蝶は夢を見ていた


忘れたモノを振り返らず、置き去りにして

過去の自分の捨て去り、新しい未来へ想いを馳せる






蝶はいまだ夢を見ている



ずっと欲していた居場所を見つけ出し

心許す仲間たちと出会え、

日々楽しそうに笑い合う――――








彼女はまだ、夢を見続ける


夢から覚めるのは、まだ先の話――――






――――――――
――――――
―――













ピキピキッ、





パリンッ………











「!―――――……」











デスクの上に置かれたグラスが、突然割れた












「…………」







まだ手も付けていないグラスが、なんの表紙も無くヒビが入っていき、成すすべも無く勝手に割れた。中に入っていた氷や飲み物が器を失い、仕事机を濡らした。書類等の大切なモノが冷たい水でじわりじわりと浸透されていく

普通だったら落としたり何かの衝撃でしか簡単には割れないはずのグラスが、突然割れた

その意味を―――デスクに座る青年は分かっていた







「―――ッ!!」







ガタリ!と青年―――ゼルジースは荒々しく椅子から立ち上がる







「!…サー」

「ゼル様、如何されました?」

「出かけてくる。片付けておいてくれ」







仕事机の惨事に目をくれず、ゼルは荒々しい足取りのままテーブルの上にあるモンスターボールを腰に装着し、部屋を出ていこうとする

部屋に控えていたゼルの手持ちポケモンの一匹、サーナイトもゼルに合わせてコートを手にして後を追おうとする


ゼル様、と此処で制止の声が掛けられる







「どちらに行かれるのですか?」

「決まっている。シンオウだ」

「…御自ら行かれるのですか?」

「ミリ様の身が危険なんだ。…アイツ等に任せていられない。俺が直々に全てを片付けてやる」

「貴方のお立場を考えて行動して下さい。…いえ、そんな事はいいとして……ミリ様の身に危険が?」

「……嫌な予感が、止まらない」






リーーン…




リーーン…







先程から、遠く聞こえてくる鈴の音


一体何処から聞こえてくるかなんて、そんな事分かるはずが無い


しかしこの鈴の音の存在を、ゼルは知っていた

鈴の音の意味も







「ガイル、そもそもお前…俺の命令はどうなっている?俺はお前に言ったはずだぜ、奴等が動き出す前に片付けろと」

「…申し訳ありません、その点に関しましてはまだ調査中です。…ミリ様が今どのような状況にあるのか、まずは調べてきます。ゼル様が動くのはその後で宜しいかと。……ミリ様をひたむきに想うお気持ちは察します、しかし何事にも貴方様のお立場を考えて頂かないとこちらが困ります」

「サー…」

「チッ」






ガイルの制止近い正論に、ゼルは無意識に舌打ちをする

つくづく自分の立場というのは面倒だ。自由に行動なんて出来やしない。尚且大切な存在の危機だというのにすぐに動けないなんて


―――好き好んでなったかと言われたら、答えはNO。今は亡き前任が自分を後釜に仕立てあげただけであり、自分の意思ではない。己の力をつけたいだけで前任の言う通りにしていただけの事―――しかしそれは昔の事であり、今は違う。この立場だからこそ、守れる存在だってあるのだ

そう、リーグという絶対的存在の頂点の地位にいれば―――どんな障害にも、大切な存在を"確実"に守る事が出来る



あの方を、どんな障害からも守り、かの御身に尽くしていけると―――









「早急に調べて来い。状況によってはすぐに出る」

「御意」







ガイルが一礼し、部屋を後にする

出て行ったガイルの姿を気配で見送った後、ゼルは不意に部屋のベランダに出た




ベランダから見えるのは一面の海原

オレンジ色の夕焼けが次第に訪れる夜によって消えゆく様を―――ゼルは名残惜しそうに見つめていた








「―――――ミリ様…どうか俺が迎えに行くまで、無事でいて下さい」










この胸の内の不安感


どうか、自分の勘違いでいて欲しい










ただひたすらに一人の女を想う自分の主を

サーナイトはただ静かに後ろ姿を眺めているのであった












数分後、残念ながら不安は的中するのであった





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