透明で彩る | ナノ

 
 
「杏。ちょお来て」
「えっあ、うん」

振り返るとそこにいたのは財前君。部活中は終わったのかな、休憩かな。どうしたんだろう。今まで呼ばれることなんて無かったし、少し驚いた。ユニフォーム姿の財前君をまじまじと見るのは初めてかもしれない。いつも白石先輩もいるところでしかユニフォーム姿を見ないから、そうするとどうしても白石先輩ばかりに目が行くから。
え、なんだか緊張するなあ…。怒られないと良いけど。怒られるようなことはしてないつもりだけど、なんとなく、そう思いながら、少し前をさっさと歩いて行く彼の後ろに一生懸命ついて歩いた。人気のない廊下でも、財前君と一緒に歩いているとなんだか見られている気がした。格好良くて無愛想だけど優しいところがある彼は案の上二年生で一番なんじゃ?と言うくらいモテモテで、勿論私も格好良いなと思っていた。そしてもちろん、好きとかじゃ、ない。


「好き。付き合うて」

連れてこられたのは教室だった。
放課後で、夏の近づく誰もいない教室は、黄色とオレンジの合間の色で輝いているみたいだ。
財前君とうちはクラスが一緒で席も割と近くて、たまに喋ることがあった。
財前君は無口な上に大概音楽を聴いてるか携帯弄ってるかしてるし、うちから話しかける勇気もないから、本当にたまにだったけれど、他愛ない話題を彼の方から振ってきてくれることがあった。

仲が悪いとかじゃない。仲がいいとかじゃ全然ない。たぶん普通のクラスメイトだ。
財前君はうちのことを男の子の中で唯一"杏"と呼ぶし、うちも他のクラスメイトの女子よりも比較的財前君とよく喋っている気がするけれど、それでも友人であるかさえ怪しいと思っていた。

だからこそ、とても、そう、
衝撃的、と言うやつ。

「え」

あぁでも、うちだって白石先輩とはただの先輩後輩、もしくは天と地。べつに友人などでなくても、若しくは名前さえ知らなくても恋愛は自由だから、財前君が私のこと好きだとしても可笑しいことではないのか。
それでも、やっぱり、あの財前君がうちのことを好きだなんて。付き合ってだなんて。
信じられないし、不思議だし、どうしたらいいのか分からない。

「あ、その、ありがとう…、。でも…」
「白石さんのこと好きなんやろ?知っとるけど」
「あ、えっと、うん…。そう、だけど、知っとるんなら、なんで…」
「なんでって、なんで杏が白石さんのことが好きやからって俺が諦めなあかんの?」

サラリ。相変わらず飄々と無表情に。
あぁそうか。うちはなんて手前勝手に物事を考えてしまったんだろう。うちが誰のことを好きだろうと、諦めなきゃならないなんてことは決してないのに。
あ、ごめん…。少し俯くと気にしないからこっち見て喋れなんて、少し難易度が高いと感じた。いつもなら大して意識しない財前君との会話が、突然にカタコトと不自然なものになっていく。

「…えっと…」
「別に、嫌なら無理せずそう言うて。返事はいつでもええから」
「あ…うん。ありがとう…」
「送るわ。俺も着替えんなあかんし、玄関で待っとくから。帰る準備出来たらきいや」
「あ…。直ぐ、行くね」

断われなかった。
告白という好意も、送るという好意も。
どうしてだろう。
うちは白石先輩が好きなのに。悩む必要なんて、どこにもなかったはずなのに。

財前君の背中を消したドアをボーっと眺めながら、薄暗い教室で立ち竦んだ。



でも、今は行かなきゃ

 

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