「あぁ、完璧に忘れたわけじゃないんです。例をあげるなら…カルテとか、調査書とか…日記も入るのかな?文面上に書かれる文章は読めても、感情やその時の光景は読み取れない。特に日記なんて書いた本人にしか分からない内容で、他人が見ても何も理解が出来ない。…私が日記を書いた張本人だとしたら、張本人のくせに…何も感情が読み取れないんですよ。つまり他人が人様の日記を読んだ事と一緒なんですよ。読み取れないだけならまだマシです。…本当に、完璧に、忘れてしまった過去が山程あります」





気付いたのは、私が【異界の万人】になりたての頃

初めて、別世界にいるもう一人の【私】の記憶と力を全て引き継いだ時だった





「今では、もう…家族の顔も、名前も、どんな人なのかさえも…分からないんです。ミリという名前も、本当のモノかもあやふやで…本当に、自分は誰なんだろう、本当の私は一体何者なんだろうって、思うばかりなんですよ」






全てを忘れてしまったせいで、私は自分の故郷の居場所を見失ってしまった

何時でも帰れる力もあるのに、帰る道を忘れてしまったから


――私には、宿命しかない


全てを忘れ、行き場を無くした私にはそれしか縋る事しか出来なかった






「…皆さん、そんな顔しないで下さいよ。何だかいたたまれないじゃありませんか」






周りを見渡せば、眉間に皺を寄せ険しい表情のゴウキさんに悲しい表情を浮かべるカツラさん、申し訳ないとオーラで訴えるナズナさんに辛い表情を浮かべるレン。時杜も悲しそうに抱き着いてきて、蒼華も静かに寄り添ってくれた。周りのポケモン達も既におやつを食べ終えていたから勿論私の話は聞いていた訳で、皆それぞれ驚いたり悲しんだり表情をコロコロ変えていた

言わなきゃ良かったかな、と口から出るのは嘲笑。なんだか自分で言って逆に悲しくなってくる。本当に、改めて記憶を探ってみても…何も掘り返す事が出来ない。むしろ悪化していた。この世界のもう一人の【私】の記憶を受け継いでいるに当たって、残り少ない大切な記憶が削れている

消えていくのは、私が生まれて万人になる前の15年間

今となれば、もう諦めた記憶






「……すまないミリさん。まさか貴女が記憶喪失になっていたとは思っていなかった」

「気にしないで下さい。そう思うのも無理はありませんよ。誰だって驚きます」

「しかし俺は貴女に辛い思いをさせた。…俺の軽はずみな台詞は貴女を追い込ませてしまった」

「だから、気にしないで下さい。ナズナさんの台詞はごもっともですよ。皆私に疑問を持っていたのは確かですし。それは私自身も言える事です」






空気が重くなった部屋は沈黙が広がった事でもっと重くなった。視線が、皆の哀れみで同情の視線が…いくら視線を伏せたとしても私には分かる

私自身を追い込む強烈な一撃

そんな目をしてもらう為に、言った訳じゃない






「そうですね…後、私自身最大限に分かる事があります」






安心させる為に、私は笑う

時杜の頭を撫でるのは感情を面に出さない為に、ニッコリ笑うのは表情を面に出さない仮面の笑顔


久々だ、仮面の笑顔なんて…――






「異端、異質、…私は他の皆さんとは異なる力を持つ、異端者なんですよ」






【異界の万人】自身そのものが、異端

私はトリッパーで、異端者

……何も、間違えてはいない

嘘は、言っていない







「…お前は、異端なんかじゃない。…安易に自分を責める事を言うんじゃねぇ、ミリ。悪い癖が出てるぞ」

「さあ、どうだろうね」

「ミリ、」

「……話を戻しましょうか」






隣に座る、レンの指摘。喉の奥から絞り出した様な、そんな声。その指摘を否定すれば、もうこれ以上何も言うなとオーラは語り、鳩血色の瞳は訴える。また何か言ったもんなら後で怒られそうな気がしたので、ここは黙って話を変える


手を伸ばして目の前に並ぶお菓子を掴む。手にしたのはお煎餅で、袋に入ったままバリバリと四等分に割る。沈黙が広がる部屋にやけにこの音が響き渡ってなんだか笑えてくる

ピリッと袋を裂いて中身を取り出す。一つのお煎餅を取り出し、膝の上に座る時杜にあげる。おずおずと受け取る時杜に微笑みながら、もう一つのお煎餅を摘み、口に含めた。香ばしい醤油の味が広がり、噛めばバリッと良い音が口内を響かせた

何だか不思議と落ち着いた






「今の話を簡単に答えますと、まず初めてに答えた聖地は【異界の万人】が造った空間で普通なら入る事は出来ないし見つける事が出来ない。特別な、場所なんです。【異界の万人】自身、様々な言い伝えがある関係、その聖地を造った【異界の万人】がどんな者かは分からない。…それは、ナズナさんの今後の活躍に期待したいと思います」

「「「「………」」」」

「今回、そんな神出鬼没で侵入不可能な聖地にレンとナズナさんが足を踏み入れた原因は…私にも分かりません。しかし、確実に分かるのは……二人は、聖地に導かれた。聖地に認められて足を踏み入れる事が出来た。…それしか、考えられません」

「………認められた、か」

「何故、二人が聖地に認められたのかは、分かりません。ナズナさんは気付いたら森の中、レンもそれは同じで知らない声に呼ばれた。…何か、理由は何処かにあるはずなんです」






そこまで言い終えた私は、小指にハメてある――あの聖地で授かった指輪を、全員に見える様に顔の横に手背を翳した






「ナズナさん、この指輪にご存じありますか?」

「…いや、」

「レン、貴方なら…分かるはず」

「…………手を、貸してくれ」

「えぇ」





差し出されたレンの手にそっと自分の手を重ねる。じんわりと暖かい手から感じた感情に、私は苦笑を漏らす。一瞬こちらに視線を写すレンだけど(どうやら自分の感情を悟られた事に気付いたらしい)、視線を指輪に写した。もう片方の手が私の手背に触れ、ゆっくりと、滑らせる様に指輪に触れる

勝手に動き、私の小指に自ら嵌まった、今ではもうピンキーリングのサイズになったプラチナ型のダイヤモンドの指輪。薄暗い、ぼんやりとした蛍光灯の光りに照らされキラリと輝いた

ピジョンブラッドの瞳を細め、昔の記憶を探っていく眼前の彼。鳩血の奥底に潜む真実。そしてレンの口から小さく「やはりな、」と声が漏れる






「一度この指輪を目にした時、見た事がある気がした。お前がこの指輪の話に触れた時、お前は話を避けた事があった。あの時は特別気にする事は無かったからあまり話には触れなかったが…やはりな、俺は同じ指輪を見た事がある





 聖地の祠にあった、あの指輪と同じ指輪を」

「「「―――…!!」」」






レンの告げられた言葉に三人は私の小指を注視する。小さくとも存在を主張し、キラリと輝くダイヤモンド。乗せていた手を離し、改めて自分の顔の横に皆に向けて手背を見せた






「――…そう、私もナズナさんとレンと同じで、あの聖地に足を踏み入れた者の内の一人」

「………まさか、」

「…いや、だったらつじつまが合う…何故、白亜と黒恋がミリさんの手持ちになったのかを。聖地繋がりなら、話は分からなくもない…」

「…白皇の話だと、指輪は双子の兄が見つけたと言っていた。先程の白皇の言葉でも祠にあったとも言っていた…つまり、舞姫は…」

「えぇ、ゴウキさんの言う通りです。私は聖地の中央にある祠まで歩み、指輪を手に入れた。隣りにはネックレスがありました。コランダムの中でも稀少価値のあるパパラチャ・サファイア。…とても、綺麗な宝石でした」






あのネックレスの意味はなんだろう

今でも不思議に思う

アレには確かな役目があるかもしれない。けど、今の段階だと安易に口に出す事は出来ない…――















「ブーイ…」
「ブー…」

《主、話の途中悪い。…二匹が眠りかけている》

「あらあら、本当だ。…やだ刹那、刹那も眠そうだよ?」

《あぁ、眠い》





睡魔に堪える白亜と黒恋を抱き上げてこちらに話し掛けて来た刹那も切れ長の瞳が今だけトローンとなっている。三匹が同時に欠伸をしたと思ったら、腕にいる時杜も小さく欠伸をする。これぞ、欠伸マジック。蒼華もつられて欠伸をするもんだからつい笑ってしまった

時計を見上げれば、時刻はもう次の日を回ろうとしていた。そりゃ眠くなるのも分かる。何せ白亜と黒恋はいつもなら早寝早起きで、こんな時間まで起きていない。昼に昼寝をしたのもあるけど、よくずっと起きていたものだ。腕を伸ばして白亜と黒恋の頭を撫でてあげれば、「「ブーイ…」」と一声鳴いたらコテンと寝てしまった。可愛い過ぎる。そして今にも寝たい刹那にもキュンキュンだ←

御開きにしようか、とカツラさんは言った






「もうこんな時間だ。…また、明日にでも話をすればいい」

「あぁ、そうだな…」

「「…………」」

「なら私達は一足先におやすみさせてもらいます。…行こっか、皆」

「キュー」
「…」
《眠い》






時杜を抱き上げ、腰を上げる。蒼華も習ってしなやかな身体を起こし、出口に向かう。うとうと気味な刹那の身体をポンポンと叩きながら、ポケモン達の合間を擦り抜けて出口に向かう

蒼華がドアを開き先に出て行き、後に続いて刹那が出る。私もドアを開けて皆におやすみなさいと一言入れた後、…暫く考えて、振り返る

出て行くとばかり思っていたけど振り返った私にどうしたんだという視線を皆から受ける。四人の目に、ポケモン達の目。グルリと見渡して「(何だか面白い光景だなぁ)」と場違いな事を考えながら、私は言った






「何だか私の話で結構重くなってしまいましたが、気にしないで下さいね。私が勝手に言った事なんですから」

「………ミリさん」

「後、ついででアレなんですけど…聖地を抜け出してすぐにあの子達に出会ったんですよ。――…詳しい日にちを言えば、レンと初めて出会った一週間前と、ゴウキさんとバトルした二週間前…実は、まさかの最近だったりしちゃうんですよね、私」

「「「「!!」」」」

「そして私は…聖地に入った当初の記憶まで、何も覚えていない。そう、全てを」

「「――――…ッ!!」」

「そん、な…!」

「まさか…!」






唖然と、愕然とするカツラさんとナズナさん。レンとゴウキさんなんて、信じられない――と、普段は冷静な彼らには不釣り合いな表情でこっちを見ている。そりゃそうだ。自分達が会った数週間前には私の記憶が無かっただなんて想像出来る訳も無い

何せ今まで記憶があるフリをしてきたんだ。博識と二人に褒められた事は何度かあるけど、一般的な知識であってこの世界にとっての常識の知識は持ち合わせていない

しかも同時期に聖地の帰宅後だったなんてそれこそダブルパンチ。驚愕通り越して何も言えない二人に、いや皆に私はしてやったりと笑った







「それだけが言いたかったんです




 ――…おやすみなさい、皆さん」








―――ガシャン…








扉を閉めた時の音が、重く暗く響いた気がした





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