この世の話をしようか。
私達は、世ごと輪廻している。終わりと始まりは同じこと。幾度も幾度も同じ道を繰り返し、時には違う選択をしながらも、幾度も生きて刀を振るいそして幾度でも死んでゆく。まるで、正しき道を探しているかのように。
いつもお前は秀吉様を殺す。胸に抱いた理想の為、太平を破壊し、反旗を翻す。遺された三成は廃人となり、ただお前への復讐を胸に誓う。
その後の道は様々で、三成がお前を殺すことも、お前が三成を殺すことも、違う者が天下をとることもある。天下人となる素質を持つ者がほぼ全員死んだこともあったかな。そのときは私も巻き込まれるように死んだから、その後の世がどうなったのかまでは知らないけれど。ひとつ確実に言えるのは、幾度繰り返してもこの世の繰り返しが終わることはなかったということ。幾度も幾度も幾度も幾度も繰り返される絶望は、きっと、未だ正解に辿り着けていないということなのだろう。何がいけないのか。どうすれば終われるのか。前提から、見直す必要があるということなのか。



前提。
全てのはじまり。

それは、お前が秀吉様を殺すこと。





「だから、ワシを殺すのか。名前」
「信じなくてもいいよ。嘘みたいな話だろうから」
「いや、信じるさ。お前はそんな嘘を吐くような奴ではないと、ワシは知っている」
「……」
「ワシに毒まで盛る、その覚悟の深さもな」




幾度繰り返しても、家康は真っ直ぐに生きていた。自分に刀を向ける人間から目を逸らしたことなどなく、向けられる敵意ひとつひとつに背筋を伸ばして応えていた。三成の後ろでその視線を見たことがある。家康の後ろでその背中を見ていたこともある。
家康の視線は真っ直ぐに、こちらの心を抉る。美しいもの、正しいものは、それに相対するものに対して何よりの凶器でしかない。

そして、その目は私だけに向けられている。



「恨めばいいよ」
「恨まないさ」
「呪ってもいい」
「お前にそんなことをする筈がない。名前が早く解放されるよう、ワシは願っている」
「そう。じゃあ、死んで」



家康は私の言葉に緩く笑った。
最期まで、その目を閉じることはなかった。











私は家康のような強さを持っていないけれど、家康のような愚かさも持っていない。家康暗殺の犯人は未だ行方知れず、懸命の捜索も無駄となり。家康を殺せる人間など、例えばあの伝説の忍び――そのくらいであろうと、そういう結論となったようだ。二兵衛の二方や刑部までも騙せるのか不安だったが、結局、一番の脅威は近しい者ということだろう。
三成は家康の死に激怒し、慟哭した。秀吉様のものである命を勝手に散らしたことは三成にとって許せないことだったのだろうし、何より、本人は認めなかろうと、家康はかけがえのない友人だったのだから。それでも三成には刑部がいて、何より秀吉様と半兵衛様もいて。それに足る場所さえあれば、大抵の傷は乗り越えてゆけるのだ。前までの三成は、傷が深すぎたというだけで。


「名前、何を呆けている」
「……いや、別に。大丈夫だよ、三成」
「ならば早くしろ」


同じ秀吉様の配下として、三成は私をぞんざいながらも気遣う。私はそれを、他人事のように享受する。
三成の後ろを歩きながら、ふと、三回前の世界を思い出した。戦場で怪我をした私を、いいと言うのに問答無用で担いで行ったあいつのことを。三成の優しさは分かり難いが、それ以上にあいつの優しさは分かり易過ぎ、更にそれを当然のように惜しみなく周囲へと与えていた。今更、それが何だという話なのだが。








秀吉様は力により日ノ本を支配する。弱い者は切り捨てられる、それが秀吉様の統べる世だ。全ての民を平等に、などと言うのは詭弁であると秀吉様は知っている。切り捨てながら多くを守る強さを、秀吉様は持っている。その強さは尊く絶対的なもので、だからこそ私や三成は秀吉様に着いてゆく。


「北の方で農民が一揆を起こしていてね。悪いが、鎮圧に向かってくれるかい」
「畏まりました」
「ん、どうした。何か言いたいことでも?」
「……いえ、何も」


秀吉様の統べる国の為に刀を振るいながら、ふと、八回前の世界を思い出した。家康は絆の力で日ノ本を統べることを目的としていた。あいつの語る世界は夢のようだが、家康になら出来てしまいそうだと思わせる何かがあった。家康は綺麗事を綺麗事だと理解し、それでいて偽らず、しかし多くを語らないまま笑っていた。
あの笑顔を思い出す度、微かに喉が疼くような感覚がする。ただ、それだけ。






「大義であったな、名前。何か望むものはあるか」
「……望み、ですか」
「名前!貴様、秀吉様の有難きお言葉にそのような呆けた返事をするなど……!」
「やれ三成、ぬしはちと落ち着け」


「では、ひとつだけ、よろしいでしょうか」







暫しの一人旅の筈が、なぜか三成が着いてきた。私に着いていってやれと、半兵衛様が三成にもお休みをくれたらしい。私と共に馬を進める三成は酷く不機嫌そうだ。嫌なら着いてこなくていい、内緒にしておいてあげるからと言えば案の定怒られた。三成は分かりやすくて、一緒にいて心地好い。だからこそ共に参る気になれず、目的地に着いてから、私は三成に先を譲った。三成は何か言いたげにしていたが、「お前は私と並んで墓参りがしたかったの」そういえば、怒った三成は簡単に私の言う通りにしてくれた。
三成が墓に参っている間、私は離れたところで一人曼珠沙華を見ていた。あれは綺麗だが毒があるから触るな、私に教えたのは十四回前の家康だった。成程確かに毒々しい紅色だ。長く見入れば精神を害されそうな、そういう色。その上に、人の形をした影が差す。


「三成。もういいの」
「良い。さっさとしろ」


三成の冷たい視線に見送られながら、今度は私が墓石へと向かう。視界の外側にあの毒を持った紅がちらついているような気がして、少し気分が悪かった。小さく首を振り、見えない色を意識の外へと追いやる。完全に視界が透明になったのを確かめて、私は家康の墓に向き合った。
なぜ秀吉様にお休みを頂いてまでここに来たのかは分からない。したいこと、言いたいことがあった訳ではないのだ。例えばこれが家康なら、耐えるような目をして墓と向き合い、口では何も言わぬまま、ずっと何かに心を馳せているのだろう。しかし私は家康とは違う。自分で殺した相手に思うことなどなく、墓を前にしても途方に暮れることしかできない。後悔も感慨もない。ただ、立ち尽くすのみ。視界の隅、ある筈もない曼珠沙華がゆらゆらと風にたゆたった。



「おい、」顔を上げる。不機嫌そうな三成が、いつの間にか隣まで来ていた。「いつまで呆けている」気づけば高かった筈の日は大分傾いており、三成の蒼白い顔も今は橙に染まっている。「……そんなに長い間、私は此処にいたの」「自覚がないのか」「うん」「馬鹿が」行くぞ、そう言って三成が踵を返す。その背中を追いかけながら、すれ違いざま、もう一度曼珠沙華を横目に見た。






その日は近くの宿に泊まり、翌日の早朝から三成と私は帰路についた。三成は無駄口を叩かず、私も静寂を嫌う質ではないので、自然と会話のない道程になる。家康と歩くときには、話しかけてくる家康に私が応え、引き出されるように私からも話し、家康が更にそれに応えていた。話し上手で聞き上手。私は喋るのが下手だけど、家康はそれ以上に根気強かったのだろう。私と会話して楽しいことなんてないだろうに、あいつはいつも笑顔を浮かべていた。





ふと、五回前の世界を思い出す。
そのとき、私は家康の隣で関ヶ原に立っていた。







秀吉様の下に戻り、再びその命に従って動く日々に戻る。来たるべき日の為、日ノ本を一つへと纏めていく為の日々。そんなとある日、なんの前触れもなく半兵衛様が倒れた。最早堪え切れない程、かの病魔が半兵衛様の身を喰らっていたらしい。半兵衛様の病。これも、幾度繰り返しても変わらない出来事。私は薬師でない為、それを覆すことは出来ない。もし早い段階に思い出せていたら、その道を目指していたのかもしれないけれど。そんなのは、今の私にはどうにもならない話だ。
半兵衛様が床から出れなくなり、秀吉様は前にも増して寡黙になられた。三成の相貌は更に蒼白さを増し、何をしていてもどこか落ち着きがなかった。
私はひとり、半兵衛様の見舞いへと向かった。


半兵衛様は静かな離れで一日を過ごされていた。訪ねてきた私の顔をちらりと見ると黙って人払いをし、私の静止を聞かずにゆっくりとその身体を起こす。安静にしていなければ皆が怒るというのに。視線が同じ高さになると、元々細かった身体が更に肉を落としているのがはっきりと分かった。


「半兵衛様、お加減は」
「今日は随分と調子が良いんだ。それで、僕に何か用でもあるのかい?」
「いえ、ただの見舞いです」
「そうか。僕は君に用がある」


思ってもいなかった言葉に、一瞬返事に詰まる。半兵衛様は黙り込んでいる私をじぃと見た。別に睨んでいるという訳ではなく、ただ、まるで目の前の知らぬ獣が何と鳴くのかを観察するかのような目。そんな目で、半兵衛様は、

「家康君を殺したのは、君なのかい」


そう、言った。







視界の外。
あるはずもない曼珠沙華が、ゆらゆらと。








やがて、半兵衛様が死んだ。秀吉様は泣かなかった。三成は泣き叫んだ。私は、泣かなかった。いつの家康も、確か、涙を溢してはいなかった。

秀吉様と志を共に出来た友はもういない。秀吉様に仇なす筈の者もいない。秀吉様の隣に立てる者も、秀吉様の道を止められる者ももういないのだ。それが今回の、私の選択だ。これが正解なら、もう世界を繰り返すこともなくなるだろう。もう、懲り懲りだ。こんなことは。
秀吉様のつくる世は止まらない。弱きを捨て、強き日ノ本へと。世界へと、進んで行く。誰も止めない。止める者はいない。もう、どこにも。





「名前よ、斯様な場所で何をしやる」
「花が咲いていたから」
「はて、花など何処にも咲いてはおらぬが」
「そっか。じゃあ、私の気のせいか」


そう言えば、刑部は包帯の奥の目をついと細めた。私は探すのを諦め、刑部のいる廊下の縁に腰を下ろす。「ぬしは花が欲しいのか」「別に、そういう訳じゃないよ」ただ、今度こそ曼珠沙華が咲いているように見えたから。実際の所は、庭へ下りて探してもどこにも咲いていなかった。しかし、近頃、ふとあの紅の花が見えることがある。季節でもないというのに、どこかしこに咲いている。そしてその度、金色の影が脳裏を過るのだ。


三成と手合わせしたときに出来た右腕の痣は、二回前の家康が手当てしてくれたものと同じ箇所。刑部が戯れにくれた団子は、十三回前の家康と食べたそれ。記憶が過る度、曼珠沙華の花が揺れる。




そしてまた、ゆらりと。





戦という名の元に蹂躙した此の地で、六回前の家康はひとり立ち尽くしていた。私が近寄れば、ゆるり、力なく笑い、私の頭を撫でる。ワシは全ての弱き者の味方でありたいんだ、そう言う。「お前らしい」ちらつく金色に呟けば、其れは何処か嬉しそうに波打った。思わず手を伸ばそうとすると、金色はたちまちひび割れ、毒々しい紫色に染まり腐り落ちてゆく。私の手には、着物には、あの花のような、赤。




「……っ、」目を開くと、私は蒲団の中にいた。首だけを動かして周りを見てみれば、紛れもなく私の自室であると分かる。茫然としながら身を起こすと、物音に気づいたのか、何の断りもなく襖を開けて三成が顔を覗かせる。


「起きたのか」
「私は……」
「……戦場で倒れ、三日三晩眠りこけていた。愚か者が、貴様のその身は秀吉様のものだと理解しろ」
「うん、ごめん」
「薬師を呼んでくるまで大人しくしていろ」
「うん。……あ、そうだ、三成」
「何だ」
「家康、は、」


大丈夫なのか、と、口にしようとして、三成と目が遭った。見開かれたそれに、口を閉じて首を振る。「……いや、何でもない」三成は中途半端に口を開いたが、結局何も言わないま部屋を出ていった。
家康はどうしているのか、なんて。何を言っているんだ、家康はもういないのに。私が――いや、家康は確かにあそこにいた筈だ。あんなに目に焼き付く金色、私は見たことない。じゃあ、あのときの家康は何回目の家康だろう。今回の家康はもういなくて、では、これは何回前の世界なんだ。



分からない。
ただ、無性に頭が疼く。





戦場に立つ。人を殺す。血の色は毒々しい。見慣れたそれに吐きそうになる。人を殺す。白刃が疾る。刀を振るう度、赤が、視界に溢れる。頭の疼きを誤魔化しきれず、近くにいた最後の一人を刺し貫き、私はその場に崩れ落ちた。


大丈夫か、名前。凛とした家康の声がする。どうしてか泣きそうになりながら、私は小さく頷く。「うん、大丈夫」無理はするなよ?怪我をしたらワシが泣くぞ!「あはは……何で、家康が泣くのさ」


家康にこれ以上心配されないよう、刀を支えにして立ち上がる。身体が妙に軽いのは、きっと、家康が来てくれたからだろう。其処らに咲いた曼珠沙華が揺れる。私が一歩進む度、花の色が地に溢れる。あれは、こんなに綺麗な色をしていたのだろうか。


「家康は、弱い人を助けたいんだよね」ああ、そうだ。「それは秀吉様のつくる世とは違うんだって、いつか、教えてくれたよね」よく覚えているな、流石名前だ。その言い方がどこかくすぐったくて、私は小さく首を振る。「忘れたことなんてない」後ろから誰かの声が聞こえた気がして、無意識のままに右手を動かす。「それじゃあ、また、秀吉様を殺す?」家康は応えない。遠い、何処かで誰かが叫んでいる。生温い何かを踏み潰した感覚に目を落とせば、潰れきった曼珠沙華が散り散りになっていた。ふと、刀を振るう。潰れた花が地面に落ち、何処かの声が、ようやく消えた。



顔を持ち上げると、家康が私を見ていた。散った筈の曼珠沙華が幾多にも咲き誇り、その色が酷く目に染みる。目が遭うと、いつも通り、家康は優しく笑う。


「どうしたんだ、名前」
「……こんなところにいたんだ」
「何を言っている。ワシはずっとお前の傍にいただろう?」


そうだっけ。
そうだったかもしれない。
きっと、そうなのだろう。


「私は弱いよね」
「そんなことないだろう。名前は強い。秀吉公に重んじられているのがその証拠だ」
「人を斬ることは出来ても、他は何も出来ない。私は家康と違う」


家康は何も言わずに、黙って私の頭を撫でた。どうしてか、酷く懐かしい気持ちになる。いつの家康もこうやって私の頭を撫でていて。ああ、それなのに、どうしてこんなにも懐かしいのか。いつだって、家康は傍にいたというのに。


「家康」
「ああ」
「家康、」
「ああ」
「私を恨めばいいよ」
「恨まないさ」
「呪ってもいい」
「呪わない」
「どうせ、また繰り返すんだから」
「そうならないよう、お前はワシを殺したんだろう」



私の髪を梳いて、家康は手にした曼珠沙華の花を私の髪に差した。花を飾ることなど今までなかったことで、照れくささに目を伏せる。そんな私を見て、家康が小さく笑う。
口から零れた言葉は、私の耳に届かない。ゆらゆら、ただ、紅が揺れる。



「分かってたんだよ、意味なんてないって」家康を殺した世界に、正解がある訳がない。「それなのに、どうして、お前を殺したんだろう」家康程正しい人間が、この世にいる筈がないのだから。家康は私を恨まない。呪わない。それは、何よりの呪いだというのに。「お前がいなければ、誰が秀吉様を止めれるんだ」半兵衛様も、家康もいなくて。正しきひとの視線すら呪いとなる程に弱き私は、いつか死ぬ。


「それが、お前の本音なのか」違うよ。「そうか」家康が笑う。それが嬉しくて、私も笑う。「大丈夫だ。お前のことも、ワシが守る」でも、家康はもういない。「お前の傍にいる」そうだっけ。「ワシがいるから、お前にならできるさ」ああ、そっか。「名前になら、できる」






そうだったね。


















降りしきるは、遠い、地雨の声。












「名前」




ゆっくり、瞼を持ち上げる。


雨が、しとしとと。曼珠沙華が揺れて、消える。全て、幻。戦場に花など咲かない。それなのに、どうしてだろう。まぼろしの筈なのに、紅がいつまでも消えてくれない。ひゅう、細い息が喉から漏れた。全身が冷たい。脇腹に触れれば、鎧が壊れていて、その下にぬるりとした感触がした。痛みはない。一体、これは何なのだろう。


「名前……?」


私の名前を呼んでいる人がいる。「いえやす?」違う。家康は違う。家康はこんな声で私を呼ばない。「貴様、」これは、そう、「三成」そう、三成だ。家康、ほら、三成が来たよ。笑みを浮かべて、声の方へと振り返る。


ぴしゃり、足元で水が跳ねた。


下を見る。赤、潰れた花。違う、曼珠沙華は、こんなに綺麗な色じゃない。毒を持った、吐き気のする色。目を動かす。横たわる身体。私の全身を染める赤。朱塗りの鎧。大きな身体。「何故」私は、この姿を、倒れる姿を知っている。だって、何回目の世界でも、見てきたのだから。私は、だって、これを消すために。終わらせるために前提からやり直すために、その為に家康を。家康、そうだ、家康はどこ。ねえ、出来たよ、お前がいてくれたから、お前の代わりに。あれ、それじゃあ、これは。「名前、」視界の外に揺れる色に、心臓が毒される。分からない。分からない、ただ、無性に頭が疼いて、






「何故、貴様が、秀吉様を――」







顔を上げる。


三成の姿が、遠く霞んで見えない。










降りしきる雨の中。


もう、家康はどこにも居なかった。














20130914






「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -