非常に暑い日だった。
入り浸るようになった武藤家に夏野は我が物顔で上がって、人の気配のする居間を覗き込んだ。


「おーっす夏野」
「ナツ昨日ぶりー」
「ん、お邪魔してる」


そこには扇風機の前で葵と保が二人、暑い暑いと言う声を振動させながらくつろいでいた。
二人とも暑さのためにタンクトップにハーフパンツという相当ラフな格好をして、葵は更に普段は顔の側面に垂れている髪を頭上で一くくりにしていた。あんな女子を中学校でよく見たなと苦い思い出を回想しながら、葵の横に座る。
扇風機の頭は葵と保の間に風がくるように固定されていたが、葵の横でも少しおこぼれの風がきた。おこぼれでも、無いよりはあった方が確実にいい。髪を風がすり抜けていく感覚が快かった。
徹はどこにいるのだろうと居間を見回したが、奥のキッチンにもそれらしき影はない。ということはまた自分の部屋でゲームでもしているのだろうか。つくづく不健康な長男だ。
そんなことを考えながらあちらこちらに視線を送っていたら、不意に横から強い視線を感じた。振り返ってみれば、大きな葵の目とかち合う。

「…なに」
「ナツ、髪の毛さらっさら!」


そう言って目をきらきらさせた葵を見た瞬間、内心溜息を吐いて夏野は抵抗することを諦めた。








別段珍しいことではなかった。何が、と問われれば、「髪の毛に触れられることが」である。
まだ都会にいた小中学校の頃の日常で、髪の毛に触れられることはよくあった。
髪の毛をネタに寄ってくる女子は多く、その大半の女子は夏野の髪をみて触って、時に髪留めなどで玩具にしようとしてきた。
そんな下心丸見えの女を夏野が相手にするはずもなく、何度そっけない態度やキツい言葉で追い払ったことか。そうすることで夏野はしばしの安寧を得るのだが、クラス替えした先の女子や先輩後輩に出会う度に夏野は舌を打つことになった。
それも、襟足まで伸ばした男にしては長めの髪と、猫っ毛とまではいかなくとも手触りの良い髪質のせいである。しかし、これを短くすることはできない。
一度、あまりに女子の手が鬱陶しく感じてばっさりと髪の毛を切ったことがある。その時の、親である結城の反応が酷かった。夏野の麗しい髪が、髪がと始終狼狽し、泣き喚き、挙句の果てには泣き寝入りまでされたのである。夏野が親に対して絶望した数度目かのの思い出である(以前の絶望は何かという話は長くなるので割愛しよう)。
それも外場に越して来てからぱたりと止んでいたのだが、今になって武藤葵の手にかかったわけである。



「やっぱり手触りもいいし気持ちいいー!セットとかしてる?」
「ちょっとはしてる」
「ああ、そうなんだ。これだけサラサラだとぺたんこなっちゃいそうだもんねぇ」

何が楽しいのかあれからずっと葵に髪の毛を弄られている。ただし昔のように不快感はない。それは向けられる色恋の下心がないからか、はたまた慣れ親しんだ友人の手だからか。セットしているかどうか訊いておいて、容赦なくそれを崩すように触りまくるあたり、やはり徹と血が通っているのだと思う。

「兄貴なんてパーマもセットもしないでアレだからね、ナツとは正反対!ほら、保も触ってみなってー」
「ちょ、もういいだろ」
「えーいいじゃんか夏野。俺はダメなんかよーうりうりー」
「もうやめろって…ひ、ぁっ!」

絡むように夏野に近づいてきた保に項から上へとなぞり上げられ、思わず背筋に妙な感覚が走る。思わず口からついて出た少し高めなその声に、その場の空気が凍ったのが分かった。
二人がどんな顔をしているのか、恐る恐る顔を上げてみれば予想に反した二つの顔。その顔に浮かんだ好奇の色に、ああそういえばこの二人は徹の弟妹なのであったと思い出す。夏野が予想する反応など、するはずがない。嫌な予感がして後ずさると、二人の口は弧を描いた。

「夏野ぉ、今エロい声出たなー」
「あ、ホラ髪の毛って性感帯の一部らしいよ!」
「じゃあ夏野、敏感なんだな?」
「馬鹿にするなよ!」

冷静にいなしても武藤家には効果がないということは、嫌と言うほど立証済みだ。こういう時は逃げるに限る。すかさず立ち上がって徹の部屋へと逃げ込むために居間を出た―――ところで何かにぶつかった。

「うわっ!…て、徹ちゃん?なんでこんなとこいるんだあんた」
「…夏野よ、ぶつかっておいて第一声がそれはないだろう」

ぶつかったのは、居間の出口の陰に座り込んでいた徹だった。なぜここにいるのか甚だ疑問だったが、確かに徹の言うように第一声がこれもないだろう。一応様子を確認するために顔を覗き込めば、もしや顔に盛大にぶつかってしまったのか、赤くなった顔を片手で押さえて隠していた。
大丈夫かと形式通りに問えば、いつもよりも眉毛をハの字にした徹に溜息を吐かれる。
「いいから、俺の部屋に行こうとしてたんだろ」と手を引かれて何度上ったか分からない階段を上った。先ほどまで顔を押さえていた、夏野の手を引く手のひらも熱い。そんなに熱を持つほどぶつかってしまったのだろうかと少し申し訳なくなったが、口には出さなかった。









部屋に入っても徹はどこか余所余所しかった。ぶつかったことを回想するが、しかし普段の徹ならばあれぐらいのことで機嫌を損ね、尾を引くような人間ではない。
普段から部屋にいても二人でよく会話をしているわけではない。沈黙が気まずく感じるほど、徹と夏野の関係は浅くない。
しかし、今日はどうしたことか。背中から余所余所しさが感じられるほど、空気が気まずい。重たいというよりかは、居心地が悪い。
さすがに辛くなった夏野は雑誌を閉じて、自分に背を向けてゲームをする徹の襟を引いた。

「う、うわっ!」
「、わっ、何」
「なにって、夏野がなんだよ…っ」

軽く引いたつもりが、予想以上の挙動で返されて思わずぽかんとなる。予想しなかった反応に、かけようとしていた言葉が出てこなかった分、じっくりと冷静に徹の姿を見つめることになる。
赤い顔をした徹は、夏野と目が合うとすぐさま視線を逸らす。その逸らした先に現れた耳も、やはり同様に赤い。
ぶつかったからといってここまで赤くなるはずがない。
火照った顔を押さえていたからといってあんなに手が熱いはずがない。
ぶつかったからといってこんな挙動不審になるわけがない。
なぜあの陰に徹はいたのだろうか。しかも、座り込んで。

先ほど感じた疑問を繋げていけば、驚くほどするすると一本の結論が導き出された。それと同時に、徹の頭を両手で挟みこんで、自分のものよりも硬めな髪の毛に指を通した。何度も、何度も。
人の髪を触ることなど今までしたことがなかったが、なるほどこれはなかなか気持ちいいものなのかもしれない。好意を寄せている人間なら、尚更。


「なつ、の?」
「徹ちゃん、髪の毛って性感帯らしいよ」


気持ちいい?と顔を覗き込んで笑えば、先ほどよりも更に顔を赤くした徹と目が合う。
その反応に、やはり徹はあの場にいたのだと確信する。夏野と葵と保とが、じゃれあっていたあの場にいて、聞いていたのだ。

「なぁ、それ分かっててやってるのか?」
「分かっててやってるよ。なぁ、気持ちいい?」
「…ッ人で遊ぶな!タチ悪いぞ夏野!」

ぐいと胸を押されて徹の体から離される。徹の髪の毛から離れた手は、行き場を失って空を泳いだ。
先ほどまでは徹の発する熱を暑いほど肌が感じていたのに、無理やり作られた空間に夏にもかかわらず冷えた空気が流れ込む。
自分を拒絶するその腕になんだかやるせない気持ちになって、胸を突いたその手のひらを両手で握りこむ。思わずびくっと震えたそれを、逃すまいと強く。
そのまま自分の顔の横に手のひらを導いて、自分とは違う大きな硬い指を髪へと差し入れた。
途端に襲う、葵や保に触れられたよりも更に強烈なむず痒い感覚に体が粟立つ。それこそ、本当に性感帯だと自分で認識できるほどに。
自分は、こんなに、これほどまでなのに、




「…タチ悪いのは徹ちゃんだろ。









……なんで、誘ってるの気付かないんだよ」















今更そんな嬉しそうな顔したって遅い…遅いんだからな!






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