死柄木弔
瞼の裏に映える彼は、大きな口をニタリと曲げて笑った。顔を横に傾けると、彼の少しだけうねった髪の毛が揺れる。他の人なら、そんな彼を見て気色が悪いと笑うのだろうか。こんなにも可愛らしいのに。
「オイ」
「…ん?」
「もう寝んの?」
「んー、」
枕に顔を埋めて微睡んでいると、ふと背中を撫でられた。もう、もうすぐ脳裏に大好きな彼の姿を浮かべながら寝られたのに、私の睡眠を邪魔する人は誰だ。思いっきり眉を下げて勢いよく顔をあげると、先程まで脳裏に描いていた顔がどアップに見えて思わず悲鳴を上げそうになった。
「わぷ、」
「ハイハイ悲鳴は無しな。人が来たらだるい」
そんな私の口を塞いだのは、紛れもなく大好きな彼の手で。幻覚じゃないよねとすぐ近くにある彼の頬に手を伸ばせば、触れられた。ああ幻覚じゃない。もしかしたら夢っていう可能性もあるけど、夢で会えたのならばそれはそれで嬉しいから良しとしよう。
開かれたカーテンから射し込む月明かりに照らされている彼の背後では、窓が風を誘っていた。
「弔さん、また窓から入ってきて…」
「玄関から入ったら親にバレるだろうが」
「それもたしかに。んへへ、久しぶりですね」
私のベッドに腰掛ける彼を後ろから抱き締めれば、彼の髪の毛が丁度私の額に当たってくすぐったい。なんで弔さんはこんなにいい匂いがするんだろうか。柔軟剤の香りかな?だとしたら何を使っているんだろう。私も同じのを使いたい。そうすればいつも弔さんの匂いが側にあって、安心するだろうから。
スンスンと鼻を鳴らして、さっきよりも腕に力を込める。寂しかったんですから。1週間ぶりですよ弔さん。
「そんなに寂しかった?」
「うん、すごく、寂しかったです」
「…今日は気の済むまで一緒にいるから許せ」
「そんなこと言って、弔さんこそいたいクセに」
「あー、バレてんの」
ケラケラと賑やかに笑った彼の声が小さく部屋に響く。んあー、その声も好き。この1週間、どれだけ私がその声を聞きたくて、この体を抱き締めたくて、あなたの頬に触れたくて過ごしてきたか。弔さんには分からないんだろうな、だからそうやって平気で笑う!
「もー、1週間放置はひどい!」
「悪いって。ほら離せ、俺も抱き締めたい」
頬をぷんすか膨らませて怒ると、彼は、私の髪に手を滑らせながら抱き締めてくれる。弔さんが膝を私の方へと立て直せばベッドが鳴いた。好き、と呟けば好きと返ってきて、傍にいてほしい、と呟けば傍にいてやると返ってきて、こんな会話が毎日続いてくれれば私はとても幸せなのに。
一人の少女に溢れんばかりの幸福を注いでくれているというのに、彼は世間では俗にいう敵で、その事実に私は何回涙を流せばいいのだろう。敵なら、市民の危害を加える存在ならば、あの日車に轢かれそうになった私を助けてくれなくてもよかったのに。そうすれば私は弔さんという存在を知らないまま、天国に行くかどこぞで呑気に暮らしていたのかもしれないのに。
いつの間にかベッドに寝そべっていて、好きで好きで堪らない彼の顔は私を見下ろしていた。
「弔さんキス」
「はいはい」
彼の背中に腕を回してキスをねだると、気だるそうに言葉を返したあとに目を伏せて唇を重ねる。ヒーローを目指す私と、敵である彼は敵対関係にあるというのに何故こんなにも幸せを感じるんだろう。離れていく唇がなんだか名残惜しくて、自分から弔さんの唇を迎えると彼は珍しく困ったように笑った。
「なあ、お前さヒーローになりたい?」
「…うん。なりたいです」
「そっか」
彼の手が頬を撫でる。くすぐったいけど、笑えるような雰囲気ではなかった。何か、言おうとしている。私を見つめる弔さんが何だか泣きそうな顔をしていたから、何なら私が先に泣いてしまおうと思った。きっとそんなことを言ったら弔さんは、意味が分からないと笑うんだろうな。私の目尻に溜まった涙が、瞬きをするのと同時にこぼれ落ちて、彼の手を濡らす。
「俺はなまえが好き、だからもうここには、」
口がずいぶんゆっくりと動いたように見えた。お願い、その先は言わないで。そう心のなかで願ったけれど彼の元に願いは届くハズもなく、弔さんの言葉が何度も脳内で響いてく。
「俺はお前の将来を守りたい」
「うん」
「今日やっと、決心できたんだ」
「はい」
「立派なヒーローになって俺を喜ばせてくれ」
「…ダメですよ。敵なのに喜んじゃ」
眉はひきつってるクセにムリして笑えば、それに応えるように弔さんも小さく笑った。目瞑れ、と命令口調で言う彼の言葉に従うと額、頬、唇とキスをされる。
「これからも好きだ」
「……私もです」
ばいばい、と柄にもなく寂しそうに呟いた彼は私の頬に小さな滴を落とした。これからも私は、瞼の裏に、脳裏に彼を思い描くのだろう。触れられない虚像に何度も手を伸ばすのかな。
私は弔さんがいればヒーローになんてならなくていいんです。だから、だから。私に背を向けた彼にその言葉を言えなかったのは、私も、彼の未来を、野望を、気持ちを、全てを守りたかったなのかもしれない。前に弔さんは、お前がいると決心がにぶるなあ、と笑っていたから。
彼のことをこんなにも好きで好きで仕方ない少女に背を向けた彼は今、立派な悪役になれたのだろうか。
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