(うどんげ)
鈴仙・優曇華院・イナバは、この地上の者ではない。
これは別に、人間の子らが思春期によく言っているようなアレではなく、本当に鈴仙が月に住む月の兎だからだ。
今は地上の、しかも竹林に囲まれた場所にある診療所のただの手伝いだし、月にいたのも昔のことなので月だとか地上だとか、そんなものはどうでも良くなっているのだけれど。

そんな鈴仙の主人は、一人の姫だ。
彼女は月でとある罪を犯したという大罪人で、鈴仙が師匠と呼んで慕っている女性と二人で月から地上へ逃げてきた。

その際に赤い巫女や黒い魔法使いや緑の庭師なんかと色々あったが、今では幻想郷の住人たちにも受け入れられている、はずである。


ただ鈴仙には不可思議なことがある。
それは彼女の主人のことだ。
彼女の元には時々一人の少女がやってくる。白髪に赤いリボンの少女は、彼女たちの姫と並々ならぬ因縁があるらしかった。

その証拠に、出会えば即座に弾幕勝負、お互いの死力――文字どおり、死力である。というか実際死にかけている――を振りしぼりどちらかが倒れるまで、動けなくなるまで続く弾幕勝負を嬉々として行う様は筆舌に尽くしがたい。

一度彼女は師匠に聞いてみたことがある。

『師匠、姫様はどうしてあのような女と殺しあいたがるのでしょうか』
『そうね、どうしてかしら。私にも分からないわ』
『師匠でも分からないことがあるのですか?』

鈴仙は驚いて彼女を見た。三つ編みにした長い銀髪を揺らし薬を煎じている彼女はいつもの柔らかい微笑みを浮かべている。

『ええ、わからないわよ』
『本当ですか?』
『本当よ。鈴仙、貴女私が輝夜のこと何でも知ってるとでも思っているの?』

思っていた。だって彼女は聡明な人物で、姫のことなら何でも理解しているような素振りばかりしていたから。
でもその表情を見る限りではどうやら違っているらしい。

『むしろ逆、今の輝夜のことは私でも分からないわ。月にいた頃のほうがまだ分かりやすかったくらいよ』

一段落ついたのだろう、薬品を詰めた瓶の蓋を閉めてぐっと背筋を伸ばした師匠は私の鼻先にその指を突き付けて言った。ぱちぱちと瞬きをしてじっと見つめれば、指先に付着した粉末がちいさく空中に舞っているのが見える。その粉はまるで、師匠の細くて白い指からそのまま削られて出来たようだと思った。

まぁ、そんなことを考えてるとはおくびにも出さず、私はただ頷くだけであったが。ひとまず師匠の指から目を離して、私はまた姫様のことを話題にあげる。

『師匠は姫様が傷つくのが怖くないのですか。あんなに半死半生……むしろ九死一生ぐらいの怪我をしているのに』
『それも彼女にとっては、死ねないよりはマシなのよ。暇潰し、かしら?』
『はぁ、暇……ですか』
『そうね、あんまり長すぎて、永すぎて。最初の100年で、私たちはやることをやり尽してしまった感じがあるの。ここに辿り着かなかったら、それこそ退屈で死んでしまいそうなくらいに。だから、』
『だから?』
『……ここから先は、内緒。あの子のいないところでは、貴女でも話せないわね』
にこり、柔らかく微笑んで。話は終わりとばかりに師匠は両の手のひらを合わせた。
師匠が終わりというならば、終わりなのだろう。煙に巻いたり惑わせることもよく言う人ではあれど、あの方への言葉は殆ど嘘偽りのないものだと知っている。

だから、その言葉の先を考える。
永遠を越えても死ねない姫様と彼女が何故、お互いを殺すと本気で言える彼女らが何故、あそこまで互いに固執するのか。私達兎もいつかは死ぬだろう。それは人間であるあの紅白の巫女も例外ではなくて、いつか来るその時にいるのはきっとこの先も消滅しそうにないあのスキマ妖怪と桜の幽霊と、師匠くらいなものじゃあないか?
そうして自分を知る人が少しずつ減っていく世界で、隣に立てる人がいるのなら。自分をただ一人、姫ではなく不死の月人でもなく、自分と認めて剥き出しの感情を丸ごとぶつけあえたなら。

「……駄目ですね。なんでしょう、実はただの痴話喧嘩だったとか、もうそんなんでいいんじゃないでしょうか、これ」
結局私に姫様の気持ちなんて、少しもわからないのだけれど。想像するだけなら自由なのだ、二人の仲を思いきり邪推させてもらおうか。
呆れたような顔でこちらを見つめる空想上の彼女に向かって、これくらい構わないでしょうにと笑う。何せ毎度毎度、彼女たちの作ったクレーターを片付けているのは自分を始めとした兎達なのだから。
貴女方の仮初めの生き死にを賭けた遊びが、ただのじゃれあいだとかいう噂が広まるようになったところで、彼女以外見えない貴女には何の関係もないことと、どうぞ笑っていて下さいませ。

己が主と同じくらい暇をもて余した赤い目の兎は今日も、血塗れの主と燃える客人の争いを見守っている。
しかしそこにあったはずの不可思議は、もはや彼女のどこにもない。
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