「私と恋仲になれ、異論は認めない」
「……」
「返事は!!」
「えっ、はい」
「……ああ」
「…………え?」


私と石田くんの始まりは、そんな、酷く滑稽なものだった。一応記しておけばそれが初対面だったわけではない。高校一年の六月、中高一貫の我が校で私と石田くんは四年間同じクラスになるというミラクルのお陰でずっと顔見知りではあって、むしろ顔見知りでしかなく、更にいえば私は彼のことを少し避けていたかもしれない。石田くんは良くも悪くも目立つ人だ。すらりと背が高く、見ていて不安になるほど痩せていている。授業態度は真面目過ぎるほどに真面目だし、運動神経も成績も、そして恐らく見目も良い。しかし、何分怖いのだ。石田くんという人は。目付きの悪さと言ったら過去に何人か殺ってるんじゃないかというレベルだし、愛想なんて無きに等しく、徳川くんに怒鳴り散らしている時なんて関係ない女子が涙目になる程、もう、怖い。近寄ったら殺されそう、私が石田くんに抱いていた感想はまさしくそれだった。
それ故に私は石田くんと大した会話をしたことがあるわけでもなく、ましてや同じ吊り橋を渡ったわけでもない。それが何故、こんな可笑しなことになったのか。人違いだとしか思えないが、どうやらそうではないらしく。そもそも怒鳴り付けられて思わず頷いてしまっただけなのだがそんなこと言えるわけもなく本当何で私なんだとかそもそもその口説き文句以下の何か一体何なんだとか色々その場で思考がぐるりとしたものだが、三ヶ月経過した今、何故か私達は未だ恋仲だった。



12時18分。昼休み直前のこの時間は集中力も切れるしお腹も空くし、とにかく憂鬱極まりない時間だった。机の下でそっとスマホの電源をつけ、昨日今日と何度目にしたか分からないカレンダーを開く。今日は水曜日、そう、水曜日。間違いようにない。石田くんは生徒会に所属していて、その活動がある火曜と木曜はお昼を一緒に食べられない。そして、今日は水曜日。
別にいつもいつもこんなに石田くんのスケジュールにびくびくしている訳ではない。月水金はいつも石田くんと一緒に食堂に行って一緒にお昼を食べる、それだけ。たまにそれに長曽我部くんが混じって冷やかされて石田くんが怒ったり徳川くんが混じろうとして石田くんが怒鳴ったりするけれど、まあ、高校男女が一緒にご飯を食べていればからかわれるのは当然だろう。石田くんは私との仲を隠さない。理由は聞いたことはないけれど、彼は隠す必要性を感じていないように思われた。好奇の目など石田くんは気にも留めない。
そして当然、そんな目が私のことは放っておいてくれるという訳もない。近い場所からか遠巻きにかで、その視線の意味は大きく違ったけれど。




「何で石田なんだ」


そう直接言ってきたのは、いつだって眩しいほどに真っ直ぐ私に接してくれる友人で。


「この三年間、お前はあいつの何を見ていたんだ」
「かすが、石田くんは悪い人じゃないよ」
「だとしても、あいつを恋人にしてお前が幸せになるとは思えない!まさか、怒鳴り付けられて断れなかったんじゃないだろうな」
「違うって」
「じゃあ一体何故……もしかして、元々あいつを好いていたのか?良いか名前、確かにあいつは顔だけは良いかもしれないが」
「違う違う」


思わず笑って否定したが、結局かすがは納得した様子を見せなかった。
似合わない組み合わせに見えるだろうことは自覚している。それこそ、溜め息でも吐きたくなる程に。



鳴り響くチャイムの音に、はっと現実に引き戻される。委員長の号令に従って立ち上がると、机の横に掛けた青い手提げ袋が目に入った。改めて見ると、胃にのし掛かるような不安が一層重くなったように思えた。

その中身は、二人分の弁当箱。
無論昼食用と夕飯用というわけではない。紛うことなく、私と、石田くんの二人分だ。

普段ただぼけっと会話をしたり時間を共にしてたりしているだけだからせめて何か彼女らしいことをしようと思った結果がこれなのだが、人間らしくないことはするべきじゃないという先人の知恵が今更ひしひしと脳天に突き刺さってきている。朝早起きしてせっせとつくったという事実だけで顔を埋めたくなるというのに、愚かな私は何のおかずを入れようかとか上手くつくれるだろうかとかそんな雑念に埋もれている内に石田くんに連絡をするのをすっかり忘れていたのだ。まず私の手料理なんて食べてくれるのかさえ不安なのにアポなしって。過去の自分を呪いたいような気持ちになりながら、委員長の毅然とした声に合わせて形ばかりの礼をする。
いつまでも現実逃避をしていても仕方ない。いざとなったらお弁当は持ち帰っていつも通り食堂に行けばいいのだ。一度深呼吸をし、石田くんの席の方へと視線を向ける。すると、丁度教科書やノートを仕舞ったらしい石田くんが、常通りの仏頂面でこちらへと向かってきた。すれ違うクラスメイトはつかつかと歩く石田くんにちらりと視線を向けるが、すぐに目を逸らす。不躾に見ていたら殺されるとでも思っているのだろうか、気持ちは分からなくもないけど。そうこう考えている間に私の席まで石田くんが来たものだから慌てて立ち上がる。いつものことながら、石田くんは私と目が逢おうとにこりともしない。


「行くぞ」
「あ、いや、今日は」


お昼、持ってきたんだけど。そう言って、恐る恐る机の端に掛けていた荷物を手に取り、持ち上げて見せた。石田くんの鋭い視線がそれに注がれ、注がれ、たっぷり三秒経過。


「……それは」
「お弁当」
「……」
「私のと、石田くんのと。その、黙って持ってきてごめんっていうか嫌なら勿論良いかえっ」


不意にがしりと手を握られ声が裏返る。わー石田くん大胆、とか頭の中の誰かが阿呆を抜かす声がしたが、どうやら石田くんは私の手ではなくそれが持つ手提げを握ったつもりらしい。石田くんの酷く冷たい肌の感触を味わったのも一瞬、すぐに鞄が手から奪われた。驚いて石田くんを見上げるとその細い目は目一杯丸く開かれていて、どうしたのだろうまさか毒を盛ったとでも疑われているのかいや違うんです私は無実ですああどうしよう無言が痛いとか思い出した瞬間、唐突に石田くんが今度は私の腕を強く掴んだ。声をあげる間もないまま、石田くんが私を引っ張って歩き出す。流石に驚愕を隠せなかったのか、クラスメイト達がぽかんとこちらを見ているのが視界の端を流れて行った。
お弁当は、勿論奪われたまま。


「い、石田くん、どこ行くの。食堂逆だけど」
「構わない」
「え」
「……弁当を食うのに、食堂に行く意味などあるか」


いや食堂でお弁当食べる人もいるよ、というかだったら教室で良かったんじゃないの。そう言いかけた瞬間、薄く朱の差した頬が見えたものだから口を閉ざす他なくて。代わりに、あ、うん、そっか、ともごもごと返事をする。腕を握る力が強められて痛い程だけれど、そんなこと、まさか言えるわけもなくて。
とりあえず、すれ違いざまににやにやと口笛と吹いてきた伊達は後で殴ると決めた。




石田くんに引っ張られるまま来たのは空き教室で、当然ながら昼休みの今は誰もいない。石田くんに片腕を掴まれたままとりあえず戸を閉めると、石田くんがはっとしたような表情を浮かべて手を放した。教室に漂うのは、どことなく気まずい沈黙。「……座る?」私の言葉にぎこちなく頷いた石田くんは、なんというか、挙動不審だ。

私が適当に選んだ机のひとつ前の席に石田くんが腰掛け、当たり前だが石田くんと向かい合うような形となる。「お弁当、貸して」「……ああ」手渡された袋を受け取り、中から順番に二人分の弁当箱を取り出した。私のものより一回り大きな弁当箱は、兄が昔使っていたものを拝借してきた。石田くんは少食だけれど、いやだからこそ沢山食べさせなければならないと。
……ああでも所詮私の料理なんだよな、普段から台所によく立つわけでもない私の……。後悔に突っ伏したくなる気持ちを抑えながら、石田くんと自分の前にそれぞれ布を敷き、弁当箱を起き、箸を傍に置き。


「め、」


ああ、私、緊張している。
ひっくり返った声を咳払いで誤魔化し、もう一度。


「召し上がれ。あんまり期待しないでね」
「……いや、戴こう」


そう言った石田くんの顔は険しく、それはいつも通りな訳だけれど、このタイミングでその表情はとても怖い。
いつまでもまごついている訳にもいかず、とりあえず自分の分の弁当を開く。何の変哲も面白味もないお弁当だ、多分。野菜も入れたし、卵焼きも、ウインナーも。鮎が好きだと言っていたから、スーパーに運良く売っていた鮎の味ぽん漬けなんてものもつくってみた。彩りもバランスも慣れないなりに気をつけたけれど、本人の目に触れた途端に胃の底を這っていた緊張が重みを増していく。石田くんの様子をちらちら窺いつつ、いただきます、と習慣の言葉を呟いて箸を取る。石田くんも同じだ。
とりあえず卵焼きを一つ口にし、もぐもぐと口を動かす。うん、普通の卵焼きだ。他に何も言えない。いやしかし私は甘いのが好きだからこのくらいが普通だけどもしかして石田くんはしょっぱい派かもしれないじゃないか。というか雰囲気からしてしょっぱいの好きそう。突如去来した不安に、石田くんの手に持たれた箸を叩き落としたくなる。
何でこんなことをしてしまったのだろう。慣れないことなんてするべきじゃなかった。こんなことになるなら、いつも通りで良かったじゃないか。石田くんを見続けるのがただ怖くて、そっと目を伏せる。
数秒の沈黙は、重力を持って私の肩にのし掛かった。


「……い」
「え?不味い?」
「違う!」


聞き返した瞬間、物凄い剣幕で否定される。そんな強く否定しなくても、と思いながら顔を上げた途端に般若さえたじろぎそうな表情が視界に入り、思わず身体と思考が硬直した。それに気づいたらしく、石田くんはどことなく気まずそうに視線を逸らす。


「誰がそのような妄言を口にするものか」
「妄言、って」
「……貴様はこれを不味いと思って私に渡したのか」
「そういう訳じゃないけど」


味見は勿論したし、つくったときにはなんとか石田くんに食べさせられる味だと思ったからこそ持ってきたのだ。色々考えているうちに無性に不安になってきただけで、不味いと思った訳ではない。けれど。


「……私にとっては美味しくても、私じゃなくて石田くんに美味しいって思って欲しくて持ってきてるものだから。やっぱり、少し心配で」


慎重に選んだ言葉を、間違えないようにしながら口に乗せる。石田くんは良くも悪くも真っ直ぐで、嘘を吐かず、自分を偽らない人だから、余計な機微だと切り捨てられてしまうだろうか。仕方ないじゃないか不安だったんだから、と半ばやけくそで石田くんの表情を見やれば、なぜか、石田くんは目を見開いたまま固まったように私を見ていた。

なぜだ。


「……あの、石田くん」
「……っ」


声をかけると、はっとしたように石田くんが僅かに身動ぐ。机を挟んでそう遠くない距離だというのに、今更ようやく目と目がしっかりと遭ったような気がした。
その瞬間、さっと石田くんが視線を逸らす。(あ、)何で、やっぱり、不味かったのか。そんな風に思考が淀みかけ、しかしすぐにぴたりと止まる。


「……旨、かった」


吐き捨てるような、石田くんの声。


「貴様がそのようにして私に渡したものが、不味い筈ないだろう」


戯れるな、と。そう言い切った石田くんの頬が、仄かな赤を孕んでいたから。




――何で、石田くんと私が。
何度も投げ掛けられたその問いに、はっきりとした答えを返したことはない。正直なところ、始まりは彼の勢いのまま頷いてしまったことなのだし。滑稽なことこの上ない、かすがに知られたらなぜその場で取り消さなかったと怒られてしまいそうだ。実際、私もそのつもりだった。


「……本当?」
「嘘など吐くものか」
「だよね……うん、えっと、嬉しい」
「……そうか」


そのつもり、だったのだけれど。

酷く恐ろしく近寄りがたい、まるで抜き身の刀身のような石田くんが、顔を真っ赤に染めていたのだ。あの時も今も同じように、顔を背けながら、それでいて言葉だけは真っ直ぐ、決して偽らずに。

こんなに透明な人が、こんなところにいただなんて。

そのいじらしさだとか、呼吸すら忘れそうになる程の無垢さだとか。彼を彩るそんなもの達に、私は、呆気なく恋に落ちたのだ。


「その……またつくって来ても良い?」
「……分かりきったことを聞くな」


かすがに説明できたものじゃないな、と。
そう思いながら触れた頬は、いつもより少し熱かった。





thx:花畑心中
20140614







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