普段は生意気な口ばかり叩いている癖に、いつもいつも妙なところで律儀な奴だ。この前だって「今回のテストで一番だったらピアノのリクエストをさせてください」なんて言って、どうせ無理だろうと了承したら本当に一位を取ってきたり(あのときの得意気な表情といったら!)、他にも色々。すると宣言したことは絶対実行してみせる。

どうやら夢の中でも、こいつはそういう奴らしい。



「何でお前がここにいるんだ」

「何でって、設楽先輩が出てこいて言ったんじゃないですか」

ピアノの傍に立って、名前が何でもないことのように宣った。(いや、その前に、ここはどこだ)あいつがいる、ピアノのある場所。そう考えた途端、俺は高校の音楽室にいるんだと気付いた。いきなり降ってきたかのように突然で、ずっとそうだったかのように自然に。
ああ、確かに言った。今日、はっきり、「いっそ夢に出てこい」と。言ったけども。

「普通、そういうのは冗談だと受け取るものだろ?本当に出てくるか?」

「夢にリアリティー求めたら負けですよ、多分。あ、それとも帰った方が良いでしょうか?」

「……良い。ここにいろ」

分かりました、そう言って名前は満足そうに笑った。嬉しそうな表情に、なぜかこちらが憮然とした気持ちになる。
なんとなくピアノに歩み寄り、その黒い背を指で撫でる。滑らかな質感は本物と変わらない。(本当に夢なのか?)隣に立った名前が俺の顔を覗き込むように見てきた。

「設楽先輩って夢の中でもピアノのことを考えているんですね」

「は?」

「だって音楽室だし、ピアノあるし」

……俺がピアノのことしか考えていないとでも言いたいのか。溜め息をついて、窓の外を見る。(今は何時なんだ)(こいつと音楽室にいるってことは、放課後か)途端、窓の向こうに夕焼けが見えた。色々とおかしいような気がするが、いちいち突っ込む気力もない。

「別に俺がピアノのことばかり考えている訳じゃない。お前がピアノといたからだ」

「私が?」

「お前とピアノが並んでるとしたら、学校の音楽室しかないだろ。だからここが音楽室だと思った」

「なるほど。先輩がそう思ったなら、ここは間違いなく音楽室ですね」

納得したように頷く。どこか楽しげな様子に、無意識的に眉間に皺が寄ってきた。

「何でそんなに上機嫌なんだ、お前は」

「何ででしょうかねー。今日は楽しいことでいっぱいだったからかもしれません」

「……そうか?」

「え、先輩は楽しくありませんでしたか?私と、設楽先輩と、紺野先輩の三人で出かけたの」

返事をせず、黙って名前を見やった。一瞬、こいつ生意気に嘘でもついたのかと思ったからだ。しかしその予想と反し、楽しい時間を思い出すような穏やかな(その上、嫌になるくらい楽しそうな)表情を浮かべている。ふと、名前が俺に視線を向けた。

「……先輩は、楽しくなかったんですか?」

ああ、もう。
どうしてそんなことを、そんな寂しそうに言うんだ。

「……楽しかったよ」

「あ、良かった」

「でも、お前と二人の方がずっと良い」

自然に、思っていることが口から滑り落ちた。(夢だから、だろうか)止める暇もなかった。ああもう、どうでも良い。所詮こんなのは夢なんだから。
名前はぽかんとした表情で数度瞬いて、そしていきなり笑いだした。

「何笑ってるんだよ」

「だって、設楽先輩が素直」

「うるさい。良いだろ、お前がこんなときにまで紺野の名前を出したりするから」

「楽しかったんでしょう」

「お前と二人で行った方が楽しかったに決まってる」

やっぱり素直だ、なんて言ってまた名前が楽しそうに笑った。返事をするのも癪に思えて、黙ってその顔を睨む。少し経って、名前はようやく笑うのをやめた。

「……あ、私、そろそろ行かないと」

「どこにだ」

「どこってほら、紺野先輩にも来るように言われてるんで」

どこまでも能天気な物言いに、一瞬言葉に詰まる。(実は計算してるんじゃないか、こいつ)怒るよりも前に、呆れがこみ上げてきた。

「……普通、このタイミングでそんなこと言うか?」

「タイミング?えっと、とりあえず約束だし」

「本気で夢に来いって言う奴がいる訳ないだろ。つまりアレは冗談だ。お前が行く必要は全くない」

「……じゃあ、設楽先輩も冗談だったんですか?」

「俺は本気だった」

「どっちですか」

「どっちでも良いだろ。行くな、まだここにいろ」

起きてるときもそのくらい素直だったら良いのに、だとか名前がぼやいた(うるさい)。自分でも驚くくらい、普段は絶対に口に出さないようなことがぼろぼろ出てくる。ああ、もう、どうでも良い。
名前が窓の外へ視線を向ける。なんとなくその視線を追うと、夕焼けの色が、さっきよりも暗くなってきている気がした。

「……でも、もう行かなきゃ」

どこか寂しそうに、名前が呟いた。
多分、もう時間切れなんだろう。
そう気付いたけど、その事実がなぜか恨めしく思えた。

「行くなって言ってるだろ」

「ごめんなさい」

「……謝るなよ」

「すいません」

「だから、」

「私も、もうちょっといたいんですけど」

(やっぱり、これは夢ですから)

名前がピアノから一歩離れて、俺を振り返る。夕日に照らされたその顔が、少しぼやけて見えた。

「……お前が、よく見えない」

「そうですか」

「また明日も来いよ」

「それは、ちょっと難しいかも」

「何でだよ」

名前は返事をしないで、誤魔化すように笑い声を上げた。文句を言ってやろうかと思ったのに、視界がぐらぐらと定まらない。名前の声だけが、はっきりと耳に届く。

「……先輩、おやすみなさい」

返事をしようとしたけど、声が出ない。もう何も見えない向こう側で、名前が笑っていたような気が、した。






翌朝、校門でばったり遭遇した名前は俺を視界に捉えた途端、いつも通りの様子で「あ、設楽先輩。おはようございます」と能天気に挨拶してきた。当然のこととはいえ、なんとなく釈然としないものが込み上げてくる。

「……お前、昨日は紺野の所に行ったのか」

「え、紺野先輩ですか?昨日って、あれ、普通に三人で遊んで」

「もう良い」

一方的に会話を打ち切った。(何を聞いているんだ、俺は)意味が分からないとでも言いたげな表情の名前を放ってさっさと歩きだすと、慌てたように早足で追い掛けてきた。

「ちょっと、何の話ですか?というか先輩歩くの速いです」

「うるさい。ついてきたいんだったらお前が急げば良いだろ」

「分かりました」

それだけ言ったかと思うと、本当に速歩きで隣に並んできた。視線を向ければ、口元に得意気な笑みを浮かべているのがはっきり見える。


……ああそうだ、こいつはこういう奴だ。
だから、あの夢は本当にあいつが来たんじゃないかなんて、そんな馬鹿げたことを考えてしまったんだ。


(本当に、馬鹿らしい)


小さく、隣を歩く名前に気づかれないように溜め息をつく。


「……おい」

「何ですか?」

「次は二人で出かけるぞ」


(そうすれば、夢なんて見なくても二人だけだ)


心の中だけで、そう付け足す。

――名前は数度瞬いた後、照れたように小さく笑った。






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