な  ん  で


その言葉を何度繰り返したことか







難攻不落の闇屋敷。模様の進行を防ぐ為に施された様々な術式。日の光をも受け付けない、敷地内で最も奥に隠された場所。勿論、屋敷の中は真っ暗で、唯一の光は布陣から放つ淡い光。音も何も起きる事が無い静寂の世界

僅かな希望を胸に秘め、両親が自分を助け出してくれると信じていても、思いは呆気なく崩れていく。扉が開かれる事は無かった。しかし毎日必ず三食がひっそりと置かれていた。誰かが運んで来てくれているのは分かるが――――和泉にはもう、どうでもよかった

絶望だけが、彼を闇の中へ突き落とす






な  ん  で


何度喚き嘆いたか










―――――…あの日以来、和泉は陽の光を見ていない





何日、何ヵ月…何年

どれ程経ってしまったか

陽の光が入らない屋敷では、今が朝か夜かも分からない。時計という便利な物も用意されていなかった。娯楽の物も何もない真っ暗な部屋。ただ生きているだけの拷問

死にたいと、何度思ったか

積み上げてきた物が呆気なく崩壊された絶望がぐるぐると和泉を蝕む。楽しかった日常、明るかった未来、優しい家族。瞼の裏に浮かぶかつての日々を焦がれ続くも、現実が和泉をより残酷に突き刺す

過去に縋り過去に思いを寄せる。しかしその過去も風化してしまう。日が過ぎていくたびに、暗闇に心が落ちていくたびに、大切な過去がどんどん黒に塗り潰されていく

自分をこの闇に押し付けたショックも重ね、今となればもう両親の顔が思い出せない

幼い和泉には、悲しいくらい残酷な現実だった






















(しかし一筋の光が差し込む)










ある日、少女の夢を見る様になる

昔懐かしい―――あの頃を思い出させる、優しい夢を







「(―――――……)」








「ちょいとママン。ここにあるべきはずだった友達に頂いた超限定スイートなチョコレートプリンが見当たらないのだが。ママンさん知らないかいママンさんやい」

「んー、ママンさんはチョコレート食べないから分からないわねー」

「ふむふむそうですか。ならママンさんのお口の隣りにご健在なプリンの名残的な欠片が付いているのは何故でしょうかママンさんやい」

「これはアレよ、ゴマよゴマ。ゴマは身体にいいのよー。あはー」

「あはー」


ガチャッ


「おかーさーん!姉ちゃんの盗んだチョコレートプリンまじ美味かったよー………あ」

「よーしママンさんちょっとお話聞かせなさい」

「あらー。何の事かしらねーオホホー」

「ちょいまてこらァァァ!」








「(―――――…ふ、ははっ)」





夢かどうかは分からない。夢だけど、夢じゃない。瞼の裏に浮かぶ光景は、傷付いた和泉の心を癒していく

世間一般的な親子から成す会話。にしては少々言葉遊びが含まれた、面白い会話。聞いていて飽きない会話に、和泉は笑う。夢を見るまなざしは温かく、羨ましそうに

ふと脳裏に過ぎるのは自分と両親の会話。今となれば当時の会話の奥に潜む感情など忘れてしまったが、こんな面白くて冗談みたいな会話は今まで一度もした事がなかったな、と和泉はぼんやりと思う。あの頃はひたすら頑張っている自分を主張したくて、分け目も振らずに両親にその日の出来事を語っていた様な気がする。大した会話なんてしていない事に気付いた和泉はそれこそ嘲笑する。今だから分かる後悔に、ただただ胸が締め付けられるばかり

どうしようもない嫉妬と羨望が心中に渦巻くも――――その瞼の下に潜む瞳は、温かく親子を見守っていた





――――…きっかけは、そう。体内時計に身を任せ、吸い込まれる様に暗闇の中に飛び込んでいこうとした時、瞼の裏に光が灯った。なんだろう、と朧気な思考で警戒するも、久々の光は温かかった。もっと光を見たい、光を感じたいと、焦躁の思いのまま光に手を伸ばしていたら―――…光の先に、見つけたのだ

紫蝶美莉という、少女を






「(―――…美莉…)」






和泉は少女の名に想いを馳せる

伸ばす手は、少女には届かない

夢の中にいる少女は、母親にグチグチ説教をするも、軽くあしらわれ「キィィッ!」と地団駄を踏んでいる。隣で少女の妹が鼻で笑っている様に見えるのは多分気の所為ではない。すると少女は冷凍庫にあったラクトアイスを見つけた様で、ケロリと機嫌を直して美味しそうに食べていた。どうやら単純な性格らしい。母親と妹が互いに親指を立ててアイコンタクトをとっていた。勿論少女は気付かない

彼女の隣で、和泉は笑う

歳は和泉と同い年くらいだ。顔立ちは綺麗で、顔のパーツが均等に整っている。体型はスラッとしていて、長身だから足が長く、無駄にピシッと着こなす制服から伸びる足が魅力的だ(普段は地味な私服ばかりだが)傷みを知らない黒髪を無造作に後ろで縛り、活発に靡かせる。所謂美少女と言っても納得がつく容姿をしているが……お洒落には興味が無いとばかりの格好と(非常に勿体ないと和泉は思う)、目の前にある少女の行動を見る限り色々と風化してしまうものがある(綺麗な顔で惜しみ無く地団駄踏む姿はかなり異様)(だがしかしそれが彼女らしい)。ころころと表情が変わる少女の喜怒哀楽、彼女が見せる純粋な笑顔に和泉は日々惹かれていった

夢はずっと彼女を写し続けた。場面は様々で、今日みたいにプリン騒動だったり、学校内での生活の一部始終だったり、ちょっとした些細な日常だったりと、多方面で和泉の夢に写した。まるで、それはドラマでも見ているようで。何年も見続ければ少女の事なんて知らない事なんてないくらい、全て知り尽くしてしまう。それくらい和泉はずっと少女を見続けてきたのだ。夢なのか分からない、そんな曖昧なまどろみの中で






紫蝶美莉は、和泉にとって唯一の光だった






夢とかどうとか、何故ずっと少女を写し続けているのかとか、そんな事なんて最早どうでもいい

一番重要で大切な事は、彼女という存在のお蔭で今の和泉があり、和泉の理性を保てていたという事だ

もし、この夢で少女に出会わなかったら―――本当に和泉は死んでいた。精神的にも、肉体的にも

闇は人を変えてしまう。人を恐怖のどん底に突き落とし、精神を狂わし、本来の自分を見失わせる。精神的に大ダメージを食らったらそれこそ致命的だ。和泉はまさに、紙一重だった。一本の糸で張り詰めた理性は、とても惰弱で脆く、日に日に衰えていくばかり。少女という光が無かったら、彼女の笑顔が無かったら、本当の意味で「和泉」という個人精神が失われていただろう

和泉にとって彼女は光であり、太陽だ。ずっと暗い闇の中で和泉を眩しく照らし続け、いつもその笑顔が和泉に元気を与え続けた。彼女を見ていると生きる希望が湧いた。自分が自分でいれた。様々な想いが和泉の生きる力となり、和泉の心を救い続けていった





「(――――…美莉……)」






今の和泉にとって、少女が全てだと断言してもいい

幽閉され、全てを奪われ、闇に閉じ込められた和泉の、たった一つの大切な光なのだから


少なくとも今、この瞬間だけでも和泉は、幸せだった

喩え少女が映す夢の中で和泉自身が会話に入らず存在を認知されなくても―――少女を見守っている夢の間だけは、嫌な事全てを忘れる事が出来たのだから

























(崩壊の連鎖は止まらない)









夢を見た

最悪で、泣きたくなる夢を





「(―――…ぁ……)」





耳を突き刺す様な高い音

次いで、大きく鈍い衝撃音、巻き起こる周囲の悲鳴


先程までの温かい橙色の世界が、じわりじわりと真っ赤に染め上げて、全てを染色していき

自分の眼前には、ひしゃげて転がるモノが、和泉の視界いっぱいに占めて…―――――







「(…ッ……………あ………、―――――ア゛アア゛アアアァァァアア゛アアア゛ーーーーッ!!!)」










幸せは、脆いものだ

こんな簡単に、しかも残酷に壊れていくのだから









爆発した紅涙と共に



20120729
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