苗字名前を初めて見たのは、彼女が十三番隊に入隊して直ぐの時だった。まだ子どもと言っても違和感のない小さなその少女は、海燕に話し掛けられている間ずっと俯き気味で、案の定すぐにそれが先輩への態度かとどやされていたのを覚えている。怯えた様子で謝罪を繰り返すその姿に、随分内気な隊員が入ったのだなと微笑ましく思ったものだ。

――だからこそ、彼女が新入隊員内での演習で並み居る屈強な男達を叩きのめしたと聞いても、俄かには信じられなかったのだが。





「本当に申し訳ないのですが、その、辞退させて頂けないのでしょうか……」


そして、今。
苗字名前は畳の上で土下座していた。

目の前には一つの封書。向かいに座った海燕が、平伏した苗字に対し露骨に眉をひそめた。


「おい、自分が何言ってんのか分かってるのか?」
「は、はい」
「……ったく。前々から言ってるけどよ、オメーは自分にもっと自信を持て。あと顔上げろ」


おどおどと言った様子で苗字が言われた通りにする。長い前髪の向こう、気弱そうな目は伏せられていた。
はぁ、と海燕は大袈裟にため息をついた。そのまま、不意にこちらへ視線を移す。


「浮竹隊長も何か言ってやってくださいよ。こいつビビり過ぎなんで」
「え、」


苗字が小さく声を漏らして、はっとしたように口元を押さえる。そのままおずおずと俺の方を伺ってきた。本当に怯えているようだ。緊張しきった子どものようなその態度に、思わず笑みがこぼれた。


「そうだな、海燕の言う通りだ。苗字は実力も充分にあるから、今回の話は悪いものじゃないと思うぞ」
「え、あ、も、勿体ないお言葉を……!」
「……オメー、隊長相手に腰引けすぎだろ」
「そ、そんなことないです!」


慌てたように苗字は首を横に振るが、確かに海燕と話している時よりも心なしか態度が硬い気がした。(まあ、仕方ないかもな)随分と内向的な性格のようだし、隊長格と会話をすることに慣れていないんだろう。海燕とは幾分か話しやすそうにしているが、それは単に言葉を交わす回数が多いからだと思いたい。


「そう萎縮しないで良い。俺も海燕も、苗字になら十二席を任せられると思っているんだ」


びくりと苗字が身を縮こまらせた。恐々、といったようにこちらを見上げてくる。なんとなく小動物を連想させられる仕草だった。


「……お言葉は嬉しいのですが、その、もっと相応しい方々がいらっしゃるのでは……」


小さな震え声で、苗字がそれだけ言った。
瞬間、黙っていた海燕が不意に立ち上がって苗字の頭を鷲掴む。そしてそのまま、強い力で揺さぶり始めた。


「だーかーら、オメーだから頼んでんだって言ってんだろ!」
「あああごめんなさいすいません!って、あの、痛い、です!」
「痛くしてんだよ馬鹿野郎!いつまでもうじうじしてやがって!なんだぁオメー自分が平隊員だからって遠慮してんのかおい?」
「そ、そうですよ!いきなり私なんかがそんな上の席次なんてって痛い痛い痛い!!」
「二度も三度も同じ事を、言、わせ、ん、な!」
「おい、やめろ海燕」


思わず口を挟むと、しぶしぶといったように海燕は苗字の頭から手を放した。ぐしゃぐしゃになった髪を抑えながら、苗字がちらりとこちらを伺う。


「あ……ありがとうございます」
「ああ、気にしなくて良いぞ。……苗字、確かに急な話だったから、直ぐに結論を出せとは言わない。もう一度ゆっくり考えて、それから答えを出してくれないか?」


見開かれた瞳が、微かに揺れた。一瞬目が合ったかと思うと、すぐに視線は伏せられる。やがて、はい、と小さな返事が聞こえた。






「随分内気なんだな」


苗字が出ていってから、なんとなしに海燕に話し掛ける。誰とは言わなくても、それが苗字の話だという事は分かったらしい。表情にあからさまな呆れが浮かぶ。


「内気なんてもんじゃないっすよ、あいつは。実力は同期の中でダントツな癖に、普段は人の顔すらまともに見ないんですから」
「……やはり、君から見ても苗字は優秀か?」
「だから隊長も承認してくれたんじゃないですか、推薦」


確かにそうだ。空席となった十二席に、海燕がいきなり席官ですらない平隊員を推薦した時には何かと思ったが、報告書を見る限り実力も実績も充分で、副隊長自らの推薦を承認しない理由はなかった。それに、海燕が何の理由もなく席官に人を推薦するとは思わなかったというのも大きい。


「まあ、そうだな。しかし、俺は普段の苗字の様子を殆ど知らないから」
「あー、そういう事っすか」


納得したように数度海燕が頷いた。そして、にっと気の良い笑みを浮かべる。


「それなら、一回あいつの実技演習見てみた方が良いですよ?あんなチビが、デカい男どもを端から叩きのめしていくのは結構見物ですから」
「はは、想像できないな」
「俺も最初は信じられなかったっすからね」


その楽しそうな様子に、なんだかんだ言って海燕も苗字を心から評価しているんだということがはっきりと伝わってきた。
近い内に演習風景を見に行こう。あの気弱そうな姿を思い出しながらそう心に決めると、知らず知らずの内に自分の口元にも笑みが浮かんできた。


内気な新人
(将来有望な若い奴等に恵まれて、俺は幸せものだな)










十三番隊が好き。
そんな感じで楽しく書いていたもの。


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