窓から入り込んで来た風に思わず目を細める。視界の端に映っている、机の上に置かれた白い紙。いっそのこと、このまま窓の外に捨ててみてしまおうか。紙飛行機にでもして、最初から無かったものみたいに。
「ルカ君」
弾んだ声が俺の鼓膜を揺らした。窓から視線を外して、弾んだ声の主を見る。机の前に立っていたのは、予想通りの人物。
「名前、どうかした?」
「ルカ君は希望調査どうしたのか、ちょっと気になって」
茶色がかった髪を揺らして、名前が笑う。唐突な質問で固まりかけた心臓が、いつも通りの暖かい笑顔に少しだけ和らいだ。名前の言葉への上手い返事を、頭の中で見つけようとする。
「……え、ああ、これ?」
時間稼ぎに机の上の紙を指差すと、「うん、そう!」と明るい返事が返ってきた。もう一度、それに印刷された文字へと目を向ける。
修学旅行事前希望調査。そう題された長ったらしい文を要約すれば、修学旅行の行き先についての二者択一アンケートだ。選択肢は、日本の北端の県と南端の県の二つ。得票の多かった方を修学旅行の行き先にするのが、この学校の伝統らしい。
沖縄と、北海道。どちらにも印を付けていないのを再び確認して、名前に悟られないように小さく溜息を吐く。
「名前はどっちにした?」
「わたしは北海道にしたよ。沖縄も気になるけど、ずっと行ってみたかったから」
「……そっか」
上手く笑顔を返せた気は、あまりしなかった。
少し前の俺ならきっと、迷わず沖縄を希望していた。海は好きだし、何より、こんな行事で北海道に行きたくなかった。今でもまだ消化されない思い出ばかりが、あの土地には残っているから。
(――ああ、でも)
「名前は、北海道か」
言葉を繰り返す。名前の柔らかな声を、しっかり確かめるように。
無造作に置いてあった筆箱から、使い過ぎて汚れたシャーペンを取り出す。年季が経っていようとも、書くことに支障はない。二度ペンをノックをして、そのままプリントに丸を付けた。
「俺も、北海道にした」
俺の行為に、名前が驚いたように目を見開いた。
「……ルカ君は沖縄かなぁって思ってた」
「そう?どうして?」
「だって、ルカ君海好きでしょ?……あ!もしかして、わたしに気を遣ってるとかなら」
「ううん、違う」
焦ったような名前の言葉を遮る。
本当なら沖縄を希望するつもりだったのだから、名前の予想は強ち間違っていない。でも、心のどこかで悩んでいたのも、また事実な訳で。(それって、お前の所為なんだよ)そう、心の中でだけで呟く。
「俺も、北海道に行きたかったんだ」
名前に、俺の故郷の景色を見せたいから。
大好きで大切な、あの景色を。
我ながら笑えてくる。ずっと躊躇していた帰郷を、一人の幼なじみの為にあっさり望んでしまうのだから。
それでも、お前となら。名前となら、一緒に行きたい。そう、心から思っているんだ。本当、馬鹿みたいな話だけど。
一度だけ瞬いて、すぐに名前は屈託のない笑顔を浮かべた。
「じゃあ、一緒に行けると良いね!」
何度も俺のことを救ってくれた、名前の優しい笑顔に。
今度は、上手く笑い返すことが出来た気がした。