人間のものとは明らかに異なる、青白い肌。上に跨り、首に手をあてがっても体温なんて感じない。どうしてこんなに命の存在が希薄なんだろう。(本当に、生きてるのかな)手に持ったナイフで、首筋に線を入れる。一瞬置いて、ふっと赤い線が浮かび上がった。体内から放たれた血が、小さな傷痕から溢れだす。

「閣下にも、血、流れていたんですね」

「……一応、ね」

「あ、お目覚めですか」

ふっとアルケインが息を吐くのに合わせ、私の手の下で喉が動く。(ああ、生きてる)当たり前、かもしれない。この人が死ぬなんて有り得ないことなんだから。

「名前」

「何でしょうか、閣下」

「どうして僕は君に組み敷かれているんですか?」

「もしかして、こういうのはお嫌いでしたか?」

「……痺れ薬とナイフの組み合わせは、僕にはちょっと刺激的過ぎますね」

どこか白々しい言葉に笑って、首筋の傷に触れる。指先に触れる微かな粘り気と、冷たい感触。不思議だ、私と同じ色をしているのに、身体を流れる血には温度が存在しないなんて。

「閣下のお身体はどこも冷たいですね」

「心臓が止まっていますから」

それなのに、生きている。
本当、どうやったらこの人は死ぬんだろう。首を取られても全身燃え尽きても、何にもなかったかのように直ぐ元通り。
(あ、もしかして、)全身の血を抜き取ったら死ぬんじゃないだろうか。ふとそう思って、首筋に付けた傷の上からもう一度、今度は力を込めて刃を走らせた。「っ!」瞬間、多量の血が辺りに飛び散る。床に、ナイフに、アルケインの肌に、私の腕に。戦場で嗅ぎ慣れた鉄の香りが、普通鼻腔に届いた。返り血に赤く染まった指で、つけたばかりの傷を無造作に広げる。赤黒い、断面図。このまま、このままこの傷を引き裂いて血を全部抜き出してしまえば、

「……っ、ぅ」

アルケインの口元が、苦渋に歪んだ。途端、首筋の傷が埋没するように薄くなり始める。
「あ、」駄目、消えちゃう。そう口にする前に、それなりに深く刻んだ筈の傷痕は完璧に白い肌へ戻っていた。

「……治った」

「そういう身体なんですよ」

「知ってますけど、そんな直ぐ戻るんじゃ閣下を殺せないじゃないですか」

「僕が不死だって事も知っているでしょう?」

失血死は諦めて、アルケインの血がついたナイフを床に投げ出す。堅い刃と床がぶつかり、軽い音が室内に反響した。

「首を落とされても駄目、消し炭にされても駄目、失血でも駄目だなんて」

「名前」

「じゃあ、酸欠でしょうか。閣下はお喋りするんだし、もしかしたら酸素がなくなったら死ねるかもしれません」

「名前」

強く名前を呼ぶ声に、心臓が一度波打った。首に手を当てた状態のまま、私の下に横たわるアルケインを黙って見やる。

「昨日の話のせいで、君はこんな事をしているんですか?」

「……さあ、どうでしょうか」

「こんな事したって、何も意味はないですよ」

「こんな事?」

「どうやったって、僕は死ねないんだ」

(まるで、諭すような口振りだ)仮面に隠れて読み取れないアルケインの表情を眺めながら、浅くため息を吐く。

「……知ってますよ、そんな事」

何年貴方の部下やってると思ってるんですかと、小言で付け足した。本当、非情な人だ。私はその間、ずっと貴方に焦がれていたというのに。

「知って、ますよ」


だから、


「だから昨日、頼んだんじゃないですか」

「……僕に、殺して欲しいって?」

「ええ」

アルケインが喋る度、喉元に当てた手から振動が伝わってくる。背中を丸めて、横たわるアルケインと目を合わせた。勿論、本当に目が合っているのかなんて分からないけど。

「その一週間前には、貴方と同じ身体にして欲しいとお願いしました」

「……そうだったね」

「貴方と共に、永遠の闇を歩きたいと」

全部、断られましたけどね。
心の中でそう付け足して、小さく息を吐く。そのまま、思い切り腕に体重を掛けた。

「……っ!」

弱い抵抗が腕を伝わってくるが、構わずにその首を締め続ける。アルケインの口が苦渋に歪み、ゆっくりと腕を持ち上げようと動いた。すかさず指を狙って蹴り飛ばすと、骨が間違った方向に折れる感覚と共に抵抗が一瞬緩む。その隙に、更に手に体重を乗せる。


「ねえ、どうしてなんですか」


無意識の内に、口から言葉が零れた。


「どうして私を殺してくれなかったんですか。どうして私を不死にしてくれなかったんですか。どうして私の命を閣下の為に使わせてくれないんですか」


言葉を吐き出して、アルケインの首を締める手に力を込め続けた。弱い力で脱しようとするアルケインを見下ろしていると、ゆっくりと心臓の奥の部分が揺らいだ。
瞬きをした瞬間、視界が何かに滲む。堰を切ったように、ぼたぼたと熱い水が手に零れ落ちた。それでいて、弱い力で脱しようとするアルケインを頭のどこかで冷静に見下ろしている私がいる。


頭が、顔が、思考が、涙が。
私の一部はこんなにも熱いのに、何で、この人の身体のどこにも熱はないんだろう?


「閣下の手にかかって死ねないのなら私の命なんかに意味はないんですよ。だったら、ずっと一緒にいさせてくださいよ。だって私が死んでも閣下はずっと生き続けるじゃないですか、ずっとずっとずっとずっと一人で生きるんじゃないですか」



私は、何を言っているんだろう。



「閣下はお一人が嫌いでしょう。それなのに、駄目ですよ……だからずっと一緒にいたいのに。閣下を、置いていきたくないのに」


嗚咽が込み上げてきて、上手く喋れているのかも分からない。喉の焼ける感覚に、小さく咳き込んだ。息を無理やり吸い込んで、自分が何を言っているのか分からないまま言葉を続ける。


「……っ、ねえ、何で私はただの人なんですか、どうして貴方とずっと一緒に生きられないんですか許してくれないんですか!永遠の闇なんて知るもんかそんなものより閣下を一人でそこに取り残す方がずっと辛いんだって何で貴方が分かってくれないの!!」


いつの間にか、首を締める事を忘れていた。(ああ、早く、閣下を殺さなきゃ)(無理だと分かっていても、閣下を置いていかない為に、早く)


「……嫌だ……」


早く、この人を殺さなきゃ。
分かっているのに、手に力が入らない。
アルケインの上に崩れ落ちて、縋りつくように襟首を掴む。世界が歪んで滲んで、何も見えない。



「貴方を、置いていきたくないよ」



この世界はあまりにも残酷で、

孤独で、辛くて。




「……ずっと一人なんて、寂しいよ……」




貴方が永遠に一人きりなんて。

そんなの、駄目に決まっている。



私は、何を言ってるんだろう。
意味もないのにこの人を殺そうとして。かと思ったら、子どもみたいに泣きじゃくって。本当、私は何がしたいんだろう。こんな事したって何にも意味はない。そんなの、分かっているのに。


「名前」


小さく、私を呼ぶ声。
温度の無い手が、ゆっくりと私の背中を撫でる。(ああ、薬、切れちゃったのかな)呆然とした頭で、遠い世界の話のように理解する。


「済まない」

「……何で、閣下が謝るんですか」

「……済まない」

「閣下は、何も悪くないですから」

「今、君を苦しめている」


済まない、もう一度、アルケインは私に謝った。それがどうしようにもなく辛くて、必死に首を横に振る。「……っ!」ぼろぼろと涙ばかりが零れて、ああ、このままじゃ閣下のお洋服を汚してしまうのに。それなのに、私を弱く抱くアルケインの腕から離れられなくて、

「……ごめんな、さい」

「大丈夫」

「ほんとう、ごめんなさい……」

「大丈夫だから」

もう、何も言葉に出来なかった。アルケインの服を掴んで、ひたすらに嗚咽を漏らす。この人に謝らせてしまったのが申し訳なくて、どうにもすることが出来ない自分が憎くて。だって、これだけ泣いたって、アルケインは私に永遠の闇を歩かせてくれる事はないんだ。







このまま消えてなくなりたい
(最初からなかったみたいに、貴方も巻き込んで、全て)
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