「会長は小波さんが好きなんですか?」
紅茶を噴出しそうになった。
とっさに口を押さえたが器官に液体が入り込み、勢い良く咳き込む。
質問した当人はと言えば、「大丈夫ですか?」といつも通り慌てず騒がず僕の事を気遣ってくれていた。
「大丈夫だよ、ありがとう……あ、えっと、いきなりどうしたの?」
「仲が良いからひょっとして、と思いまして」
それは短絡過ぎな気がする。
それに、そんな事を言ったら学校帰りにこうやって一緒に喫茶店に寄る位には、僕と彼女――苗字さんだって仲は良いだろうに。
どうして一体、そんな事を。
「小波さんは良い後輩と言うか……友達だよ」
「あ、なんか会長らしい意見ですね」
そう言って、苗字さんは自分のカフェラテに口をつけた。
その表情は自然そのもので、特に何かの感情を読み取る事は出来ない。
「まあ、小波さんって同性の私から見ても可愛いし、性格良いし、男子にも人気みたいなんでちょっと気になった感じです」
その言葉には大方納得出来る。
正直言って、その評判には全く嘘は含まれていないと思うから。
しかし、それとこれは話が違う。
「……残念だけど、僕に恋愛事は縁がないかな」
「あれ、そうなんですか」
「そうなんだよ」
そう、その通り。
――ほんの少し、ほんの少しだけ、気になっている感情はあるのだけど。
でも、それの正体は何なのか分からないから。
自分に恋愛事は関係ない、そう頭の中でもう一度結論づけて、彼女の方を見る。
その時、ふと、とある可能性に思考が行き着いた。
「じゃあ、苗字さん」
「何ですか?」
こんな事を聞いているという事は、もしかして。
「苗字さんは、設楽が好きだったりする?」
今カフェラテを飲んでいたら、確実に噴出していた。
一瞬呼吸が詰まり、誤魔化すように小さく咳をする。
質問をしてきた当人を見ると、いつも通りの人当たりの良い笑顔を浮かべてこちらを見ていた。
笑ってはいるけど、完璧に冗談を言っている雰囲気でもなく。
仕返しのつもりなんだろうか。
いや、こちらに悪意なんて無かったけど。
それに会長がそんな事をするとは思えない。
「設楽先輩は友達、って言うか……」
先輩を友達なんて称するのもおかしい気がして、言葉を探す。
「設楽先輩は先輩です」
「それは知ってるよ」
苦笑しながら言われて、気恥ずかしさに肩を竦めた。
「苗字さんだって設楽と仲が良いだろ?
あいつがピアノを聞かれても文句を言わない相手なんて珍しいよ」
「……設楽先輩曰く、“お前はいてもいなくても同じだ”と」
「……あいつは口が悪いからな……。苗字さんの気配りが上手いって事だと思うよ」
そうなんだろうか。
ただ単に影が薄いと言われただけな気がする。
まあともかく、妙な誤解は解けたようだ。
私はカフェラテを一口飲み、その水面に視線を落とした。
――確かに、仲が良いから好きなんていうのは短絡的過ぎたな、と自分の発言を振り返る。
勿論、私は設楽先輩の事を嫌っているのではない。
会長だって、小波さんに対してプラスの感情を抱いている筈だ。
でも、さっきお互いが口にした“好き”意味の意味はそれと違うものな訳で。
それが所謂、友愛と恋愛の差。
私には、よく分からないのだけど。
会長には、その壁を乗り越えた相手がいるんだろうか。
ふと、疑問が脳裏を過ぎる。
聞きたいような聞きたくないような、はっきりしない疑問。
何で、聞きたくないんだろう。
「……恋愛ってどういうものなんですかね」
無意識の内に呟いていたのは、独り言にも似た違う質問だった。
会長は驚いたようにこちらを見て、やがて、困ったような笑顔を浮かべる。
「僕にも、それはよく分からないな」
苦笑交じりの、優しい語調。
この人が恋愛事に縁がないだなんて、絶対に嘘だ。
真面目で優しくて、ちょっと堅い所もあるけど、充分にかっこいい。
そんな先輩が女子に人気なんて事は、私だってとっくに知っているのだから。
それでも、その言葉は本心から来ているように思われて。
その事が、なぜだか無性に嬉しかった。
こらえきれず、無意識の内に頬が緩む。
先輩も釣られたように、向かいの席で小さく笑った。
「やっぱり、難しいものですね」
「まったくだ」
そのまま、私達はしばらくの間笑い合っていた。