つばさがない | ナノ




ぼうっとそいつを見つめた。そいつの向こうにある空を見ていた。暫く思考する事が出来ないでいた。でもなにか、言わなきゃ。

「…お前に関係あるかよ…」
「…人が折角優しくしてあげたのに」

その声はもう抑揚のないそれに戻っていた。まるで別人みたいだと思った。そっけなく、でも優しくしてくるそいつと、関心も何もない空っぽなそいつと。どちらが本物とかしらねーけど。
つうか。死なないでとかまじお節介。俺は死にたくない。飛びたいと、ただいつかお前がいるところで独り言を漏らしたかもしれないが、お前みたいな根暗なやつと一緒にすんなと言いたい。空は遠い。届かない。それはもう、多分随分前からわかっていた。心のどこかで、俺は人間だからとか、そういうのが邪魔で手が伸びない。そのことをどこかで、理解していた。けれど諦めることは出来なくて、俺なりにジタバタしてみたけれど、やっぱり届かない。でも別に、こいつを見る限り幽霊でも空を飛べるわけでもなさそうだし、俺は落ちたいんじゃなくて飛びたいんだし、生まれ変わったら鳥にでもなってやるんだ。それにはいつか死ななきゃならないけど、それはもっと先の、未来の話でいい。テニス部で優勝とかしちゃって、アクロバットで注目とかされちゃって、幸せに人生を満喫して、それからでいい。そう思った。そう思えた。そう思えたのは別に、こいつがなんか変に優しくしてきたからとかではない。

「俺が死にたいとか言うと思ってんの」
「そんなの興味ないよわかんないよ」
「あ、そ」
「けど死んじゃダメだよ、向日岳人は」

意味分かんね。けれど、あーキチってるわこいつー重症だわーでは済ませられない気がした。俺はって、じゃあ、じゃあお前は。お前はなんで死んだの。お前は死んでもよかったの?後悔とかお前自身の意識は俺はこれっぽっちだって知らないけれど。けどさあ。昨日まで見えなかった空に目を細めた。

「お前は」
「わたし?」

そうおまえ。お前ってなんか、もっと明るいやつだと思ってたよ。自殺なんかとはずっとずっと遠くの縁のないところで息をしているような、そんな普通の明るい奴だとばかり思ってた。って実際に言うのはやめておくけれど。宍戸が好きだったのも、あ違った好きなのもわかるよな、顔だけは普通にかわいい方。宍戸はこいつの明るい部分ばかりを見ていた。なぜか俺は裏っ側ばっかり見ていた。性格に難があります。裏が荒んでます、ご注意ください。お前は裏で死にたかった?死んでどうしたかった?飛びたかったんじゃ、ないんだろうな。

「お前だって死んじゃダメだったんだよ知ってんの」

今度はそいつがぼうっと俺を見る番だった。空を見ているのだろうか、俺を見ているのだろうか、どこか違うところを見ているのだろうか。こいつは俺越しでは空が見えない。その差はでかい。なんだかふいに、喉の奥辺りがつんと窮屈になったのを感じた。俯く。また面倒臭いなぁなんて言われても悪態を吐く自信すらなかった。

「そうだね」
「知ってたのかよ」
「うん でももう、死んじゃった」
「…お前、それでいいの」

俺が聞きたかったこと。一番聞きたかった。死んで、それで、満足なの。後悔とかしてないの。やっぱりお前は死にたかったの。屋上で一人のとき、やっぱり死んで正解だったとか、そんな寂しいこと考えてるのかよ。そう思ったらとうとう視界が霞みはじめた。なんで俺が、そんなことを考える。たぶんきっと、似てるわけでもないこいつに自分を照らし合わせてしまったから。ちょっと格好悪いなと自覚はするものの霞んだ視界はすぐに元通りにはならない。落ちるな、落ちるな。ぼたり。ああ、落ちちゃった。

「こんなこと言ったら色んな人に怒られるだろうけど、私はこれでよかったよ」

こいつに言わせればめんどうくさいそれがコンクリートに染みをつくる。ぼたぼた大袈裟な音をたてるから、雨みたいにも見えた。
ああ、なんだ、そっか。やっぱりこいつは落ちたかったんだ。飛びたかったわけでは、ないんだ。何が悲しいのか、ぜんぶ悲しいのか、止め処無く落ちる涙が、そいつと被った。ああ、もう、ほら。その声は本物。

「泣くんじゃない」
「…うん」
「ん、空がきれい。こういう日に死ねばよかったや」

こいつが自殺した日はたしか、どんよりと雲のかかった暗い空色だった。こういう、真っ青な青色の中で落ちていたなら、こいつは飛んだと言いきっていたかもしれない。

「バカみてえ」

そうだね。その声は優しく透ける。顔を上げると、さっきよりも濃く透けているそいつ越しの空に目を見開いた。待って、って、何をだろう。消えるのを?でもそういえば俺はずっと、さっさと成仏しろよって思ってたんだっけ。うわーやっとか、清々するぜ、言いたいのに、言えない。でも泣かない。こいつにはなんの情もない。最期にちょっと、会話しただけ。そう、なんか、別れの言葉ってやつ?

「じゃあ」

ほら、別れだ。

「翼なんてないけどさ」

そう俺達に翼はない。生まれた時から決まって空が飛べない。だからダルダルと手を振った。今あるこの手はそのためにあるような、気がして。

「私は向日岳人より一足先に空飛んじゃおうかな、なんて」


名字名前も怠そうに笑って、手を振った。
  
 
 
 
END
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