※舞台「咎狂わし絆」ネタ









彼の不運は大抵私の不幸と同義であったが、此度に限っては幸であったと言わざると得ないだろう。そして下手な悲劇のような話、此れは彼にとっての不幸であった。



彼がいたのは小さく寂れた集落。切り立った崖の下、細い川の傍にひっそりと佇む農村であった。頬をなぞる冷たい風に目を細め、高き崖を見上げる。あのような場所から落ちた者が生き延びるなど、常ならば到底考えられぬ話だ。そう、常ならば。
其を覆すのが彼の人の不運であり、私が唯一縋りつくことの叶う幸であった。


西海は善人であった。一目見ただけで此れが彼の望みし事実である訳ではないというのは嫌でも理解できた。だからこそ私は身分を偽りあの鬼に近付き、彼と対峙した場所を聞き出した。彼なら大丈夫だと、彼が死す訳がないと。一縷の希望だけが、私の手にあるものであった。


「まさか、お前さんとまた会うことになるとは思っていなかったよ」


常にも増してみすぼらしい着物を纏い、敷かれた藁の上に座った彼は浅く笑った。その前に正座したまま、返すべき言葉を頭のうちで探す。伝えねばならぬ話は沢山あるのだ、其れこそ、こんなことをしている場合ではない程に。
彼は酷く痛々しい身形となっていた。全身に巻かれた包帯と、その隙間から見え隠れする痣。しかし、身体の何処よりも濃い痣は明確であった。
初めて会ったときから嵌められていた手枷――其れによって長年に渡り痛め付けられていたであろう手首が、隙間光の元露になっている。
ずっと望んでいた自由。しかし、彼が口許に湛えているのは、其れを手にした者の浮かべる笑顔ではない。


「崖から身を投げたと、そう聞きました」
「ああ」
「真、なのですね」
「いくら小生でも、転んだだけでこんな大怪我はしないさ」


その言葉に、唇を引き結ぶ。疑っていた訳ではない。この程度、当然の事実を告げられただけだ。分かっていようと、心の臓を冷たくする焦燥に似た感覚は収まらない。
彼は私を見つめ、小さく息を吐いた。


「帰れ。お前さんに悪いことは言わんよ」
「そうは参りません」
「小生が生きていることがバレたら一層面倒なことになる。刑部も毛利も黙っちゃいないだろうさ」


「官兵衛様は、」二度と呼ぶことのない、そう覚悟していた名前。その響きに囚われかけた心を持ち直し、喉から言葉を吐き出す。


「官兵衛様は、どうなさるのですか」


薄暗い小屋の中を沈黙が満たした。こんなとき、彼の長い前髪に覆われた表情を見抜くのは酷く難儀だ。


「……どうするんだろうな」


彼の漏らした声は掠れ、力無く。彼がそんな風な声を出すのは初めてであり、まるで嘘のように私の耳元で響いた。


「贖いの死すらロクに果たせない小生に、どうしろって言うんだ」


(――嗚呼)只、目を伏せる。どうして貴方が。そんな言葉を喉の奥に呑み込んだ。この人のことだ、自分は悪くない、そう既に何度も口遊もうとしたことであろう。其れは事実でありながら優しい毒だ。まるで冷酷な策士であるかのように、彼はそんなものを好もうとするから。
しかしそうは行かぬのだ。この人は非情であるには暖かすぎて、目を瞑るには賢すぎる。そんな仕様の無き人であるが故に、心中に罪を降り積もらせ、そのまま地を蹴った。

なんて痛ましい話だろう。
なんて浅ましい男だろう。

その芯に触れる度に私の心臓はささくれ、捩れ、上手く呼吸をする方法を忘れてしまう。何処までも、愛おしい人。



「……生きましょうよ」



零れた言葉は掠れ、自分でも聞きとれない程。



「死ねなかったのなら生きるしかありませんよ。それに、もう豊臣の枷は外れたのですよ。ね、生きましょうよ、ねえ」
「咎を背負っても、か」


ぽつり、官兵衛様が呟く。髪の隙間から覗くその瞳は昏く、黒く。其れでいて、死していない。
其れを殺したくない。私の何を賭しても、何を捨てようと。そう、心より思う。


「共に背負わせては頂けないのですか」
「お前さんのものじゃないだろう」
「だとしても、分けてください。貴方の背負う重みを、私に」


此の人は自身に忘れることを、捨てることを赦さないのであろう。そうであろうと、只、此の優しき咎人に生き続けて欲しくてて。

私を見つめ、不意に、彼は此方へ手を差し伸べてきた。枷無き無骨な手が、そっと、私の頬に触れる。官兵衛様が零した苦笑は呆れを孕み、何処か懐かしくも思う。嗚呼、きっと、この人は生きてくれる。


「……何でお前さんが泣いてるんだよ」


その暖かな手に、言葉に、漸く自分が泣いているのだと気づいた。





20140510






「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -