携帯電話




「結城くんっ!メアド交換しよっ?」
「…俺、携帯電話持ってないんだ」

正直、外場にいた頃の方が楽だったかもしれない。あの村にいた時は絶対に思わなかったこと。でもこうして思うことが、これで何度目になるのかもう分からない。実際に都会に戻ってくると、一体自分は都会のどこに惹かれていたのだろうと、疑問を感じてしまう。勿論外場が自分にとって良い環境だったとは今でも思わない。しかし、都会が自分に適している環境とも、もう思えない。

高校一年の頃から勉強していた甲斐あってか、都会の一級大学に合格することができた。いくら愛息子とは言え、名門の合格を蹴ってまで外場にいろとはあの両親も言わなかった。外場を離れる時の号泣している父と、呆れ顔の母の顔が、今でも鮮明に思い浮かぶ。あの時は、少しの寂寥感もあったが、やはり都会に戻れるというずっと夢見ていた事実に胸が時めいていた。
しかし、現実は随分と理想を裏切る。授業の質はいいし、教師も優秀だ。後ろの方に座らなければ、授業中に私語をするようなバカな輩もいない。勉強するための施設も完備されている。大学の中身だけを取れば、存分に満足できる内容だ。
けれど、生徒の質までは誰が想像しただろう。恐らく、この大学の生徒の質が悪いわけではないと思う。きっと、都会の大学生のスタンスが大多数、こうなのだろう。おちゃらけていて、危機感がない。そして簡単に人のテリトリーに入ってくる。
勿論そんな学生ばかりではないとは思うが、自分と同じようなスタンスを持った生徒は、やはり自分から積極的に行動しないような人種であることが多い。まさに自分のような。そんな人間は、自分から接触しにいかないばかりか、他人が自分のテリトリーに入ってくることを極端に嫌う。だから、必然的に同属の友達もいなかった。作ろうと思ったことも、なかった。
夏野が自分のテリトリーに入ることを許したのは、後にも先にもたった一人だけだ。

「ええっーそうなの?でも付き合っている人いるって言ってなかった?…あっこれはあたしの友達が誰かから聞いたことなんだけどねっ?」
「…いるけど。そこ、電波届かないぐらい田舎だから」

なぜ話したこともないような人間が、自分が付き合っている人間がいるなんて情報を知っているのか。言及することももう疲れた。外場にいた時も村ぐるみになって情報交換をする嫌な形態が染みついていたが、都会も都会だ。特に女の子の情報網は、それ以上と言ってもいい。外場にいた時は清水恵一人に嫌悪するだけで済んでいたものが、都会では話しかけてくる女の子全てが清水恵だ。
こういう女の子が、自分と同属の男子に話しかけているのを見たことがない。そういう男は、往々にして根暗で地味な雰囲気を醸しているから だ。自分も例外ではないと夏野は思うのだが、この母親譲りの女顔が、どうも女受けするらしい。妙に整った顔立ちの両親二人を、少し恨んだ。

「えーそんな田舎に夏野くんいたの?そんな風には見えないんだけどなー服もオシャレだし…」
「…名前で呼ぶな。もう、俺行くから」
「あ、ちょっと待ってよ!」

後ろでぎゃんぎゃんと騒ぐ女の子を放って足早に教室を出た。折角の午前授業だけの日だったのに、なんだか疲れてしまった。今日は早く帰って、途中まで観ていた映画の続きを観ようか。
一人暮らしなので、学校から家までの距離は短い。歩いて十五分程度だ。しかし、その僅か十五分でも、この季節は服を着換えたくなるほど汗をかく。茹だるような暑さ。しかし、それは外場の暑さとはまた異なる。アスファルトの上で、じりじりと焼かれるような。逃げられなくて、追い詰められるような暑さだ。自然の暑さなのに、どこか人工的な熱に感じる。
ふと顔を上げた。都心からは離れているとはいえ、都会に構えた大学だ。人通りは激しく、すれ違う人の数も多い。そんな人々が、みな片手に持っている携帯電話。都会では当たり前な光景なのだろうが、外場では誰一人として持っている人間はいなかった。だからだろうか。どこか滑稽に感じる光景だ。人自体は目の前にいるのに、人々はその小さい画面の中で生活しているように感じる。
(なんだか…気持ちの悪い光景、だよな)
携帯電話。便利だとは思ったが、元々連絡を取り合う性分ではないし、取り合うような友人も大していない。唯一連絡を取り合う可能性が高い人物が住んでいる場所は、電波が入らないらしい。折角持ったところで通じないのでは、意味がないだろう。

(買ったところでさっきみたいな奴がたかってくるなら――)

そんなことを悶々と考えながら、借りたアパートの近くになったところで鍵を取りだした。指先でくるりと回転させて、ぱしりと掴む。なんとなしにそのまま視線を持ちあげて、体が固まった。
よく知った自分の部屋の前。そこには以前よく見た後ろ姿があって――

「徹、ちゃん?」

戸惑いながら、確認するように小さく尋ねる。確認だなんて、自分でも不必要なことだとは思う。自分が、その後ろ姿を間違えるはずがない。だって、体がこんなにも訴えているのだ。太陽を纏ったような、彼がそこにいると。
夏野の小さな声に反応した後ろ姿は、満面の笑みを浮かべて走り寄ってきた。

「おお!夏野!ちょっと出張がてらに一日休みを取ったんだ」
「俺がいなかったらどうしたんだよ。ずっと待ってるつもりだったのか?」
「ああー…なんも考えてなかった。とりあえず、行けば会えると思ってたしな」

実際、会えたし。そういって笑った徹の姿に、胸が締め付けられるような気持ちになった。
普段あまり気にしないように生活していたけれど、体は随分と正直だ。会いたくて仕方なかったと、大声で叫んでいるようだった。少し大人びた雰囲気。仄かに香る煙草の香り。外場に出る前は、馬子にも衣裳だと笑い飛ばしたスーツが、よく似合っている。久々に会う徹のどこを取っても、込み上げてくる想いがある。勿論そんなことを言うのは憚られたので、夏野は想いを押し殺してぎこちなく笑った。
そんな夏野の心中を察してか、面白そうにくすくすと笑う徹。夏野の手に握られた鍵を取って、迷うことなく鍵を開けた。開かれる扉。
ああ、自分の部屋は一体どうなっていただろうか。隠さなきゃいけないものなんて、特にはないと思うけれど心配だ。そんなことをぼうっと思いながらその一連の流れを見つめていたが、次に徹が放った言葉に、全部どうでもよくなってしまった。

「おかえり、夏野」
「…た、だいま」

未だに少し慣れていなかった一人の空間は、その一言でどこか懐かしい、安堵できるものに変わった。くしゃりと頭を撫でられて、自分が帰るべきところに戻ってきたような気がした。



「そうそう夏野!これを見ろ!」

スーツをハンガーに掛けていた徹が、突如思い出したように右手をずいと突きだしてきた。その手の中には、見慣れたようで見慣れない、オレンジ色の小さな機械。携帯電話だ。

「携帯、通じるの?」

嬉々としてチラつかせる徹を横目に、外場は電波が入らないと嘆いていたのは当人ではなかったかと記憶を振り返ってみる。

「やっと電波入るようになったんだ。山入の方とか行くと、アウトだけどな。夏野、アドレス交換だ!」
「…えーと」
「おろ、夏野持ってない?」

都会っ子は皆持ってるもんだと思ったーなんていう徹の頭を小突いた。なんだか、気に食わなかった。自分を差し置いて携帯電話なんて持っている徹と、なぜ一番に報告するのが自分ではないのだという子供染みた嫉妬をする自分に。

「俺が、持ったところであんた以外の誰と連絡取ろうと思うんだ」
「………そ、そか。なら一緒に買いにいかないか」

顔を真っ赤にして照れた顔で笑う徹を見て、思わず自分も顔が赤くなった。自分にしては、随分と率直な物言いをしてしまった。他のことに対しては率直に意見は言うが、自分の気持ちをこうも直球で伝えることは早々ない。久々に会ったからか、口が緩んでいるのかもしれない。ブランクって怖い。
緩みかける顔を無理やり引き締めて、財布を手に取った。

「いいけど、俺そんなに連絡しないと思うよ」
「いいのいいの、それが俺だけじゃなくて、皆に対してそうだってぐらい分かるからな」
「…あっそ」

掛け合いが、随分とくすぐったい。外場にいた時から何だかんだ、恋人という関係を築き上げてはきたが、こんな雰囲気だったろうか。なんだか、以前がよく思い出せない。でも不快、ではない。
さすがに手を引かれた時は困惑したが、結局家を出る時まで繋いでいた。外場にいた時には容赦なく飛んでいた文句の一つも、今日は出てこない。なんだろう。この妙に甘い雰囲気に、溶かされたのだろうか。我ながら気持ちが悪いと思ったが、きっと徹も同じようなものだと思うとどうでもよくなった。

「あーでもなーアドレス帳女の子だらけにされたら俺、悲しいかも」
「しないよ、そんなの」
「あ、でも男だと違う意味で心配かも。夏野可愛いし」
「っそんなの、あんただけだ!」
「痛っ!な、なつの、弁慶の泣き所は…っ!」
「だから、名前で呼ぶな!」

お揃いにしようと、オレンジ色の携帯を押しつけてくる徹を無視して、結局買ったのは黒に赤のラインが入った携帯電話だった。最初はぶすくれていた徹も、店頭で貰ったシンプルな犬のストラップをお揃いで付けることで納得した。
本来ならば当たり前のように購入者にだけついてくるストラップは、徹のあまりの凹みっぷりに店員のお姉さんが苦笑して二つくれたものだ。恥ずかしかった。もうこの店には顔を出せないかもしれない。そう思ってじろりと横に立つ顔を睨んだが、当人はへらへらと幸せそうに笑っているばかりで、妙に毒気が抜かれてしまう。ああ、結局自分はあの村にいた時と変わらず、この笑顔に弱いのだ。

簡単な使い方を教えられて、最後に真っ白なアドレス帳が開かれる。徹の手によって滑らかに押されていくボタンが、小さな画面に一人の名前を書き出していく。武藤徹。空っぽの携帯電話の中に、一人だけ。
あの村にいようと、都会にいようと、結局は徹の傍にいることが、自分にとって一番の居場所なんだろう。ほら、この無機質な文字列にすら安心する。


小さな画面の中にまるで徹が存在するようで、不思議な気がした。







この小さな世界も、悪いことばかりでないかもしれない





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