伝う届かぬこの恋に-後半




「律ちゃんが……起き上がったよ」
罪を告白するように、徹は夏野に言った。雲が月を覆い、深い暗闇が二人の姿を隠していた。
ぴくりと夏野が反応する。
その名前に、今の夏野が何を思うかは分からない。少しの沈黙の後、そうか――と呟いた夏野はどこまでも遠く、その目を見ることすら叶わなかった。
「でも、律ちゃんは……食事をしないんだ」
先程よりも更に苦い心持ちで徹は告げる。
今も彼女は、飢えに耐えているのだろう。徹にどこに行くのかも聞かず、ただ部屋の片隅にうずくまった経帷子の白が頭をよぎった。
「それで、あんたは律子さんを心配してるのか。心配して――人を殺させようとしてるのか」
夏野が吐き捨てた。
心に鋭い痛みが走る。屍鬼にとっての食事が何を意味するかなど、とうに分かりきっている。夏野も、徹も、そして律子も。

律子に生きてほしいと思う。
だがそれは、律子に殺人を犯す鬼になれと言うのと同義だ。
起き上がった律子に徹が向けるのは、恋情ではなく悲痛な同情だった。
同じ境遇に陥ったのに、律子は徹のように己を捨てて人を襲おうとはしない。
このままでは、苦しみの挙げ句また冷たい土の中に戻ることになる。それでも、律子の意志は堅かった。
生前の看護士という仕事への意識がそうさせるのだろうか。頑なに吸血を拒む律子の姿は、徹をぎりぎりと苦しめた。
律子が怖かった。いや、怖いのは自分自身なのかもしれない。人を餌と判じ、鬼と成り果てた自身を、律子は嫌でも思い知らせた。
――律子に生きて欲しいと思うのは、自分だけが醜い化け物になったのだと思いたくないからなのかもしれない。
もう、生前のように律子に恋をすることはできなくなっていた。

「俺があの時お前を受け入れていたら、こんなことにはならなかったのか?」

ぽとりと、転がり落ちた言葉が自分の心を刺した。
「俺が、お前が俺を想っていたように夏野を想っていたら、何かが変わっていたのか?お前は俺を許したのか?お前は俺にスパイをしろなんて言わなかったのか?俺達は昔みたいに笑えたのか?」
「何が変わったって言うんだよ。徹ちゃん、俺は気持ちを受け入れなかったあんたを許さない訳じゃない。屍鬼になったあんたを許さないだけだ。生前がどうであれ、あんたと俺が起き上がった以上、俺達はこうなるしかなかったんだ」
夏野は徹を切り捨てるように言い放つ。
だがその響きの裏で、夏野の恋を受け入れなかった徹自身を責めるなと彼が言っているのが分かった。
「あんたは律子さんが好きなんだろう。死んでも起き上がっても好きなんだろう。また死んでも例え人を殺しても好きなんだろう。――なら、不毛な事は言うな」
会話を拒むように夏野が身を翻した。
闇に染み入るように、夏野の恋が溶け出していた。
徹は律子が好きなのだと言い聞かせ、徹への恋に蓋をしている。
その蓋は外れないのだろうか。もう二度と、表に出さないつもりなのだろうか。
徹に背を向け、そのまま歩き去ろうと夏野は闇に足を運ぶ。

「俺は――夏野が好きだよ」

ぴたりと、夏野の足が止まった。
夏野が愛しかった。
徹への気持ちを切り捨てようとし、律子との関係を肯定しようとし、夏野自身を傷つけることになってまで、徹を自分の恋情から守ろうとしている。
屍鬼は許さないと言いながら、根底にある徹だったものを否定しきれずにいる。
抱き寄せたかった。言ってやりたかった。

起き上がった俺を許さなくてもいい。俺はお前を殺したのだから。
律子の存在に痛まなくてもいい。俺はもう彼女を愛せないのだから。
俺を好きだと言えばいい。――最後までお前といる覚悟はできているのだから。

屍鬼となり、たくさん人を襲った。罰は与えられぬと思っていた。
だが夏野が起き上がってから、人を襲う度に夏野の顔が浮かんだ。襲った人間に対しては何の感情も抱かない。それなのに、夏野に懺悔をしたかった。
罰を与えるのが神ならば、徹の神は夏野だ。
もう、他には誰もいない。人間らしい感情は全て夏野の下にある。
恋も、そこにあった。
夏野の姿を見るために足を運び、夏野の声を聞くために情報を流す。
ただ一人で闇に立ち徹を待つ夏野を見るたび、動かないはずの心臓は締め付けられ、冷たいはずの体が熱を持った。
夏野だけが、徹がまだ生きる意味だった。

「ばかを言うな。あんたは俺を殺して、自分を責めている。俺が起き上がって、罪滅ぼしをしようとしている。勘違いしてるだけなんだよ」
くるりとこちらに向き直った夏野が、忌々しそうに毒づく。その顔は見えない。

――ああ、そうか。あの時、夏野はこんな気持ちだったのか。

徹は漸く理解した。自分の気持ちが受け入れられぬ痛みではない。それは自分の想いが伝わりすらしない痛みだった。
彼を想う気持ちはこんなにも強い。勘違いなどではないと自分が一番知っている。
それなのに、その気持ちを理解しようともしない相手には、決して伝わらない。
もう、全てが遠い。

「一度だけで良い……俺と、キスしてくれ。夏野」
縋るように夏野の方へ歩み寄る。積もった木の葉がかさりと音を立てた。
「そんなこと言っていいのかよ。目を瞑ったその瞬間、俺はあんたの胸元に杭を突きつけるかもしれないぜ」
足元の枝を拾い上げ、切っ先を徹の方へ向けて軽く振る。
まだ夏野の顔は見えない。
夏野の声は冷たく、そして寂しげだった。
「夏野に殺されるなら、本望だよ」
その言葉に怯んで、夏野が顔を上げた。手に持った枝が、咄嗟に振り上げられる。
夏野が何か言う前に、有無を言わさず唇を重ねた。

これで、伝わるだろうか。

――杭は突きつけられなかった。それなのに、心臓が痛かった。
ゆっくりと唇を離すと、夏野の顔に月光が差していた。力なく下ろされた腕の先から、樅の枝がぽとりと落ちる。
「全く、不毛だな。こんなことをしても何の意味もないのに。俺たちはもう何も変われないのに」
笑うように夏野が表情を歪めた。
その目の奥が、好きだ、好きだと叫んでいた。






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だだだ大好きな「夜が明ける、その三秒前」(PCサイト)の管理人の冬白さんに相互リンク記念のお話を頂いてしまいましたー!
戸村は冬白さんの大ファンなので、厚かましくも自分が書かせてくれと申し出たところ、なんと冬白さんも書いて下さるとのこと。しかもリクエストまで…!
僭越ながらリクエストさせて頂いた内容が、「徹律で夏野が告白してフラれるが、いつしか徹→夏になっているお話」でした。
冬白さんの徹→夏話、特に起き上がり後のふたりのお話がもう大好きなのでピンポイントで狙って投げた直球が見事ホームランにして返された気分です。もうこのお話を頂いた時は嬉し過ぎて半泣きでした。戸村は間違いなくこのお話を墓まで持っていきます。
感想は散々冬白さんに愛を込めて飛ばしまくっているのと、語り始めると小説もびっくりな文字数叩き出しそうなので割愛します。
が!冬白さんのこの繊細且つ読み手を惹き込んでやまないお話はこればかりではありませんので、ぜひPCユーザの方、冬白さんのサイトに足を運んで堪能して頂けたらと思います。戸村、勿論日参しております。冬白さんのストーカー第一号です。これだけは譲りませんとも…!
それでは本当に本当に、素敵なお話とリンクを繋いで下さったことに感謝いたします。ありがとうございましたー!





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