透明で彩る | ナノ

 
 
全力疾走してくる金髪が廊下の奥に小さく見えた。凛っぽい。すごい勢いで近付いてくるその影は私と目が合うと少しずつ失速して、私の足元にへなへなとしゃがみこんだ。思った通りのその人物。無言の凛の顔は走ったからか上気していて、なんだか悔しそうに眉の下がったその表情はまるで情けない。目線を合わせるように膝を折ると、凛が少しだけ上を向いた。

「樹……」

私の名前だけ呼んで、あとは本当に幼い子供みたいに押し黙ってしまう。拗ねているみたいだと思った。軋んだ髪を掻き回すように撫でて、がんばれって言ってみた。ああなんだか、本当に子供みたい。弟でもできたみたいで、こそばゆい。凛っていつも面倒臭がりで冷めてるくせに、こういう時ばっかり甘え上手だ。世渡り上手さん。

「…ぬーがやちばりゆし」
「んー…さぁ?」

そこまでは考えていなかったと伝えるとまた凛は溜め息を吐いた。あーあ、今ひとつ幸せが逃げたよ。

「ゆうじろ、と」
「裕次郎?裕次郎と、なに」
「喧嘩した」
「けんかぁ?」

この年にもなってけんかで拗ねてるだなんて、なんだか笑えた。プスと私の口から口内に溜まっていた空気の抜けた音がして、そこからはもう我慢なんかしなかった。

「あはは、」
「…なんもおかしくねーらん」

ますます膨れっ面になる凛。だけど、ケンカって少し珍しい。凛は元来言いたいことは包み隠さずハッキリ言う性格だったし、裕次郎はいつだってとても素直だ。ちょっとした諍いならあったけれど、そんなに情けない顔しなくちゃならないほどのケンカをしたのだろうか。

最初で最後だと思っていた、あの大きなケンカを思い出した。
小学2年生の頃だった。1年生の頃から割と仲の良かった二人が、いきなり取っ組み合いのケンカを始めた。その時当事者の一番近くにいた人間なのにもかかわらず、わたしには何が何だか分からなかった。そのくらい唐突だったのだ。ばちりと目があった次の瞬間、いきなり凛の方から飛びかかって、そのまま二人はゴロゴロと掴み合って床に転がる。凛の方が押していて、裕次郎は目にすこし涙を溜めながら、それでも殴り返していた。やっぱり私は意味が分からずぼけっと突っ立って見ていたけれど、暫くして先生が仲裁に入る。その勢いには見合わぬちっぽけな収束だった。納得がいかない様子でむすっとしているふたりは先生に言われて小さく「ごめんね」と「いいよ」を一度ずつ繰り返していた。

「んー…」
「なんだよ、仲直りしろとかやめろよ」
「そうじゃないよ」

今思い出してもよくわからない。二人の中には理由はあったのだ。でもそれは、私の知らないうちに出来たわだかまりで、私は介入できない。今度のケンカも、そういうことかなと、思った。むずかしい。
まだ力が入らない様子の凛が私の掌をゆるく握る。少し熱のある手だった。

こうしてもらっていれば、確かに私は一人でないのになぁ。

私は今回も輪の外側で、けれど一番近くで、それを見ていることしか出来なんだなぁ。


「さびさん、ってね」




いつの間にかひとりなんだもの

ぬー:なに
ちばる:がんばる
さびさん:寂しい

prev//next