ブルーロマンス | ナノ


「え……えっと、」
「聞えなかったか?ヘラヘラしてんじゃねえぞ寄生虫」


もうだめだ。その人が部屋に入ってきて一分と経たないうちに私は泣きそうになっていた。心臓がぎゅうと委縮し、呼吸がつらい。次の言葉が出てこない。断片的な言葉は思い浮かんでは消えるけど、声が出せない。だめだ、何か喋らないと、もっと睨まれる。もっと何か言われる。さっきまでの明るい鼻歌はとうに煙草と香水の匂いで掻き消えて、わたしの引きつった息が喉をつまらせた。


「ぁ…の、」
「てめえいつ此処を出てくんだ」
「え、と」
「リボーンさんに車まで出させたって言うじゃねえか」
「出させたって…そんな…」
「十代目がいつまでもてめえを泳がせてると思ってるんじゃねえだろうな?」
「お、思ってません、そんなこと…わかってます、ずっとここに迷惑掛けるわけにはいかないことくらい、」

チャリ、と音を立てる獄寺さんの手元にはリングが三つ。これはファッションなのか、武器であるのか。どちらもなのかもしれない、けれど。紙を通して憧れたボンゴレリングは、目の前にするとただの凶器にしか見えなかった。最初はいっぱいいっぱいで目に入っていなかった。山本さんが指にしていたのを見たときには、これがそうなんだと不思議に感じた。けれど、夢じゃないと諦めた途端、その不思議な気持ちに一滴の恐怖が混ざり込んだ。

わかってるつもりで、わかってないことだらけなのはわかっている。窓から抜ける風がカーテンを揺らして、私の足元を掠めて、獄寺さんの元まで届いたかは分からない。

「十代目は情に絆されてるわけじゃねえ。一度拾ってしまった捨て犬を放っておけないだけだ。犬が出ていったところで追ったりはしねえだろうよ」
「…そんなこと、わかってます。………私、だって、戻りたい」
「……泣いてどうにかなるなんざ甘いこと考えてんなら今ここで俺がてめえを果たすぞ」
「そ、んなんじゃ、ないです」

そもそも泣いていなかった。切れ切れになる言葉に獄寺さんが怪訝な顔をしたことがわかった。少し泣きそうになって喉の奥がツンとしたのは本当だけど、ここで泣いたら本当に殺されたりはせずとも殴られるくらいの覚悟は必要だと思った。


「は…泣かねえってか」
「…悪いのは私、ですから」

なんて言いながら、私も悪くないような気がして堪らなかったけど、でも、迷惑をかけているのは紛れもなく私だから。やっぱり私が悪いのだろう。


「ハッ 分かってるような事言うのは簡単だろうな。十代目のご苦労を考えろ。ただでさえお忙しくて、本当なら拾った犬の事を考える余裕なんかあるはずねえんだ」
「かんがえる…?本当に、ごめんなさい…でも働くところが決まったんです、直ぐに出ていくと、リボーンさんにも伝えました、」


私の途絶え途絶えの言葉をそこまで聞くと、獄寺さんは煙草とジッポを取り出してイライラしたように煙草を吸い出した。リボーンさんのものとは違う、もうすこし苦い匂いが広がる。揺れる銀髪の向こうにあるグリーンの瞳が私を静かに見据えた。煙草を指で挟み、獄寺さんはハァと溜息なのか煙を吐き出したのか、どっちともつかない様子で口を開く。


「……わかってねえんだろうから言うけどな、」


それは苛立ちの中に落ち着きを感じる不思議で静かな声音だった。外では雨の音がしている。ロビーの新聞で目にした今日の天気予報では午後から雨。今は4時過ぎだから、予報より少し遅れて降り出したようだった。その雨音が余計獄寺さんの声を強調するものとなる。


「てめえみたいに明らかな凡人で金もなさそうなガキがここにいつまでも出入りしてっとややこしいこと疑ってコソコソ嗅ぎ回る奴等もいんだよ」


その一言を反芻してようやく気が付いた。心配しているのだ。それは勿論獄寺さんから私への心配ではなくて、私がここに居座ることによって起こることの可能性への心配だけど。私をただただ唾棄すべき存在として捉えた悪意からくる言葉じゃないというだけで随分救われたような気分だった。
わたしが何も言えずに見つめ返していると、彼は険しい表情を少しだけ緩くしながら短くすり減った煙草を部屋の灰皿に押し付けた。使ってもないのに毎日取り換えられる灰皿が、今日初めて私のいる部屋で使われた。黒と白の粒がまざって灰色に見えるそれを、彼がいなくなってからも見ていた。


「出ていく気があるならさっさとしろ。守りきれる保証はねえってことは覚えておけ」


去り際の彼の小さな声には、やはり苛立ちや煩わしそうな嫌悪が滲んでいた。それでもほんの少しだけ彼の優しさを思い出させて、息苦しさが収まるのを感じた。窓のカーテンを揺らす風が、彼の出て行った扉まで届いたかは分からない。




 
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