少女、紫蝶美莉はのんびりマイペースでおおらかな一面を持っているも、実は彼女は中学三年生の受験生であり、生徒会の生徒会長でもあった。真面目な性格と勤勉な部分、そして彼女の人柄の良さからあれよあれよと本人余所に推薦され、クラスメイトや担任の勢い流されながら仕方無く立候補したのも束の間。めんどくさいなぁ、と思いつつも適当に発表した論文が見事大盛況し(後は少女の容姿等)気付いた時には当選してしまっていたから開いた口が塞がらない、と何処か遠い目をする彼女を和泉は「ドンマイ」と同情していたのを覚えている

渋々といった様子でも、与えられた仕事は最後まで真っ当するのが彼女のポリシーらしい。今日も今日とて一日のノルマと、来週行われる委員会に提示する資料を纏めあげて、予定の時間ギリギリ過ぎている事に気付いた少女は慌てて腰を上げた

この後の彼女の行動とすれば、一旦帰宅した後は軽い夕食を済ませ、制服から私服へ着替えたらそのまま塾へ向かう。なにせ少女は受験生。受験シーズン真っ盛りな彼女及び同学年の生徒は最も一番忙しい時期だ。趣味を封印し、眠い目擦りながらも来月のテストに控えなくては、と誰もが徹る道。今日のご飯何だろうなぁー、と鳴すお腹に叱咤を入れつつも足速に帰宅を急ごうとした―――…そんな時、



信号無視、脇見運転、もしくは運転手の体調の急変かもしれない。それは定かでは無いが、とにかく大型トラック歩いていた少女の歩道に突っ込んできたのだ。少女が歩いていた道は、通学路の中でも一番車通りが少ない道、しかし道事態が細く危ない道路だった。何故、そんな道に大型トラックが通過しようとしていたのかは、分からない。事態に気付き慌てて運転手が急ブレーキを踏み、ハンドルを切っても間に合わず―――少女がブレーキ音に気付いて振り返った瞬間には、彼女の身体は強い衝撃と共にはね飛ばされてしまっていた




和泉は全てを見ていた




笑顔を弾ませながら少女の歩く隣りを同じように歩いていた和泉。本来だったら画面を見る様な夢ばかりなのだが、たまに、時々、こうして和泉自身が夢の中に立つ事が出来ていたのだ。勿論会話なんて不可能、相手に存在を認知されなくても彼女と同じ時間を共有するだけでも満足だったのに真っ先にトラックに気付いた和泉は危ない―――と彼女を守ろうと腕を突き出し少女を突き飛ばそうとするが―――彼女に触れる事が出来ない腕は彼女に届く事は無かった。少女の身体を通り抜けた和泉の腕。驚愕と絶望の表情を浮かべる和泉を余所に―――和泉の目の前で、和泉の身体を通り抜けて、トラックはか弱い少女という人間を突き飛ばした




和泉は何も出来なかった




弧を描いて軽々と飛ばされた少女の身体。少女が所持していたバックも全てが宙を舞い、地面に叩き付けられた。あっという間だった、しかし、和泉にはとっても長い瞬間だった。耳に残るようなイヤな音と共にアスファルトに叩き付けられた彼女を中心に、真っ赤な真っ赤な血がどんどん広がっていき――――…

自分の声とは思えないくらい絶望という全ての感情が一つに纏まった大きな声が和泉の口から放たれた。何も出来ない自分を怨んだ。何も守れなかった愚かさを呪った。たった一つの大切な光が、この瞬間に、失っていく。触れたくても触れられない。何年ぶりの発狂によって枯れる声、頬を大量に伝う涙なんてお構いなしに血塗れに倒れる少女の名前を叫んでも―――少女は結局、動く事は無かった





ド クン―――










目を覚ませば見慣れた暗い天井。変わらない部屋の中。夢から醒めれば冷たい現実が突き付けられ、和泉はどうしようもなく大っ嫌いだった

身体が冷汗でびっしょりだ。動悸も激しい。和泉は伸びきってしまった髪の毛をかき上げる

嫌な夢だった。否、夢だと思いたかった。アレは夢なんかじゃない、現実だと和泉は嫌でも思い知らされた。いくら触れる事が出来なくても、楽しく会話が出来なくても、確かに和泉の目の前で惨事が起きてしまった

紫蝶美莉という人間は確かに存在している。長年ずっと見続けていれば彼女の住む家の所在地も家族構成も全て把握出来てしまう。しかし、自分と少女は同じ世界ではなく別の世界にいると―――漠然だが、そう思っていた。昔、祖母が和泉に「この世には、様々な世界が存在して、沢山の人間が同じように生活しているんだよ」と昔の和泉には少々理解しにくい言葉遊びをよく聞かされていた。今の和泉なら祖母の言葉遊びの意味が分かった気がした。どうして夢の形で出会えたのかは置いておくとしても、お互いこうしてちゃんと生きている。生きているのに

だからこそ、和泉は否定したかった。今自分が目覚めている間にも、少女の命が消えていく。和泉の瞳には大量の涙が零れ始める。長年溜まった鬱憤も含めた涙は彼の意思関係無しにブワッと頬を伝い、布団に染みを着ける。嗚咽が口の中に零れても悲鳴が迸っても頭を掻き毟っても何も事態は変わらない。和泉は己の無力さを怨んだ

そんな時だった





全テヲ覆ス力ガ欲シイカ?







不意に聞こえた不気味な声

ドクンと高鳴る、彼岸花の模様が書かれた自分の胸

同時に彼岸花の模様が、熱くなり始めて―――






全テヲ覆シ、己ノ大切ナ光ヲ守リタイカ?

大切ナモノヲ守ル為ニ、全テヲ失ウ覚悟ガオ前ニアルカ?

非情ニナッテモ、修羅ニナッテモ、大切ナ光ヲ守リ通ス強イ意志ガオ前ニハアルノカ?







「――――ま、もり…たい」





声を出すのは、いつ振りだろう

何年ぶりに発した声は情けないくらい、掠れた声だった






「…………たす、け……たい…あの…子を………た……すけ…たい……あ…の子、は…俺の………大切な、ひかり…だから…」





幼いままの和泉の心

少女と共に成長してきた心

ボロボロだった心が少女の存在のお蔭で原形を止どめていたが、それでも危うい脆かった心は先程の夢で簡単に決壊した

死んだ虚ろな目の先に見えるのは少女の笑顔

あの少女の、美莉の、美莉の笑顔がまた見れるなら何だってしてやる。喩えこの声が悪魔の声だとしても。今の和泉には、壊れてしまった和泉には―――何が正しくて何が駄目かなんて、正常な判断が出来なかった

そう、だから―――






「頼む、あの子を……美莉を、助けてくれ……!」
























(御意と、誰かが囁いた)











「――――――……だあああああっ!終わらないぃぃぃ!」




バザァァッ、と資料が沢山乗っている机にうなだれるのは先程の少女

聞こえてくるのは外で部活に勤しむ生徒達の活気ある声。窓から見える景色の中に走り込みをしているどっかの部活が一生懸命走っている。やー皆よくやるなぁとしみじみのんびり呟きながら、仕方無しに手を動かし散らばった資料を纏める

誰もいない生徒会室で、少女は一人黙々と作業をしていた




「ううう…お腹減った…くっそォォ副生徒会の分際でこの私に仕事を全部押し付けるたァいい度胸をしてるぜフッフッフ……うううお腹減った…」





ブツブツと念仏を唱えるが如く呟きながら、しかししっかり黙々と作業している少女の隣りには―――和泉の姿

本来だったら副生徒会長が座るはずの机に腰を掛け、窓の外の光景を眺めながら耳はしっかりと少女の声を聞いている

彼はこうして少女の隣に必ず存在していた。誰も気付かないだけで、誰も知らないだけで







先程と全く同じ夢だ。こうして少女は用事も何も伝えてこなかった副生徒会長に恨みつらみを呟きながら仕事をして、次は時計に気付いて慌ててこの教室から出ていくのだ

巻き戻しでもされたような、そんな夢。吸い込まれる様に眠りについた和泉を待っていたのは授業を終えて生徒会室に向かっていた少女の姿。我が目を疑いながらも、和泉は先の事に怯えつつ巻き戻しされた夢の続きを見続ける








「ううう…お腹減った…」

「(…そうだな。お前、いっぱい頑張ったもんな。そりゃ腹も空くだろうな)」

「でも体重が、体重が気になるのよォォ!体型は変わってないのになんで、なん……ううう…」

「(別に体重くらい気にしなくても変わってねーよ。むしろ胸に体重がいってんだよ。成長期だ成長期、胸の成長期だ)」





こうして彼女の呟きを、隣で返事を返すのも、彼の貴重な日常でもあり、先程と全く同じ行動(※ナチュラルにセクハラ発言していますが本人全くの無自覚です)。画面を見る夢であっても、和泉は同様に少女を労い、少女を温かく見守っていた


―――しかし、予想しない事が和泉を驚かせる







「ええい!めんどくさい!美莉ちゃんは堪忍袋の尾が切れそうだよ!空腹でもうライフはゼロよ!(バァァン!」

「(!)」

「生徒会長紫蝶美莉!只今より職場放棄を決行!こんなお仕事なんて明日に放棄!放棄ったら放棄!副会長に全てを押し付けるのだよわたくしは生徒会長としてやってはいけない禁忌を犯すのだハッハッハ!」

「(―――――………ッ)」







そうと決まればさっさと帰るに限るのだよいざマイホームへバックホーム!、と意気揚々と本当に仕事を放棄する気満々で身支度を始めた少女に和泉は驚きを隠せない

今までこんな事があっただろうか。仕事を途中放棄するなんて。いや、そんな事よりも何より和泉を驚かせたのは―――変わっているのだ。夢の流れが



――――しかも






「おーい、美莉ー!」

「おー、マイフレンドー!」

「どうしたのー?まだこの時間は生徒会室にいるんじゃなかったの?」

「あはー、わたくしはもう全てを放棄して我がマイホームでママンの夕飯を食べる為に帰宅しようかと思いましてですね」

「あぁ、なるほど。お腹が減って全て放棄しちゃったのね。まあたまにはいいんじゃない?ここんとこ頑張っているみたいだし。んじゃたまには一緒に帰りましょ〜か!」

「おー!」



「(―――――…」)






学校の昇降口を出ようとした少女にタイミング良く現れたのは、彼女の同じクラスメイトであり、昔ながらの幼馴染み

久々に一緒に帰宅出来る事が嬉しいらしく、二人は楽しげに笑い合いながら歩を進める。そして少女は和泉の隣を通り抜けた。和泉の大好きな笑顔を、満面に浮かべながら―――……













夢の流れが変わった

少女に笑顔が戻った

歴史が変わった

和泉が望む未来になった






―――願ってはいけない事だと知らずに











「(―――――…美莉…)」





何も知らない和泉は、少女の名を呟く

二人の後ろ姿を―――安堵の表情を浮かべ、溢れる涙を堪えながらいつまでも見守り続けるのだった









崩壊していく時空間



20120729
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