん巻き込まれた彼女にも謝罪を済ませたつもりだ。その時の彼女…否、当時は彼として立っていた彼女は「気にしないで下さい」と言ってくれた
彼だった時の彼女だったら、ここまで気持ちを沈めさせることは無かった。怪我は治った、事件は解決した、本人ものほほんと「問題ないですよ」と言っていたからこの話は終わっていただろう。しかし、事件は終わっていなかった。意外な形で掘り返され、リドルの心に後悔が湧き上がった
後悔が湧き上がってつい己のユニーク魔法を己の首にかけた日を懐かしく思う
男子だと思っていた子が実は女の子だった。しかも、いくら魔法で傷を癒しているとはいえ自分はオーバーブロットをして、傷を負わせた。あの時の傷は深かったはずだ。なのに彼女は平気だと笑っていた
そもそも法律的にアウトだし、紳士として言語道断。それは終わった話だと彼女が言っても、トラウマを与えさせた一番の当事者が、リドルだ。加害者の懺悔と後悔は一生消えることはない。なによりも、リドルは知っていた。身内を貶した時の彼女の表情を。辛そうに、全てを諦めた表情を浮かばせた、一瞬の影を
そういう理由もあり、リドルは彼女には強く出れない。惚れた弱味、とも言われたらそれもそう。初恋の相手がミリなので、どう対応すればいいか分からないとも言えればそれもそう。彼の内に燻らせる葛藤は、そう簡単に消えることはないだろう
「またお待ちしています。頑張って下さい、ローズハート先輩」
しかし、しかし、これだけは許して欲しいとリドルは願う。君を、見守らせてほしい、守らせて欲しい、自分に出来る事があればなんでもしよう。少しの時間でも構わないから、隣に立って、少しでも会話を交わす時間を、ボクにくれないかい
リドル・ローズハートは後悔している
「本当に気にしなくていいのに。難儀な子だね、彼は」
20240101