テントの群から少し離れた場所に来ても、兵達のどんちゃん騒ぎははっきりと聞こえてくる。
先程までは自分もそこにいたのだけど、同じように騒ぐ気分にはなれなかった。

資材置き場まで歩いてきて、そこに置かれていた木箱の上に腰を下ろす。
見上げれば、深い色をした空。
雲一つない夜空を見上げて、小さく溜め息をついた。

戦争が終わった。
望み得る限り最良の形で、我が国がこの大陸の覇者となった。

それでも、それを素直に喜べない自分がいるのが事実だ。
理由なんて分かりきっている。
それは、とても自分勝手な理由だけど。


不意に、かさりと土を踏む音がした。


「……ここにいたのか、名前」

聞き慣れた声に、星から視線を移す。
暗闇に溶けるようでありながら、確かな存在感を放っている影。
夜の世界の住人なのだと誰かが言っていたが、なるほどその通りだ。
こんなにも夜が映える人間は、絶対に存在しないだろう。

「アルケイン様、こちらにワインはありませんよ」

私の言葉に、アルケインが微かに笑った気配がした。

「知っているよ。こんな夜にワインが無いだなんて、君も勿体ない生き方をするね」

そう言って掲げた右手には、ワインボトルが一本握られていた。
左手にはグラスが二つ。
……付き合え、ということらしい。

こちらへ近づいて来ながら、器用にグラスへとワインを注ぐ。
差し出された一つを私が受け取ると、アルケインは隣にあった箱へと腰を下ろした。

「……お召し物が汚れます。中にお戻りになられた方が」

「構わない。僕がここにいたいだけだ。ほら、グラスを掲げて」

言われた通りにグラスを持ち上げる。
アルケインの楽しそうな笑みが、月明かりに照らされて見えた。

「君と、君の功績に乾杯しよう」

「ネクロスの勝利に、が今夜は一番相応しいかと思いますが」

「君の功績もネクロスの勝利も、本質的には何も変わらないさ。さあ、乾杯」

「……乾杯」

ぶつかったグラスが、軽い音を立てた。

一口ワインを含むと、上品な香りと風味が口に広がる。
ワインは詳しくないけれど、多分かなりの上物だろう。飲んでしまうのは勿体ない。
グラスを持ったまま横目でアルケインを見ると、先程の私と同じように空を見上げながらワインを飲んでいた。
その横顔は半分以上仮面に覆われ、その感情を推し測るのは難しい。

ふと、アルケインがこちらを見る。

「どうかしたのか?」

別に、何もない。
そう答えるのも違う気がして、話し掛ける言葉を頭の中で探す。

「……戦争が終わりましたね」

「ああ、案外短く終わったな」

そうだったのだろうか。
ただ単純に、アルケインにとってこの世界の事象は大抵一瞬に過ぎないだけかもしれない。

でも、確かに。

「私にとってもあっという間だったです。……アルケイン様に拾われてから、もう随分経ったんですね」

自分の言葉が、独り言のような響きを持つ。

この人に拾われる前、私は獣に等しい状態だった。
整った言葉もワインの味も、何一つ知らなかった日々。

「今更ですが、私を拾ってくださってありがとうございました」

「……いや、僕が勝手にした事だ。実際、君は期待していた通りの働きをしてくれたしね」

「闘う事しか、私には出来ませんから」

それ以外のものは、全てアルケインが与えてくれたのだから。
俯いて、腰に差した剣を左手でなぞる。
私が唯一、アルケインに報いる事ができる場所。
戦場でしか、私に価値はない。


「私はもう、必要ないですね」


絞りだした声が、途中で擦れる。

戦争は終わり、この大陸には幾許かの平和が訪れる。
アルケインが私に期待してくれていたものは、その未来の中で価値を持たないだろう。

それならもう、この人の世話になる事はできない。

俯いたまま、アルケインの言葉を待つ。
戦争が終わった瞬間から怖れていた、別れを告げる言葉を。


「……名前」

そうやって、名前を呼んでもらえる事もなくなる。
続きの言葉を覚悟して、目を強く瞑った。


それなのに。



「一体、何を言っているんだ?」



驚いたような声に、思わず顔を上げる。
予想していなかった反応に言葉が出てこないが、それはアルケインも同じようだった。

「何を、って」

「まだ仕事は沢山残っているだろう。
どうして必要ないなんて言うんだ?」

「もう戦場が終わったから、私ができる事はないんじゃ……」

「……君は時々、一番大切な事を忘れるな」

呆れ返ったように、アルケインが言う。

「まだ、大陸葡萄畑計画が残っているだろう」

「…………は?」

「まさか忘れていたのか?」

いや、忘れていない。
むしろ大陸中を葡萄畑にするなんて計画、嫌でも忘れられない。
忘れる訳がない、けど。

「……私、農作業とかやった事ありませんけど……」

「やった事がないなら覚えれば良い。最初に会った時、君はナイフの使い方だって知らなかっただろう?」

それはそうだけど。
もしかして、まだアルケインといて良いのだろうか。
予想外の展開に、実感がまだ湧いてこない。

「それとも、君はこれ以上僕の所にいるのが嫌だと言うのか?」

「え、いえ、違います!そんな事ある訳ないです!」

反射的に答え、すぐにはっとして声のトーンを下げる。

「……私は闘う事しかできないから、もうアルケイン様のお側にいるなんて無理だと思っていました」

私の言葉に、アルケインが動きを止める。
暫しの間黙り込み、やがて深く溜め息をついた。

「君は一体僕をなんだと……まあ良い。悪いが、まだ君を逃がす気はないよ」

「逃げたりなんてしないです」

即答すると、アルケインが苦笑を漏らした。
グラスに残っていたワインを飲み干して、また新たに注ぐ。

「それなら、そんなつまらないジョークは言うものじゃない。こんな素晴らしい夜なのだから、尚更だろう?」

「……はい」

私の返答に、満足したようにアルケインは頷いた。



――ああ、確かに、今夜は素晴らしい夜なのかもしれない。





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