下校時刻が差し迫った夕方。
学校に残っている生徒の数も少なくなってきた。
わたしは怪しい人に見えないよう気を遣いながら、こっそり生徒玄関から外を見張っていた。

(まだ、かな)

そろそろな気がするんだけど。
逸る気持ちを抑えようと、鞄のファスナーを開けてその中身を確認する。
シンプルにラッピングした、ピンク色の小さな包み。
私の他に残っている女子生徒は見当たらない。
今のところ“作戦”は順調だ。
大丈夫。きっと、上手く行く。
よし、と小さく呟いて視線を上げる。すると、外にさっきまでいなかった1つの背中が見えた。
職員玄関の方から出てきたらしい、見間違えるはずもないその背中。

――来た。

作戦の第一段階、一人になった帰り道を狙う。
今日一日、あの人はいつも以上に人気者だったから。

わたしは急いで上履きを脱ぐと、下駄箱から自分のローファーを取り出した。




校門へ向かう道を、息を軽く切らしながら駆ける。
追い掛けていた背中に、声をかければ気付く距離まで近づいたところで立ち止まり、ゆっくり呼吸を整えた。
何気なく、さりげなく。
自分に言い聞かせて、声を上げる。

「先生!」

良かった、声が裏返えなかった。
わたしがほっとしたのと同時に、先生がこちらを振り向いた。わたしの姿を視界に捉えて、優しい微笑みを浮かべた。
羞恥心を押さえ込んで称するなら、まさに王子様みたいな相貌。
そんな担任の若王子先生を目の前にして、心臓が勝手にさり気なさを忘れだした。
落ち着け、わたし。

「やあ、苗字さん。今帰るところ?」

「はい、そうです。
良かったら一緒に帰りませんか?」

作戦の第二段階、何気ない様子で先生と一緒に帰る。
ここで断られたらどうしようかと内心不安だったが、先生はあっさり頷いた。

「どうぞどうぞ。一緒に帰りましょう」

思わず安堵の息を漏らしそうになったが、なんとか抑えてわたしも笑顔を返す。


何気なく、さりげなく。
この作戦は、日常の中に埋め込まなければ成功しない。
それがどれだけ、特別な思いを詰め込んだ作戦でも。



先生との間に少しだけスペースを空けて、帰り道を歩く。
とりとめのない会話をしながら、先生の楽しそうな横顔をなんとなく見上げた。
夕焼けに透ける柔らかそうな髪。日本人離れした緑の目。
高い背も優しい口調も、多くの女子生徒を虜にするには充分過ぎる。
いや、もちろん先生の魅力は外見だけじゃないけど。
それでも、思わず見惚れてしまう。

「……苗字さん?」

「え、あ、はい!」

ついぼおっとしていたらしい。
はっとしてつい姿勢を正すと、小さく先生が笑い声を漏らした。

「もしかして、眠くなっちゃった?」

恥ずかしさで頬が一気に熱くなる。
照れ隠しに笑いながら、気まずさに視線が泳いでいるのが自分でも分かった。

「大丈夫です、すいません……ちょっとぼおっとしちゃいました」

「何か考え事?」

いえ、見惚れていました。
なんて真面目に答える訳にもいかず、一瞬口ごもる。

あ、そうだ作戦。
恥ずかしさで忘れるところだった。

「え、えっとですね、私、最近お菓子作りにハマってるんです」

第三段階、話題を段々目標に移していく。
お菓子作りは結構好きだけど、正直に言うとマイブームってほどでもない。
そこは、嘘も方便だ。

「ややっ、それは素敵な趣味ですね。先生、お菓子どころか料理もできないので羨ましいです」

中々好感触の返事に、慎重に続きを話す。

「それで昨日はクッキー作ったんですけど、数間違えたみたいで……余っちゃったんです」

そこで、あ、とふと思いついたように声を上げた。
心臓が少しずつ早鐘を打ち始める。
緊張を押し隠しながら、鞄のファスナーを開き、中に準備しておいたピンクの包みを取り出した。

「良かったら先生、貰ってくれませんか?」

先生の目が、少しだけ驚いたように見開かれる。
包みを差し出しながら、わたしは内心必死で祈っていた。

――贈り物に意味を込めると、先生には受け取ってもらえない。
去年の一年間で見つけた一つの答え。
それなら、意味を出来るだけ表に出さず渡せば良い。
プレゼントを渡すのが全ての目標ではないけど、それでも、渡したいと思うから。
どうにか形で伝えないと、不安になるから。


控えめな笑い声が、わたしの耳に届く。
驚いて先生を見ると、楽しそうに表情を綻ばせてわたしを見ていた。

「……どうしたんですか?」

「や、何と言いますか……。
中々、やりますね」

それは、どういうこと。
わたしが口を開く前に、先生が言葉を続ける。

「実は今日、プレゼントを貰うのを教頭先生から禁止されてるんです」

「……え」

知ってる、そんなこと。
だからこうやって、小細工をして、なんとか受け取ってもらえるようにって。

やっぱり、駄目なんだろうか。
心臓が冷えていくような感覚に、取り繕った笑顔が消えそうになる。

「そう、なんですか……」

「――でも」

一瞬言葉を溜めて、先生が笑う。
いつもみたいなただ優しい笑顔とは違う、どことなく楽しそうで、いたずらをするときに似た笑い方。
見たことのない表情に、視線が奪われる。

「もう、ここは学校じゃありませんからね」

2人だけの秘密ですよ。

先生はそう言って、わたしの手から包みを受け取った。


何が起こったのか分からず、呆然とする。
先生の手には、確かに、私からのプレゼント。
つまり、これは。


(中々、やりますね)


その言葉を思い出して、思わず先生の顔を見た。
いたずらをするときのような、楽しそうで、秘密めいた笑顔。


――ああ。
先生には、全部お見通しだったみたいだ。


目が合って、思わず笑ってしまう。
そもそも私なんかの立てる“作戦”が、この人にかなうはずもなかったのかもしれない。

いつも笑顔で優しくて、私より、ずっと大人な先生。

全部とっくに見通されていて。
それでも、受け取ってくれた。
そこにある意味は分からないけど、今はその事実だけで充分だ。




「先生、私、先生に黙っていたことがあります」

突然の言葉にも、先生は驚かずこちらを見ていた。

「……どうしたの?」

ただ、静かな言葉と微笑みで促してくれる。
私は笑って、作戦にはなかった言葉を言った。




「お誕生日、おめでとうございます」












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