桜も散り終えた春の終わり。
そんな出会いの季節ギリギリに、彼は現れた。
01
人のいない道。自分の足音だけが、いつもより速いペースで私の耳に届いてくる。気付かない内に、私は早足になっていたらしい。まあ、その理由は分かりきっているけど。
いつものようにやって来たのは、人気の無い寂れた公園。わざと入り口を避けるようにしながら、公園を取り囲むフェンスへと近寄る。草の蔦が張り付いたそのフェンスの隙間から、公園の中を覗き込んだ。
錆びたブランコ、塗装の剥げた滑り台、鉄棒や雲梯、砂場の跡――
――どこにもいない。
小さく溜息を吐いて、私はフェンスから顔を離した。
私の奇妙な行動を説明する為には、数日前の放課後にまで遡る必要がある。
私が通学路としている裏道は人気が異様に少なく、近隣の小学校では児童が通学路として使うことを禁じている程らしかった。まあそんなことは高校生の私には関係ないので、近道であるその道を毎日使用している。
そんな、いつも通りの放課後。
いつも通りじゃない何かが、視界の端で揺れた。
(……え?)
思わず立ち止まったのは、ここ数年使われていないであろう公園のすぐ傍。(今、絶対何か中にいた!)湧き上がってくる好奇心のままに、蔦に覆われたフェンスへと近づく。隙間の向こう側、公園の隅に置かれたベンチに、その“何か”は座っていた。
まず目についたのは、肩程まで伸びたくるくるの髪。手入れはされてなさそうだけど、ここから見ても柔らかそうだと感じるブラウンだ。明らかにぼーっとしていますといった風体のその人の顔は、髪の影となってしまっていてよく見えない。多分、骨格と身体の大きさから見て男の人だろう。
くたびれたYシャツ、ぼろぼろのジーンズ。足元には、これまた古ぼけた茶色のボストンバック。
伸ばしっぱなし(っぽい)の髪。
くたびれた格好。
こんな時間に、無人の公園にいる人物と言えば。
(……ホームレス、だよね?)
多分そうなんだろう。実際には初めて見た。
それにしても、不思議な外見の人だ。
髪は染めているようには見えないし、外国の人なんだろうか。それなら、どうしてこの街のこんな所にいるんだろうか。
人を見世物のように扱うのが悪いことだなんて、言われるまでもなく分かっている。それでも、更に好奇心が沸いてくる。
まるで目の前を過ぎていった珍しい蝶を、思わず目で追いかけてしまうような。
日常に現れた異変なんてものに興味が湧き上がるのは、私にとって至極当然のことだった。
それからというもの、公園の近くを通る度にフェンスから覗き込むのが習慣となった。朝はいつも見当たらない。私が学校から帰るちょうど夕方頃、その人はよくベンチに座っていた。
最初に見たときのように、ぼーっとどこかを見ていたり。そこに住み着いている野良猫と戯れていたり。
私はそのな様子を適当に眺めて、適当な頃合に帰る。
他人の生活を垣間見ているような、微かな優越感に背徳感。決して褒められたものではない感覚が、毎日のちょっとした楽しみになっていた。
――でも、今日はいない。
はあ、ともう一度溜息を吐く。
もう帰ろうかと伸びをしたが、ふと、とある考えが脳裏を過ぎった。
なんとなく周囲を確認する。誰もいない。
一瞬だけ躊躇したが、好奇心が執拗に私の背中を押してくる。(うん、少しだけ、少しだけだから)帰路の代わりに、普段は向かわない公園の入り口へと足を進めた。
公園の中は、外から見たものと変わらずボロボロだった。雑草も伸び放題で、子供の遊び場とはどうにも言いにくい状態。あの人は、ここに寝泊りしているんだろうか。気になって辺りを見渡したが、その痕跡らしきものは何もない。その代わりに、入り口からは見えにくい場所に屋根付きの簡素な休憩所みたいなものがあったから、もしかしたらそこで生活しているのかもしれない。そうだとしても、生活観は皆無だけど。
ふと聞こえたか細い声に、思考が中断された。声の方へ目を向けると、あの人がよく撫でている猫が近くの木陰に寝転がっている。ゴキブリホイホイならぬ私ホイホイのその姿に、自然と足がそちらへと向かう。
だって私、猫派だし。
綺麗な茶色の猫は、人に慣れているのか、私が近寄っても逃げなかった。傍にしゃがんで、こちらをじっと見てくる猫の首を軽く掻いてみる。気持ちよさそうに目を細める猫に、こちらの頬まで緩んできた。
「……可愛いなぁ……」
思わず呟いて、猫の首元を掻き続ける。猫の方も気持ちよさそうに顔を押し付けてきて、幸せな気持ちでいっぱいになってきた。
ああ、猫最高。
その時、いきなり猫が目を開けた。
唐突に立ち上がり、するりと私の脇をすり抜けて行ってしまう。
その動きを追いかけるように振り返って、猫の行き先へと無意識の内に視線を移す。
瞬間。
呼吸が、止まった。
公園の入り口に立つ、長身の姿。
一方的に見慣れていた長い髪と、くたびれた格好。
微かな驚きを孕んで私を見ている、綺麗なグリーンの目。
(……う、わ)
場違いにも、その容姿の端麗さに息を呑む。
髪なんてよく見たらぼさぼさなのに、よく見ないと気付かないくらい容姿が整っていて。
猫が男の元に駆けて行って、足元にすり寄る。
男は私から猫へと視線を移し、また私を見た。
「……猫、好きなんですか?」
一拍遅れて、それが私に対しての問いかけだと気付いた。(あ、きれいな声だ)呆然とした頭が焦りと緊張に押し流されて、何かを考える間も無く素直に口を開く。
「大好きです、けど」
その言葉を聞いた途端、男が嬉しそうに頬を緩めた。
「僕もなんです」
――驚くほど優しい笑顔と、声の響き。
出会いの季節の終わりに。
そんな風にして、私は彼と出会った。
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111029