透明で彩る | ナノ

 
 
赤也君が丸井先輩とグラウンドに向かって、教材室には都先輩とあたしで2人きり。あたしはやっとの思いで乾いた唇で形を作った。乾いている空気に、滲む様な水分を帯びたが声が響く。音響設備なんて何一つない部屋であたしの声は妙に響いた気がした。自分の声が震えていたからだと、分かるまでに時間は要さなかった。自分の震えた声に、押し負かされてしまいそうで、ギと歯を食い縛った。

「ねえ…先輩………」
「…どうしたの、有ちゃんってば、泣きそうな顔しちゃって」

丸井先輩が出て行ってから窓の外を見つめたままだった都先輩はあたしの呼ぶ声に振り返る。そこに丸井先輩はまだいないはずなのに、先輩はずっと、そこに何があるでもないテニスコートをじっと見ていた。あたしは、泣きそうな顔だったのだろうか。どうでも良い考えを頭の中から追い払って先輩を見据える。

あたしがふざけてなんかないことを察してか、都先輩の表情が少しだけ固くなる。

「先輩、あたしは赤也君が好きです」


これは些か唐突過ぎだと思う。
赤也が好きと私に告白してきた有ちゃんは、いつも以上に真面目な顔つきで。
私は少なからず混乱してしまった。だってほら、それは多分、私にじゃなくて赤也本人に言うべきだと思うから、私に言われたって、どうしてあげることも、慰めてあげることも出来ないのに。

「…そうなんだ、えっと、良いんじゃないかな。赤也良い子だし。応援するよ」
「じゃあ…先輩はなんで、赤也君と付き合わないんですか?」

あああ、何この子、私を混乱させよう大作戦実施中?いや出来ればそうだと嬉しいかもしれない。本気じゃなければそれだけ嬉しいなんて、ちょっと酷いけど、今はただ焦りが隠せない。赤也は、私が、好きだから?私は、赤也が、好きだというの?それは違うよ、でもそんなこと、知っているんだろうね、ただ、納得なんて、出来ないんだね。

「そのね、有ちゃん。お付き合いってのは好きな人同士がするもので、えっと、有ちゃんは赤也が好きなんなら他人に付き合うだとかって…」
「知ってますけど…けど…」

今にも泣きそうな顔でと私の言葉を遮る有ちゃん。いつも通り可愛いのに、涙のたまっていく瞳はいつもと違って。私を突き刺すような、責めるような。何だか、私まで泣いちゃいそう。

「じゃあ有ちゃん、私の好きな人、知ってる?」
「……丸井先輩、ですか?」

訊いといてなんだけど、何でみんな私の好きな人を知ってるんだろう。あ、だってさっき、目の前で格好良いとか言ってたし、それもそうか。でも、今そんなことはどうでもよくて。私の好きな人は丸井君。正解だし。この正解は、何を意味するんだろう。微かにテニスコートの方で真田くんの声を聞いた。丸井君たちが、戻ったのかもしれない。


「……そう。じゃあ次。もしも有ちゃんが、友達に何でA君と付き合わないの?と訊かれたとして」

私の語り出しが理解できなかったみたいで、有ちゃんは少し顔をしかめつつ。

「A君は有ちゃんの事が好き。だけどそのA君のことを有ちゃんは好きではない」
「……はい」
「有ちゃんはA君の為に、A君と付き合うの?」

暫く、有ちゃんは今にも泣き出しそうな表情のまま、黙ってしまった。

「…………いえ…」
「私だって、赤也のこと、嫌いなんじゃないんだよ…ただ、私は丸井君が、好きなの」

悲しげに首を振る有ちゃん。赤也ってば、幸せ者め。私なんかじゃなくて有ちゃんに惚れとけばよかったのに。悲しげな有ちゃんとは裏腹に、私の表情はほんの少しだけ晴れやかになっただろう。これで、もう解決だと思ったから。

「…はい。…それは先輩は赤也君の気持ちに気付いている、という解釈でもいいんですか?」

悲しげな表情と入れ替わるようにもう一度私を真直ぐ見据える有ちゃん。真剣なそれに私は息をのんだ。今時の若い子は頭の回転が速過ぎやしないかな。もはや私にとっては真面目に思考することすら怖く感じた。どう言ったら、どう表情をつくれば、一番彼女にとっても、私にとっても、他の誰かにとっても最善の結果になるんだろう。真面目に思考出来なくて、わからなくて、真面目に思考したとしてもそんな素敵な結果はないんだろうなということだけは明瞭だった。

「…うん、気付いてた」
「赤也君を好きになる確率は?」

切なげな表情。
確率なんて、明日には変わってるかもしれないのに。あたらないかもしれないのに。
それでもそう訊ねずにはいられない彼女はそこまで赤也への感情が本物であることを私へ嫌というほど理解させた。

「0、かな」


「……ごめんなさい…、あたし……っ…」


ああ、私はきっとずるい人間だ。

ぎこちなく微笑めばその場で泣き崩れた有ちゃん。なんだかすごく、罪悪感に苛まれてしまって、声が出なかった。最後には声をあげて泣くもんだから宥めようにも、私に宥める権利なんてない気がした。私も丸井君が好きでそれが叶う確率は限りなく低いわけだから気持ちは分からないでもない。でも赤也は私のことが好きなのだから、何とも言えない。私はずっと有ちゃんの隣で、また窓の外を見つめていた。



こんな偶然嬉しくないと言うのにね

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