紅葉、散る
※SSS並な人格迷子仕様/ギャグ



 とある日の夕暮れ時のことだ。
 何故か満面の笑みで智寿子さんに幾許か小遣いを握らされ、夜ご飯の時間になるまで表に出ていて欲しいと言われた。前向きな厄介払いだ。遠回しに言えどあからさまな真意に憤慨こそしたが、小遣いは小遣いである。
 駄菓子屋で普段より少し値の張るアイスを買い、自分の金ではないからといそいそと贅沢にも平らげた。何も身を纏うものがなくなったアイスの棒には"当たり”とかすれながらも印字してあった。
 ついている。
 アイスの当たり籤一つでも、正雄の気持ちは随分と晴れやかになった。


 上機嫌に地面を軽く蹴るように歩いていると、道ばたにうずくまる影があった。人より色の抜けた髪色に、ふわっと風に散る四方に跳ねた毛先。
 徹ちゃんだ。
 徹に会えた。当たり籤に続いてこの遭遇。心が躍るのが分かった。今日はラッキーデイと言えるだろう。
 小走りに名前を呼びながら近くに寄ると、はっと顔を上げた徹が途端に困ったように眉尻を下げた。
 なんだ、俺に声を掛けられるとまずいことでもあるのか。お得意のネガティブ思考で自分の顔が怪訝そうに歪むのが分かったが、徹の顔をまじまじと見てすぐにその疑念は解けた。
 徹の頬には、思わず自分のことのように顔をしかめたくなるような、くっきりとした紅葉型の手形がついていたのだ。それはもう、見事なほどに。

「たはは、まさか正雄に見られちゃうとはなぁ」

 照れ隠しのように頭を掻く徹の横にそっと腰を下ろした。まじまじと見ることは躊躇われるので、チラチラと横目で頬の様子を確かめる。何度見返しても見事な手形だ。一体どれほどの威力で叩かれたのだろう。
 徹が手を出されそうな人物を推考する。
 一番ありそうな人物は、彼の妹だ。悪ふざけに、よくばしばし叩かれているのを見る。しかし、本気で怒った時には葵の場合は足が出るのだ。葵は足癖が悪い。何度か自分の身をもって立証済みだ。
 では、同じ高校の女子だろうか?確かに徹には友達が多い。友人の枠を逸しないが、女の友人も多かったはずだ。じゃれ合うこともあるだろう。
 しかし、これは真正面。しかもくっきりと後がのこるほど容赦なく叩かれている。こんなことをする女子がいるか?寧ろ、こんなまでに女子に叩かれるほど、徹が常軌を逸脱した行為をするだろうか?あまり想像がつかない。
 いない。だとしたら、正雄が知っている人物は一人しかいない。

「なぁ徹ちゃん。それ……夏野にやられたんだろ?」
「いやあ、俺がちょっと悪のりしちゃって。夏野は悪くないんだけどな」

 よく分かったな、と少し目を見開いた表情に憤慨する。やっぱりか。夏野め、なんてやつだ。

「眠ってたのがあまりに可愛かったから、夏野に向けて悪戯しただけなのに、なんでまさか。いい加減高校生になる息子の裸をじっとり見るだなんてどうなんだ。逐一風呂を覗きに行くだなんて親として危なくないか。俺よりずっと問題があるだろう。そもそもあの人が強烈な牽制をかけてくるから手をずっと出せないでいるっていうからこその、お茶目な悪戯じゃないか。」

 ぶつぶつとぼやく徹の目には光がない。口の中で呟くように吐き出しているため、所々聞き取りづらいが、何か不穏なことを言っていたような。思わず悪寒が走ったが、気のせいだと思う。ことにした。
 兎にも角にも、問題は夏野である。使命感に駆られた正雄は無我夢中だった。おれの徹ちゃんを。赦せない。いくら徹に優遇されている夏野であっても、これは頭に乗りすぎだ。重罪である。

「任せろ、徹ちゃんの敵は俺が取ってくるぜ!」
「……ほえ、え?」

 鼻息荒く立ち上がった正雄に、仄暗かった徹の目がぱちくりと瞬きを繰り返す。
 拳を握り、迷わずある方向に向かって走り出した正雄。その背に慌てたような徹の声が聞こえたが、今の正雄の猪のような勢いを止めるまでには至らない。
 正雄の目指すところはただ一つ。山の麓の小さな工房――結城夏野宅である。


* * *


 外場の家にしては小洒落た玄関をがんがんと叩き、不愉快そうな顔をして出迎えた父親の腕の間を潜って流れ作業で靴を脱いだ。
 おい、待て、待たないか、と呼び止める制止の声を振り切り、恐らく目的の部屋であろう扉の前まで一目散で走る。途中で追いつかれるかと思ったが、正雄が目的のドアノブに手を掛けようとしたところで、背後で先ほど聞いた馴染みのある声が響いた。途端に互いに喚きだした二人の声に、これはしたりと思い切りドアノブを引いた。

 その部屋に踏み込むのは初めてだったが、いかにも夏野らしい――所々妙な壺が置いてあるのが気になったが――小綺麗に整った部屋に何だか向かっ腹が立った。いつも影ながら騒がれているイケメンが、救いようもなく汚い部屋で過ごしていたらそれこそ夏野の評判を地に落とす良い機会だと思ったのだ。瞬時にそんなことを考えるのもどうかと思ったが、最早条件反射なので仕様もない。
 丁度着替え中だったのか、驚いたように目を見開いた上半身裸の夏野と目があった。

「なんだ、あんた。勝手に入ってくるなんて、随分不躾だな」

 ふん、と小馬鹿にするように言い放たれた言葉に、かーっと頭に血がのぼる。沸騰しそうだ。

「お、おまえーー!!」

 沸き上がる衝動のままに、夏野の肩をつかんだ。殴ろうと思ったのかもしれない。けれど、暴発した感情は明確な行為に直結せず、なんだかよく分からない感情のままにがっしりと正雄はその肩を握りしめていた。
 正雄のあまりの様相に驚いて夏野の手からTシャツが落ちる。目の前に晒されるのは、日に全く焼けていない、抜けるような白磁の肌。自分の手のひらに収まりきってしまうほど薄い肩。吸いつくようなきめ細やかな肌質が掴んだだけの指先からでもよく伝わってくる。
 正雄が知っている男のそれとは随分かけ離れた様子の美しい躰に、思わず時が止まってしまった。手当たり次第にぶつけようとした罵詈雑言が、一言も出てこない。
 そんな中で目に留まったのは、両手の合間に散らばった幾つかの、朱い痕。
虫さされかとじっと見つめていると、段々と白い肌が赤く染まってくる。それこそ、耳の先まで茹だったかのようにじわじわと。その様子に、言わずともその痕が虫さされでないことが分かってしまう。つられて自分の顔まで熱を帯びてくるのが分かった。
 何か言葉を発しようとしているのか、ふるふると震える夏野の薄い唇が開いては閉じ、開いては閉じる。自分とは比べものにならないくらい大きな瞳が、戸惑うようにゆらゆらと揺れている。その様は水面に浮かぶ月のようで、不覚にも見蕩れてしまった。

 一体どれぐらいそうしていたのか。外からばたばたと走る音と、騒ぐ声が聞こえる。
 弾かれたように手の中の躰が跳ねる。揺れていた瞳は真っ直ぐ正雄を射止め、ぎゅうっと寄せられる柳眉。唇を強く噛んで、ぶるぶると躰を震わせる。

「み……見るな――っ!!!」

 一体どうしたのかと口にしようとした言葉は、次の衝撃に発せられることはなかった。
 視界がぶれる。世界がぶれる。
 燃えるような頬の痛みに薄れゆく意識が最後に捉えたのは、頬に紅葉を散らした結城と徹の姿であった。






おまえもか、おまえもかーっ!!






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