ブルーロマンス | ナノ


ホテル付近を延々と歩いていくつか目星を付けたコンビニやスーパーの中から、一番時給がよい点から、スーパーに面接に行くことに決めた。
大型モールの中のファストフード店とか、そういったところで働くという手もあることにはあったが、なんとなく避けたい気持ちがあった。学生が多く訪れるような、前の世界では私も制服姿で訪れていたような、そんな場所がすこし怖いと思った。
アルバイトの経験はなかったので、アルバイトの採用面接などしたことがあるわけもなくて、求人誌の隅の「電話の掛け方」という豆知識のような欄に再三目を通して、深呼吸を繰り返して、面接の約束を取り付けた。

山本さんとお話をしたときに貰った私の戸籍だとか遍歴だとかが綴られた数枚の紙を見ながら、親切にも求人誌についていた履歴書に、ホテルの部屋にあったボールペンで書き込む。全てが自分で用意したものではないことに気付くといい加減笑えてしまう。弱者だ。圧倒的な弱者。この状況から抜け出す為だと思うと、ボールペンを握る手に力がこもった。
数枚の紙に収まるみょうじなまえのデータは今どきドラマだってマンガだってこんな遍歴の登場人物いないだろって言いたくなるような複雑なものだった。父母については不明で、祖父母の家で育ち、小学校、中学校を異常なまでに転々としていたようだった。中学二年生で祖父母が亡くなったのか、孤児院であろう施設名が書いてある。私のママもパパも、おじいちゃんもおばあちゃんも、みんなピンピンしていたはずだったけれど。
ともかく、この世界での設定上わたしは紛うことなき天涯孤独少女であるようで。高校のデータはなかった。実際に私が施設で暮らす身であれば、確かに高校には行かず働くかもしれないと無意味な納得をしながら、十代らしからぬびっしりとした職業欄を書き終えた。

リボーンさんが買ってくれた服の中から清潔感のあるブラウスとパンツを選んだ。ここでは現実ですらない思い出の中の高校の制服は着られない。

わたしの緊張とは裏腹にバイトはすんなりと決まった。店長であり採用担当の「ミヤタさん」は、私の複雑極まる履歴書にはあまり目を通さず、というより途中で諦めたらしく、「ご家族は?」と聞いた。少し狭い事務所のようなところは、なんとなく魚や青果の臭いがある気がした。それから、クーラーの冷たい匂い。

「いなくて」

そう答えてやっと、自分の中で腑に落ちるものがあった。前の世界とこの世界は別モノなんだ。目を伏せる私を、おそらく違う意味で捉えたミヤタさんは悲しげな表情で「大変なんだね」と呟いた。大変であることには間違いないので、細かいことは気にしないことにして、少し笑ってそれを返事に代えた。

それから、私の嘘っぱちのプロフィール情報はほどほどに、雇用条件が語られた。
どのくらい働けるかと聞かれて、どれだけでも、と答えた。いつから働けるかと聞かれて、明日からでも、と答えた。学校に通って、休日なんて関係なしに部活に出ていた中学生活を思い出したら、いける気がした。私にあるのは、膨大な時間だ。それが今の私の唯一の財産と言える。これをお金に変えなくてはならない。

「よし、じゃあ採用させてもらおうか。初めの研修期間は三週間。明後日からでいいかな」
「、はい!ありがとうございます!」


それからシフトのことや支給品のことなど、色々な説明を受けた。重要そうなことだけを頭に叩き込んで、挨拶をしてその日はスーパーを出た。ミヤタさんは笑顔で見送ってくれて、手まで振ってくれた。不安よりも期待が大きかった。やっと人間らしい生活ができると思うと安心感すら覚えた。胸躍る思いで歩いた道は来た時より短く感じるほどで、けれどホテルに戻ると、そこにはやはり私の、人間らしくない寝床があった。それでもいつもより気分が明るくて、鼻歌なんていつぶりだろうか。


そんな時にノックの音。受付のお姉さんにしてはその音が乱暴で無骨であったことなど気に留めることも出来なくて。「はーい!」鼻歌が混じったままの呑気な返事をしてしまう辺り、私もそろそろこの生活に慣れてきてしまっている。いいことではないと思う。私が鍵を開ける前に、その扉は開いた。その違和感にすら、気付けなくて、その思いもよらない客人に驚くことしか出来なかった。


「………」
「呑ッ気な声出しやがって」


眉間の皺が、わたしへの不快感を何ひとつ濁さず表していた。
尖った眼光が私を狙っている。歩くたびに小さく音を立てる金属音。ツカツカと真直ぐに私を睨みつける、靴音。
 
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