▼ 愛はあまいと知っている
中條 颯太(ちゅうじょう そうた)
西島 皐月(にしじま さつき)
***
「ーー…今この瞬間、世界が滅んでしまっても悔いはないと思った。想いが通じ、愛する人の温もりに抱かれている今、それ以上の幸せがこの世にあるだろうか。いや、ないに決まってる。けれどやはり死ぬのには惜しい。ずっと憧れ続けた恋人というポジションに立っているのだ。ずっと夢見たことを実現させたい。デートにだって行きたい。今までは鼻で笑っていたけれど、暗い映画館でひっそりと手をつなぐ、なんてベタな事も、お前とならやってみたいって、そう思えるんだ。心の奥底からこみ上げてくるものを感じた。そしてそれは俺の目から涙という形で溢れ出す。『泣いてるのか?』少し体を離して顎を持って確認するように顔をあげられた。確かにそこには涙が浮かび更には頬を濡らしていたのだけれど、俺はゆるゆると首を振って否定を示した。そんな俺をみた隆司はフッと優しく笑って俺の涙にひとつキスを落とした。そこから伝わる暖かい温度に更に泣きそうになる。ああ、好きだ、どうしようもないくらいにこいつが好きだ……ーーっああああああああああああああああああああああああああ」
「うっせえうっせえ発狂すんな!」
読んでいた本を閉じて胸に抱き、たまらないと言ったようにゴロゴロとフカフカのカーペットの敷かれた床に転がり回る。
やばいもうちょう興奮!滾る!こんな山奥の学校なんて色々と不便でしかないけれど通販してまで買った甲斐あった。ああ…!ジーザス!ありがとう!ありがとう!!
「ぁああああこの興奮をどこに!どこにぶつければいいんだぁああ!」
「だからうるせえって言ってんだろ!!」
「痛った!!」
ソファーに座ってブチ切れていた奴に思いっきり蹴られる。痛い。
「痛いよさっちゃん〜」
「うるせえんだよ変な本読み上げるな叫ぶなあとさっちゃんて呼ぶな」
「またまたさっちゃんのツンデレさんめ!」
お察しの通り俺は腐男子と呼ばれるものです。親は普通に会社を経営していて兄が二人の姉一人、末っ子として自由奔放に生きていたらこうなった。
この学園に入学したのはもちろん趣味からくる下心のせいだ。人里離れた全寮制の!男子校!おいしそうなにおいしかしない!と、薔薇の花園に入学し早くも一年と5ヶ月、ホモ、おいしいです!
さっちゃんこと皐月は、寮の同室者で、この学園は特例以外では卒業まで部屋替えをしないから、そこそこに長い付き合い。綺麗な顔立ちのパツキン不良さんです。だからこそ美形の睨みは怖い。でも皐月はそこら辺にいるナウなヤング不良みたいに手当たり次第にキレたり理不尽振りかざすような事をしない外見はヤンキーなんだけど、中身は普通にいい人パターンの人間だ。現に、俺の趣味がバレた時も多少驚いてはいたけど拒絶する事なく受け入れてくれている。薔薇世界でもめちゃくちゃおいしい不良さんだ。
普段は一般ピーポーを装っている俺だけど、皐月にバレてからは部屋では萌えを叫ばせていただいている。今までは声を出さずにベッドにゴロゴロしていただけで、もう、この開放感がたまらない!叫べるって幸せ!
「ー…ってあれ?さっちゃん手ケガしてんじゃん!」
「あ?あーさっきちょっと暴れた時にできたのか…」
「血出てる!手当しなきゃ!」
「いいっつーのほっときゃ治る」
「駄目だって毎回言ってるじゃん!ほら!手出して!」
遠慮する皐月を余所に救急箱を開く。売られた喧嘩は買う派の皐月は生傷が絶えなくて、あの美人さんに傷が残ったらたまらん!と言うことで救急箱の中身は常に豊富に備えている。それでも当の本人である皐月はめんどくさがって手当てしようとしないから、毎回俺が手当てしているから、俺の処置スキルも右肩上がりだ。
「…っ、」
「痛い?」
「…んなもんなんともねえよ…」
痛いのに!絶対に痛いのにそっぽ向いて強がってる不良!まじかわいいおいしいホモ的な意味で!と言うのを口に出したら殺されるので心の中で騒ぐ。
俺の趣味がバレた時にした約束。俺の趣味を誰にも言わないこと、そして皐月は俺に皐月で妄想しないと誓わされた。皐月はこの学園で貴重なノンケだから男とどうこうなるつもりは無いらしい。正直惜しいと思う。こんなに萌えポイントを持った美人不良がいるのに。それでも皐月が嫌がるならと、多大な妄想を口にしたことはない。頭の中では大変な事になっているけれど。
「はいっ、これでオッケー。男の勲章だとは思うけどやっぱり心配だし…ケガとか気をつけてね」
「おう、サンキュ」
「あ…そういえば服の下とか平気?さっちゃん気づいてないだけであるかも」
そう言って皐月の着ていたシャツを思いっきり捲り上げる。そうするとおへそと綺麗に割れた腹筋と色の薄い乳首とご対面した。んんんん卑猥だな〜エロ乳首〜とかいう邪念を振ってケガが無いか見る。
「うわっ!!」
すると瞬間、前にいた皐月に思い切り押されソファーから落とされた。
「………は?」
「わ、悪りぃ!!」
ぱちぱちと瞬きをしつつ呆然としたまま天井を見つめていると、皐月が慌てて俺を引っ張り上げた。
「なに…なしたの……」
「いや…ちょっといきなり捲られるからビビったんだよ……」
「え、そうなの……」
気まずそうに視線を泳がし、後頭部をガシガシとかく皐月。心なしか顔が赤くて、恥ずかしかったのかな、なんて思い少し反省した。やはり親しき仲にも礼儀ありとはこの事だろう。
「悪かったな…それとこれサンキュ、俺もう寝るわ」
「あ…うん、俺もごめんね急に……おやすみ」
どことなく気まずさを残したまま、皐月は自室へと入って行った。それにしても本当になんだったんだろうか…。というか、少し皐月がおかしかったような気がする。恥ずかしかったらいつもは暴言と、あとそこまで痛くないスキンシップ程度の暴力を振ってくるのだけれど。今日は突き飛ばされはしたけど、その後頬を赤らめて視線を泳がすから、なんだか妙な空気になってしまった。本当にどうしたんだろう。
「う〜ん…?」
答えの見えない疑問にハテナを浮かべながら皐月の入って行った扉を見つめた。
***
そんな気まずさも一時の杞憂だったのかと思うほど皐月はいつもの皐月に戻っていた。
と、言いたかった。
あれから、どうも皐月の様子がおかしい。なにがおかしいって例えば、俺が共有スペースであるリビングで横になってバイブルを音読し発狂しても皐月からお叱りの声が無いのだ。ぼーっとソファーに座って考え事に耽っているような、そんな感じ。たまにため息なんてつかれてみろ。哀愁感半端ないぞ。
それ以外にも、話していても以前は睨んでるの?ってレベルだった視線を合わせてくれないし、会話も主に皐月は相槌のみ。それにどことなく俺の様子伺うみたいにビクビクしてるし。もう、全くどうしちゃったの。
そんな感じで皐月に違和感を覚えながらもあの日から数週間経った。
一向に現状は解決に動かない。俺はなんとなく日々に物足りなさを感じていた。
「ただいま〜」
カードキーをスライドさせて部屋の扉を開ける。そうするとリビングの方からバタバタと音がして、皐月の声が聞こえた。
「お、おかえり!早かったな!」
「うん〜、今日はお気に入りのサイトさんが更新してたから急いで帰ってきた!」
「へ、へえ…」
リビングに入ると、そわそわと落ち着きを見せない制服のままの皐月の姿があった。顔は俯いていて、イマイチ表情が読めない。
「あ、俺ちょっと顔洗ってくるわ…」
「顔?分かったー…って、さっちゃんちょっとまって!」
隣を通り抜けようとする皐月の腕を掴んで止める。それから少し強引ではあるがそのまま腕を引っ張り、そしてもう反対の手も掴んで皐月をこちらに向けた。
「皐月、泣いたの?目が腫れてる」
通り抜ける瞬間、垣間見えた皐月の目は確かに赤く腫れていた。
「っな!泣いてねえよ!」
「嘘だ、顔あげてよ」
皐月は強いけど、俺だって身長186センチもある男だ。少しくらいだったら皐月のことも押さえられる。片腕を離して空いた手で皐月の顔を上げると、やっぱり皐月の目は腫れていて、薄く張った水の膜が存在し、しっとりと睫毛を濡らしていた。
「やっぱり…どうしたの?なんかあった?どっか痛いとか?」
「なんでもねえよ…」
「でも、俺やっぱ心配だよ。皐月が泣くなんて相当のことでしょ」
「うっせえな、なんだっていいだろ!颯には関係ねえんだよ干渉すんなうぜえ!!」
「皐月…」
皐月はハッとして思わず出てしまったであろう言葉に本人でさえ戸惑っているようだった。けれど俺は言われたことがショックでフォローすることができなかった。お前には関係ないって、結構ダメージある。
皐月は俺の手から逃げると、そのまま洗面所ではなく、部屋を出て行ってしまった。
なにがいけなかったのだろうか。確かに泣いていた事に気づいたとしてもそっとしておくのが良かったのかもしれない。けれど、滅多に泣かない皐月が泣いている事に俺自身もびっくりしてさらにここ数日の皐月の様子の変化が引っかかっていたから焦って追求してしまった。皐月にだって言いたくない事ぐらいある。分かってる。分かってるけど。自惚れかもしれないけれど、皐月とはそういう事も話せるような間柄だって思っていた。この学園内で一番仲がいいのは皐月で、俺の秘密を共有してるからか、結構深いところまで仲良くなれたと思っていた。
けれど皐月はそうじゃない。お前には関係ない、干渉するなというのは明らかに距離がある発言だ。
こんな風にギクシャクするのは初めてで、どうしたらいいか分からない。大好きなBLも頭から抜けるくらいに戸惑っている。小説の世界だったら、二人で話し合ったりして雨降って地固まる、と言ったように纏まるのだけれど、現実問題そんな風には行かない。まず皐月がどこに行ったのか、帰ってくるか、俺と会話してくれるか、問題はそこからなのだ。
会ったとしても、謝らなければというのは分かるが、それからどうしたらいいか分からない。
悶々としながら着替えてソファーに座り、更新されたサイトの小説を読んだが、やはり内容が入ってこなかった。
しばらくすると、皐月からメールが入っていた。
さっきは悪かった、ごめん
それと暫くは帰らないから、メシもいらない
要件だけ綴られたメールを見てこの詰んだ状況に泣きそうになった。自分自身どうしてここまで落ち込んでいるのか分からない。多分俺は、皐月と過ごす時間が大好きだったんだと思う。おもしろくて楽しくて、いわゆるありふれたあたりまえの幸せというやつ。ああもう辛い逃げたい。
俺もさっきはごめんね、分かった、体調には気をつけてね、としか返信できなかった俺が情けなくて死にたくなった。
***
それからしばらく、皐月は出てったままだ。期間にすると2週間くらい。もうほんと、なんなの。俺マジでバカだろ。
ここ最近は淋しい寮生活をしていた。皐月とはクラスが離れていて、寮以外で接点がないからあれからずっと話していない。
部屋はすごく静か。皐月の声がしない。笑い声も怒り声も全部聞こえない。俺の心には虚無感しかなかった。一人で食べるご飯はあまりおいしいと思えなくて、最近は食欲が湧かなくなってしまった。皐月がいたら、あれがおいしいこれが食べたい、なんて会話も弾んで食べていた筈だ。
テレビ番組を見ていてもそうだった。バラエティー番組を見て笑っても一人で、思わず誰もいない隣を見つめてしまったり。しかも意外と動物モノが大好きな皐月のために無意識に録画をしていたり。リアルタイムで見ていても、動物モノにはめっぽう弱いから、感動系なんかだったら必死に涙を堪えながら見てるんだろうな、なんて考えて、また誰もいない隣の席を見つめてしまった。
その度に痛感する。皐月はいないんだって。
気持ちを紛らわすために大好きなBL小説を読んでいても、萌え滾る事はあってもどこか虚しかった。盛り上がり切れなかった。
考えすぎてうまく寝れない日も続いて、しょうがないからBL小説を読んで夜更かしして、ろくにご飯食べてないわ睡眠不足やらで体調はズタボロだ。よくないって、わかってるんだけど。小説でもこんな展開あっていつか倒れるっていうのも分かってるけど、どうしてもうまく立ち回れない。
皐月に体調には気をつけてと言ったくせに。本当に俺はクズだ。あれからメールもしてないし。なにかアクションを起こさないと現状は変わらないって分かってるけど起こせない。クズでヘタレ野郎だ。
「はあ…」
ガラス越しに外を見つめながらため息を吐いた。視線の先には、これから体育の授業のようで、チャラっぽそうな友人と皐月が笑いあってる姿が見えた。
俺はしばらく、笑いかけてもらえてないのに。
「なにー?中條ったらまたため息ついて幸せ逃げるよ?」
「今の俺はナイーブなのデリケートなの傷心中なのそっとしてあげて」
「男がナイーブだとかデリケートだとか吐き気するんだけど、おえっ」
「お前マジ酷いな!」
口に手を当てて吐きそうな様子をジェスチャーしているこいつは同じクラスの田中(たなか)。席順で前後だったから仲良くなった。そんなやつだ。チビで平凡顔のくせに割とズケズケの物を言う毒舌野郎。皐月もズケズケ言うけどこいつはぜんぜんかわいさがない。皐月はかわいいんだよ!
「冗談はさて置いてお前最近マジでどうしたん?ポカンとしてるわメシ食わねえわダイエット中の思春期乙女かよ」
「うっさいうっさい、俺は迷走中なのほっといて」
「なんなん?恋でもした?浮いた噂の無かった中條君もついに?」
ピコピコと発売したばかりのゲームをやりながら椅子を後方の足だけでバランスを取るぐらぐらとした危険な座り方をする田中。そのままひっくり返ってしまえばいいと思う。本気で。
「違うわ」
「えー?でも本当最近の中條マジでラブホリック、恋の病にかかったみたいにクソキモいよ?」
「お前の目がおかしいんだよ〜」
「は〜、言ってくれるね!とりあえず俺に言ってみ?この愛の伝道師タナーカの手にかかれば悩みも全部解消!」
意外にも田中はわざわざゲームを中断して話を聞こうとしていて、八方塞がりなこの状況を打開するには第三者の話を聞くのも手かなと、俺は今まであったことを田中に話した。
「ーー…って訳なんだよ」
「ふ〜ん」
俺がホモ好きってのはもちろん伏せて、皐月との関係、皐月の態度が変わってしまったあの日のこと、それから喧嘩したこと、また今の俺の心境を話した。
田中は意外にも口を挟まずに相槌だけして聞いていて、話を終えたところでやっと口を開いた。
「お前さ〜まじでそれ恋煩いじゃね?」
「エッ」
「たかだか同室者にそこまでならねえだろ〜泊まりにだって普通にみんな行くだろ。心配とかしなくね?しねえよ」
「いやいやいやそんな馬鹿な…」
「てかさ、俺が体育とかでケガしてもお前そこまで心配してこねえじゃん」
「それは田中だから…」
「だからその分その同室者が特別なんじゃねえの?親友とか大事な友達って言ってもその気のかけようは好きな相手にするようなやつだわ。俺の経験上メシ食えないレベルはラブだわ」
「……まじか」
好き、すき、ラブ。
盲点だった。
あんなにBLを読み漁っていて、数ある恋愛パターン(男同士)を理解しているつもりの俺でも、当事者となるとその知恵も意味を無くしたみたいだ。好き。ラブ。口に出して呟いてみたら、田中が顔を歪めて気持ち悪いと言ってきたので叩いた。
「あーーーー俺恋してるのかぁああ」
口に出したら妙に恥ずかしくなって、思わず両手で顔を隠した。
田中は再びキモイと言ってゲームを再起動させていた。
好きという二文字が頭の中をぐるぐると回る。それと同時に皐月のいろいろな表情もぐるぐると脳内によぎった。腐男子的目線で皐月を見ていたけれど、皐月への思いいれはそれだけじゃなかったんだと今更ながらに気づいた。そう思うと、先ほどの俺にはここ最近笑いかけてもらえてないという考えは、相手に対する嫉妬だったのかもしれない。くそう。むかついてきた。皐月と一緒にご飯食べたい、一緒にテレビみたい、ソファーでまったりしながら俺の話を聞いて、蹴りを入れられて、そんな時間を共有したいと、心の底から思った。
しかも今は好きと言う気持ちに気づいてしまったから、むくむくと不埒な妄想も湧き上がる。だって男の子だもん。乳首みちゃった…。
「………愛の伝道師タナーカ先生」
「はいなんでしょう」
火照った顔をそのままに田中を見る。
「俺はこれからどうしたらいいんでしょうか」
「そりゃああれだわ、好きで好きで食事も喉を通りません。とりあえずどうか部屋に戻ってきてください、って言うしかない」
「ムリ!ムリ!俺今嫌われてるもん!絶対ムリ!」
「巨体の男がもんとか言ってんじゃねえキメェな」
「あああ…希望が見えない…俺の恋は実らない……」
考えろ、こんな時小説ではどうなっていたかを…!考えるんだ颯太!!!
だめだぁああああ、俺めっちゃデリカシーないヘタレクズ野郎で嫌われてるもう詰んでる!終わった!!シニタイ!!!!!!
「ありがちなのはここで俺がぶっ倒れるあのルート…」
その発言をしたせいか否か、俺は翌日体育の授業で貧血を起こしぶっ倒れるのであった。
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