もしも徹が親の手伝いをしていたら




「こんにちはー…あれ」
「?」
「おまえ、見ない顔だなぁ。もしかして、この間越してきた工房の息子か?」

ドアを開けた途端に投げかけられた言葉に、夏野はまたドアの向こう側に逃げ出したくなった。
確か、ここの受付は優しそうな壮年の男の人だったはずだ。ちらりと見た顔は随分その人に似た雰囲気を持っていたが、根本的に違う。
何にしろ若い。自分とそうそう年は変わらないのではないだろうか。へらへらしたような笑みも、社会経験を積んでいる大人とは全く思えなかった。
いや、そもそもだ。一番初めの問題として、客に「おまえ」はないだろう。
彼の問いに夏野は押し黙って、答える義務はないとでもいうように診察券を目の前に突きつけた。
無遠慮に押し付けられたそれに青年は驚いたような顔をしたが、すぐにまたへらへらした笑みを浮かべた。

「結城ーー夏野か。夏野、夏野だな」
「名前を教えるために渡したわけじゃない。あと、名前で呼ばれるのは嫌いだ」
「ふうん」
「あんたは仕事をーー」

すればいいんだ。その言葉は、不意に背後から聞こえてきた大きな声にかき消されてしまった。

「あら、徹くん。今日はお父さんのお手伝い?偉いじゃない〜まだそんなに若いし遊び盛りなのにねぇ」
「あはは、まぁ小遣いも貰えるんで、俺としても美味しいっていうか」

そして談笑が始まった。先ほどまで興味津々という色を全面に張り付けた目は既に夏野を見てはいない。その現金さに、呆れと共に僅かな苛立ちが生まれ、夏野は病院を訪れた時よりも不機嫌な様相で待合室のソファに座り、腕を組んだ。落ち着け、結城夏野。
武藤、徹。年も近そうだし、覚えておこうと思う。この狭い外場での人のエンカウント率は大概高めだが、意識して避ければきっともうまともに話すこともないだろう。

「結城さーん、結城夏野さーん」

そう決意を新たにした夏野に、気の抜けたような声が掛かる。先ほど押し込めた苛立ちがむくりとまた鎌首をもたげたが、ここは病院だ。相手が誰であれ、病院のスタッフである限り自分は名前を呼ばれる運命だ。
眉間にシワを寄せたまま、診察室に向かおうとした背に声が掛かる。

「おーい、こっちこっち」
「…?」
「あはは、まだ診察の時間じゃないぜ。今のは俺の私的な都合だ」

あっさりと公私混同宣言するな。
こめかみに漫画のようにぴきりと青筋が浮く感覚が分かった。そんな夏野の心境を知ってか知らずか、まぁまぁというように両手を上下させて、武藤徹の口は甘く開いた。

「なぁ、仲良くしようぜ。この村、若いやついないんだ」
「おれは、あんたを知らない」
「じゃあ、これから知っていってよ。俺、武藤徹な」

先ほどから何度も反芻させた名前をその舌に乗せて、徹はにこやかに手を差し出した。
節くれだった、自分よりも少し大人な男の手。握り返すつもりなんて毛頭ない。
ただ、その手に何故か自分が変えられていくような不思議な感覚を覚えて、夏野の目はその手を凝視したまま、止まる。
その手は自分より温かいのだろうか、とか。
その皮膚は自分より硬いのだろうか、とか。
触れる気なんてさらさらないくせに、そんな言葉が浮かんでは消え、浮かんでは消える自分の心を説明できる理由の持ち合わせは、夏野にはなかった。





変化することはよく知っていた
変化させられることは何も知らなかった






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