『聖燐の舞姫。もうそろそろ貴女は目を覚まさなければならない。此所とあちらでは時間差がとても激しい。此所は数分の時を刻んでいる様に感じるが、あちらは結構な時を過ぎてしまっている』 「…あぁ、そうでしたね…記憶が曖昧で、全然思い出せない…。ですがもう行った方が、いいのかもしれませんね」 『さぁ、この光に辿っていくんだ。そうすれば、貴女は目が覚める』 「はい」 『……貴女の目覚めを心から待ち望んでいる人がいる。その人を、真っ先に安心させてあげるんだ』 「……私に、そんな人は…」 『目を逸らしてはいけない。貴女は既に分かっている筈だ。…感じるだろ?貴女の手にある不思議な温もりが。…さぁ、行くんだ聖燐の舞姫。振り返ってはいけない。光と共に、その温もりと共に――本来在るべき所に、戻るんだ』 光か、温もりが、 私を、呼んでいる――…‥ ――――――― ――――― ――― ―― 空は一面の、沈黙を守る真っ暗な夜空 部屋から覗く月明りが窓から差し込み、真っ暗な部屋が月明りによって仄かに明るくなる 部屋のリビングにはポケモン達が互いに寄り添い、仲睦ましく眠りについている。一匹は腹を丸出しで寝ていたり、鼻ちょうちんを出しながら寝ていたり、隣りのポケモンの上に被さって寝ていたり…見ていて飽きない光景だ 今の時刻は夜中の深夜一時近く――ミリがセンターに移されて一日が過ぎ、次の日になっていた 「…………」 その中に、一人 レンだけは、未だ寝れずにいた 「…………っ…」 先程から、ミリの手を握っては離さずにいるミリは、誰もが見る程…やつれていた 仮眠は取ってある、と本人は言うが何故か目の下にはくまが出来ていて、かなりげっそりしていた。何かがあったら倒れてしまう――そんな危険性がひしひしと感じさせていた。しかしミリの手を握る力は残っていて、ただひたすらにミリの手を握り続けていた レンは眠れずにいた それは、あの光景が甦るから 四日…いや、五日間が経った今でもあの光景を忘れ去る事は出来なかった。出来るわけがなかった。アレは、確実にレンの心に傷を負わすのに充分だった もう、トラウマに近い状態だ 寝ようとする度、あの光景が甦ってはすがる様にミリの手を握って精神を落ち着かせ続けていた。レン本人、自分がこんなにも弱々しくなっていく姿を正直驚き隠せず、嘲笑するしかなかった。普通なら、こんな事は被害者であるミリ本人が心身共に傷を負った行動…なら分かるのに 「…ミリ。リランの奴は、お前の笑顔が仮面になりつつある…と言っていたな」 ミリが眠るベッドに腰を掛け、その手を握り締めているレンが虚空を見つめながら呟く もう片方の手を伸ばし、ミリの手首を触れる。あの時酷かった手痕は、今は薄れつつある ――この手首をまた握ったら、痛みでミリは目が覚めてくれるのだろうか 頭に過ぎったのは、これで何度目にだろうか 「俺は、正直分からねぇ。お前の笑顔が、俺が見てきた笑顔が…偽りかどうかなんて…」 いつもの様にその考えを振り切る為に、今度はミリの手を包み込む。じんわりと温かいその温もりが、レンを唯一正気にさせてくれる 「でも俺は、仮の笑顔だとしても…お前の笑顔は仮面なんかには見えない。お前の闇は…どれほどの闇かなんて、俺には分からねぇ …分かる筈もないよな。俺はお前から何も聞かなかったし、知ろうともしなかったから」 レンの脳裏にあるのは、ミリの笑顔 こちらに微笑みかける笑顔、面白い話で笑う笑顔、困った様な笑顔、からかわれ顔を赤くもするがすぐに笑顔に変わる――走馬灯の様に、ミリの笑顔が流れていく 「……なぁ、ミリ。知ってるか?眠り姫は王子様のキスで目を覚ますんだとさ」 ベッドのスプリングがギシッと鳴る 覆い被さる様に、眠るミリの上にレンが顔を覗かせる。レンの、何も縛っていない髪が無造作に垂れ下がる。虚ろに近いレンの瞳が月明りに反射され妖しく光を放つ 「もし、俺がお前にキスしたら…お前はその瞳を開いてくれるか?」 無防備に眠るミリの唇を、触れる 吸い付きたくなる様な瑞々しい色をした唇は、月明りでより一層瑞々しさを引き立てる。指で唇の形をなぞれば「ん…」と小さく反応を示すミリに、レンの虚ろな面には小さく微笑を浮かばす レンの顔がゆっくりとミリの顔に近付いていく そしてレンはリップ音と共にキスを落とした ――――――頬に 「……キスだけで、目覚めるんならいくらでもしてやりたい位だけど、な」 微笑が嘲笑に変わり、ミリの頭を撫でながらまた頬にキスを落とす もし、レンがキスを落としたと知ったらミリはどんな反応を見せてくれるのだろうか。初めてした時は不意打ちだった為、かなり顔を真っ赤にしていた記憶がある。ある意味ウブなミリの反応はレンを面白くさせていたと同時に……愛しさを感じさせていた しかし、その気持ちを(無意識で)封じ込めているレンには、その気持ちは分からない よく、分からないでいた 「……フッ、」 小さく笑ったレンはミリから身体を上げる。ギシッと鳴るスプリングの音を響かせながらレンは立ち上がる ミリをしばらく見下ろしたレンは、踵を返して部屋から出て行った 「…………ぅ、っ…」 ピクリ、とミリの手が動いた → |