『今更ですがこの壁、かなり深く亀裂が走っている………まさか、とは思いますが…これは、ミリ様が?』

『あはー』

『…………、床に走っているあちらの亀裂も?』

『気のせいだと思うよ』

『……………ミリ様、』

『はい?』

『…貴女には後でお仕置が待っているので覚悟していて下さい』

『お仕置!?』






「お仕置はともかく、説教は確実だね」

「「だな」」

「あぁ、そこは賛成だ」

「総監のお仕置とか考えただけでも末恐ろしいですね…」

「物騒過ぎる言葉よねぇ」

「さて、奴はどんな手を使ってくる気だ…?」

「流石に物理では来ないだろう」

「…………」






ゼルとミリはこちら側―――マジックミラーに対峙している。先程の戯れが一段落したところで、次に自分達の救出に取り掛かろうとしているのはよく分かった。一体ゼルはどんな手を使ってこの壁を突破しようとするのだろう。装置の電波によってポケモンは使えない。それは先程嫌でも思い知らされた。勿論ゼルの方も条件は同じ、サーナイトがボールから出ていないのがなによりの証拠。未だにミリのポケモンである闇夜と白亜と黒恋がなんの影響もなくいられるかが不思議で仕方無いが、今の自分達からしてみれはこれほどまでに有り難い戦力はいない

ドォォン、と地響きが鳴った。音の根源に目を向けると―――灼熱の炎の中から現れた、ガイルの姿が。全く変わらない悠々とした態度で現れた彼の後ろには、凶暴走化したポケモン達が積み重なる様に倒れ、アポロ達もまた床に倒れていた

これには全員度肝を抜かれた。なにせ一番てこずり苦戦に追いやられたあのポケモン達が、ゾンビの様に復活をしてきたあのポケモン達を、あの男は倒したのだ。一体どんな手を使ったのか。炎の壁により戦闘を遮られていたから、把握する事も叶わなかった為、その全容は一切不明。当の本人は至って無傷、「手応えはどうだ」とのゼルの言葉に「特にお答えするレベルではありません」と返したくらいだ、まだまだ余裕があると見た

アイツならやりかねない、とナズナは憎々しげに小さく呟いた






「ゼルジースの右腕、総監の執事―――汚れた仕事も躊躇無くやる男だ。人間離れの実力を持つアイツなら凶暴走化したポケモン達など、紙切れ同然だ。…ッ、また震えが…!」

「ナズナ、後ろに下がってろ。…他の奴等にソレがバレる前にな」

「ッ、そういうわけには、いかない。…最後まで結末を見届けてやる。震えなど、気にしている場合ではない」

「そうか。…あまり無理はするなよ」

「炎使い、ガイル―――ただの炎使いにしては人間の域を超えている。……奴は一体、何者なんだ」

「「………」」






これが、本部の力だとでもいうのか

だとしたらどれだけ本部はレベルが高いんだ。流石は本部と言った方がいいのか―――逆に末恐ろしいモノを感じさせられる






「(アイツが何者かはともかく、ミリに危害が無ければそれでいい。…今はな)」






レンはゼルの後ろ姿を見つめる

自分と同じ背丈、回りの炎に煌めく長い白銀色の髪。長年探し求めていた存在は、総監としてそこに立つ

本来だったら自分がミリの隣に立ち、ミリを守る立場であったのに。敵の思惑に簡単に捕まり、しかも自分が立つであろう場所を簡単に奪われた。ミリに自分の記憶が無くなったとしても、自分のやる事は変わらない。だけど今、自分は薄い壁に阻まれ何もする事が出来ない。もどかしい気持ちと、不甲斐ない気持ち、そして―――簡単にミリの隣に立つゼルに、確かな嫉妬心を抱いていた




ミリが何か闇夜と話している。小さな声であった為、会話までは聞き取れなかった。闇夜は頷き、辺りを見渡し始める。先程言っていたシンクロの件だろうか。闇夜がグルリと辺りを見渡せば見渡すほど、目の前に立つミリの表情は面白そうに「こんなに燃えていれば暖かいよね〜」と呑気に笑っていた

やはりミリは世界が見えている。しかしただ見えているわけではない。何かの条件が揃って、盲目の瞳は光を得る手段を得ている。それが一体何なのかは、いずれ分かる話

そう思いながら、レンはミリの後ろ姿を眺めていた―――が、






――――ミリが突然、ゼルに怯え始めたのだ





闇夜がゼルに視線を向け、ゼルがミリに近付いた時だった。ミリは過度な反応を示したのだ。表情は恐怖に歪み、身体は後退していく。これにはレンも、他の者達も驚いてミリ達を見た。後ろ姿とはいえゼル本人も驚いているのは目に見えた。そしてミリはゼルの手から逃れようと闇夜の腕の中に入り、震える始末

これは一体、どういう事だ






「…どうしちゃったの?」

「分からない…」

「…ミリは完全に、彼に対して恐怖心を抱いている。突然に、感情がガラリと変わったのが波動で確認取れた」

「…先程まで平気だったのに、ですか?」

「(……怯えた姿も可愛いな…)」

「おいコラ。今変な事考えただろ」





「…ゲンの言う通りだ。気が、強い恐怖で揺れている」

「闇夜がゼルジースに視線を向けたら様子が一変した、となると…闇夜の眼を通じてミリさんは世界を見ているという仮説がここで成立するというわけだが、」

「何でミリはアイツに怯えているか、だな…」






ミリとゼルは、一度だけ会っている

数ヶ月前、ふたごじまにてミリは奥にいたゼルと顔を合わせている。だがしかしそれは不可抗力であり、何も知らなかったミリは水没して疲労していた身。後になってゼルの存在を知り、レンとの関係性を知った。少なくてもミリの中ではナズナをクリスタルにさせた元凶として認識されているのは確かだ。それは、レンが実際にミリの口から聞いている






「彼がもしまた現れたとしても、関係ないよ。私はレンの元から離れるつもりはないから。……だからレン、安心して。私の居場所はレンのところだから」







ナズナから、「ゼルジースはミリさんに対して乱暴な扱いはしなかった。むしろ丁重な扱いをしていた」と言った。ミリからも証言は取れている、「変な事はされなかったよ。…あ、うん、まぁ、されたけど。されたけど本当にそれ以上変な事はされなかったよ」と。何もされてない以上、ミリはゼルに対して恐怖心なんて抱く理由がない。むしろ真相を追及したいという姿勢でいたくらいだ。度胸もあるミリにゼルを対峙したところで怯えるなどと、到底考えられない

しかし目の前のミリはこちらが驚くくらいゼルに対して怯えきっている。この怯え方を、レンは知っていた。満月の影響で苦しめられていたミリは、時折あの様に何かに怯えていたのだ。…知っているが、かと言って回りに言うつもりはない。これは自分達の問題、ゴウキやナズナの耳に入れる必要は無いのだから

それに今のミリの記憶は白紙状態だ。尚更ゼルに対して恐怖心を抱く理由など、推測するにも答えが全く見つからない

一体、何故?


――――むしろ、






「よーし、いい子だそのままゼルジースから離れろー。変な奴に簡単に着いて行くんじゃねーぞー」

「そうだそうだー。そのまま離れろー指一本も触らせるなよー」

「お前らこういう時だけは息ピッタリだな」

「見てて面白いわ〜」






―――だがしかし。レンとデンジの思惑も虚しく、ゼルはまたもや予想外の行動を起こす事になる





闇夜の腕に震えるミリを、何を考えたか、なんとゼルは後ろからミリの身体を抱き締めたではないか

覆い被さった、とも言ってもいい抱擁を見て全員に強い衝撃が走った

生憎後ろ姿になっている為、抱き締めたゼルが現在ミリに何をしているかは分からない。分かるのは闇夜がゼルの行動を小さく驚いている姿と、足下にいる黒恋がビシビシッと尻尾でゼルの足を叩いているくらいか。いいぞもっとやれ。噛み付いてやれ

何をして、何を話しているかまでは分からない。何の意味をもって抱き締めたその心中はゼルの口から説明されなければ真相は闇の中。自分達に、特にレンに対する当てつけか

ゼルの突発的な行動は、意外に呆気なく終わった。ゼルがミリの身体をすんなりと離したのだ。相変わらず後ろ姿しか見えないのと、ゼルの身体がいい具合にミリの身体を隠している為、二人が様子が分からない。しかし少なくても、ミリの震えが治まった事だけは微かに理解していた






『…ありがとう、少し…落ち着いた』

『それは、良かった』

『…取り乱して…ごめんなさい』

『ミリ様が気にする事では御座いません』

『…………ゼル、』

『はい』

『…今はまだ、貴方が何者かは聞きません。落ち着いたら改めて…貴方がどういう人かを聞かせてもらいます」』







『―――貴方の事を、信じます』

『…勿体ない、お言葉です』







あの震え様は、一体何だったのか

そんなミリを相手に、ゼルは一体どんな手を使ったのか






「(クソッ………)」





こうなる事を、避けたかった

見たくなかった、会わせたくなかった

ミリとゼルが、手を取り合う姿を――――










『―――ミリ様、ご命令を』

『え…?』

『簡単な話です。この俺に、あの壁を壊せと命令すればいいだけの事です。貴女の笑顔が取り戻せる為なら、こんな壁など簡単に壊してみせましょう』






ゼルが、動いた

不敵に笑う端正な顔が、こちらに向けられる






「えっと…どういう事?」

「…彼に何か策でもあるのでしょうか?」

「ポケモン…は出そうとはしないね」

「まさかアイツも物理でくるのか!?」

「…無理だ。流石に総監とはいえポケモン無しにこの壁は壊せないはずだ」

「アイツ、一体何考えてやがる…?」






手段は何も無いはずなのに

何故、ゼルは不敵な笑みを崩さないのか






『―――ゼル、皆を助けてあげて』

『はい。全てはミリ様の思うままに』






―――キラリ、と

ゼルの手に、いつの間にか白銀色の刀剣が輝いていて







「!!?」

「アイツ―――まさか!!」

「皆!後ろに下がるんだ!壁が壊れるぞ!」







――――ガシャアアアン!!!










目の前の見えない壁が

呆気なく壊れる音が響き渡った








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