ブルーロマンス | ナノ


それからの必死に働く日々はあっという間で。店のパートさんたちとも少しずつ馴染んでいった。それはここに来て、初めてのまともな人付き合い。最初は初めてのアルバイトという経験や、年上ばかりの環境に畏怖してばかりだったけれど、働いてみるとそんなものは杞憂に過ぎなかった。

その日は私の初めての給料日だった。いつものようにバイトに向かおうと部屋から出ると、いつもはホテルのスタッフさんくらいしかいない廊下で人とすれ違った。
そもそもここ8階は、20階まであるこのホテルの中で、宴会場となっている階だ。
廊下の奥に3部屋だけ存在する部屋も、客室として使われることはなく、ファミリーの人間やスタッフの寝泊まりや仮眠などにたまに使用されるぐらいであり、そう年に何度も使われる部屋ではないのだと言う。しかも、メインとなっている宴会場が他に4階と13階にもそれぞれあるので、8階にいる人間が私と常駐のスタッフさんの二人だけ、という時間も少なくないらしい。
そんな理由から、バイト以外の用事で外に出ることが少ない私は、この階で他のお客さんと遭遇したことなど一度もなかったのだ。


品のいいスーツに身を包んだガタイのいい男の人で、私を見ると微笑むみたいにして目を細めた。彫りの深い顔付きで、外国の人だとすぐにわかる。宴会場の下見だろうか、それとも迷子?なんて、私じゃあるまいし。そう考えていると、すれ違い様に、帽子を軽く上げて挨拶をされた。

「やぁ、コンニチハ、お嬢さん」
「あ、こんにちは」
「いい一日を」

その風貌からは想像しづらいほどきれいな日本語のわりに、「こんにちは」のイントネーションがカタコトしているのが印象的だった。さり気ない挨拶の中で他人の1日までもを気遣うのだから紳士である。なんだか嬉しい気分で会釈をして、勤務先であるスーパーまでへの足取りは普段よりなんだか軽やかだった。



バイトの帰り際にもらった給料明細。店長が小さい目をさらに細めて「がんばってたもんねえ、ちゃんと自分にご褒美をあげるんだよ」なんて言って、明細と一緒に売れ残ったお惣菜とケーキをくれた。私の身の上を勘違い100%ながらに理解して同情してくれている店長は、何かとこうして売れ残りの商品をくれたりする。普段はホテルのご飯が出るけれど、たまに庶民的な味が恋しくなる時は本当にありがたい。それに、あのホテルを逸早く出なくてはいけない私としては、一人暮らしの時の貴重な物資支給源候補なのであった。
店から出てすぐに開封した明細には16万の文字が記されていて、もう暗い街の街灯の下で、よく働いたものだなと考える。店長が言っていたような自分へのご褒美は、もらったケーキで十分だ。生活するために掛かる出費がゼロな私は、この給料を全て貯金に注げるから。もっと頑張ろう。そう決めて、ホテルまでの帰路をなぞった。




家に帰っておいしいホテルの夕食を食べてから、もらった給料をどうしておくか考えて、貯金箱なんてものも持たないことに気がついた。明日百均にでも買いに行くか?なんてしばらく唸った末、スーパーでもらったお惣菜とケーキが入っていた袋が視界に入った。

「泥棒が入るわけでもないし、まぁ…とりあえず、これでいっか」

なんて独り言を呟いて、お金を貯める空間ができたことに十分満足していたりして。そして、袋を剥ぎ取られ行き場を失くしたケーキを食べることにした。ご褒美、ご褒美。
最近のコンビニやスーパーのスイーツはばかにならない。シンプルなショートケーキを口に運びながらうまっなんて呟いて、独り言が増えたかな?なんて考える。三口目のフォークを入れたとき、部屋に穏やかなリズムでノックの音が響いた。時刻は10時。夕食の片付けだろう。食べ終えたばかりで片付けやすいようにもしてない食器を気にしつつ、ドアを開けた。



「コンニチハ、お嬢さん」



 
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