誰もいないと思っていた裏庭。
既に先客がいたことに気付いて、思わず足が止まる。
煉瓦の壁に寄りかかってくつろいでいたらしい彼も、私を見て驚いたように目を丸くした。
すぐに表情から驚きを消して、柔らかい笑みを浮かべる。
「珍しいね、委員長ちゃん」
彼が首を傾げ、綺麗な金髪の髪が顔にかかった。
詳しくは知らないけど、多分脱色しているんだろう。
喋ったことなんてほとんどない、所謂不良なクラスメイト。
一瞬迷ったが、彼の方へと足を進める。
「うん、ここはあんまり来ないかも」
「いつものお友達は?」
「部活の用だって。えっと、不良君は?」
「ん、俺?俺は休憩中」
少し距離を空けて、荷物を置いて座り込む。
横目で彼を確認したが、昼食らしきものは持っていない。
「邪魔しちゃった、かな?」
「ううん、委員長ちゃんなら大歓迎」
ふざけたような言葉に笑みを返す。
拒否されなかった事に、心の奥で少しだけ安心していた。
持ってきた袋から弁当箱を取り出し、ふたを開ける。
冷凍食品と昨晩の夕飯の残りが詰め合わさっている、至ってシンプルな中身。
折角自作なんだからもっと女子高生らしくするべきかとも思ったが、そこまで凝ったものを毎朝作るのも面倒だろう。
さて食べようという時にふと気になって、涼しげな表情で座っている彼に話しかける。
「……不良君、弁当は?」
「今月はキツいから抜き」
あっさりと言われた。
今月って、後十日以上あるんだけど。
「そっか。……私、揚げ物苦手なんだけど食べる?」
「え、良いの?」
ぱっと表情を明るくして、彼がこちらを見た。
もしかして、かなり空腹だったんだろうか。
勿論、と頷いて、弁当箱の蓋に揚げ物を順に乗せていく。
余っていたから持ってきた揚げ物達だったが、そんなに好きな訳ではないので助かった。
最後に弁当に付けておいた串を豚カツに刺して、弁当箱の蓋を手渡す。
「はい、どうぞ」
「超嬉しい。ありがと」
顔を綻ばせて、彼は受け取った。
そこまで素直に喜んでもらえると、なんだかこちらまで嬉しくなってきてしまう。
「量少なくてごめんね」
「全っ然大丈夫。委員長ちゃんは命の恩人だ」
「大げさ」
言い回しが面白くて、思わず笑ってしまう。
そうだ、私もそろそろ昼食を食べよう。
多少量は減ったけど、私には充分これで足りる。
彼は口の中にカツを放り込むと、満足そうな表情を浮かべて咀嚼した。
「委員長ちゃん、優しいね」
「普通だよ」
「そんな事ない。何ていうか、自然な優しさって感じ」
「うーん、なんか難しいね」
目の前に飢えている同級生がいれば、誰でもお弁当のお裾分け位はするだろう。
そう思ったが口には出さず、代わりにご飯を一口食べる。うん、白米の味。
「多分、距離感が丁度良いんだ。委員長ちゃんは」
「距離感って?」
彼は揚げ物から目を放して、私の方を見た。
一瞬目が合った後、すっと逸らされる。
口元の微笑を濃くして、彼が言った。
「良い子だなって事」
「……そっか」
よく分からないけど、褒められたらしい。
深く追求するのも違うように思えて、今度は卵焼きへと箸を動かす。
不意に、視界の端で彼が肩を揺らして笑うのが見えた。
その瞬間、ふっと彼の空気が緩んだような気がした。
(――あれ)
今まで、私は張り詰めているように感じていたんだろうか。
「やっぱ良い子だね、名前ちゃん」
突然の言葉に、頭の中に浮かんでいた小さな疑問が吹き飛んだ。
素直に驚いて、彼の微笑をまじまじと見てしまう。
「……私の名前、知ってたんだ」
「勿論、なんせ委員長ちゃんだし。そっちは俺の名前分かる?」
知っている。
むしろ、この学年で彼のことを知らない人はいるんだろうか。
「桜井君でしょ」
「ルカ、でよろしく」
穏やかな訂正に、少しだけ口ごもった。
「……ルカ君」
「まあ、じゃあそれで」
納得したように、彼は頷いた。
「それじゃあ改めてよろしく、名前ちゃん」
どこか気取った口調の言葉に、差し出された手。
一瞬何なのか分からず、反応が遅れる。
あ、握手を求められているのか。
箸を置いて、彼の手を握る。
自分のものより大きくて硬くて、少しだけ冷たい手。
「よろしく、ルカ君」
――もしかしたら。
もしかしたら、彼の言う距離感というものが縮まったのかもしれない。
そう考えるとなぜか嬉しくて、私は小さく笑った。