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朝。すこし早起きできた日に乗る電車だった。学校へ行くまでのおよそ20分。世のサラリーマンの通勤時間でまさに満員電車といった混み具合。息をするのも大変なくらいだけど、なにより吊革に掴まれずにおじさんたちに揉まれながら踏ん張って立っていることが何より体力を消費するのだ。
すこし高さのあるヒールを選んだ今朝の自分を恨みつつ、フラフラ、というよりはぐらぐら。あっちのサラリーマンこっちのサラリーマンの肩にぶつかりながらなんとか足を地面に着けていた。だんだん人酔いも回ってきて、正直、自分は電車に向いていない。毎日そんなことを考えながら登校してるけど、改善されるわけもない。

課題ちゃんと持ってきたっけ、とか。今日のバイト何時からだっけ、とか。ああ酔った、きもちわるい。とか。


「あの」


ふと軽く触れられた手首に心底驚いて声も出なかった。この間買ったバングルがカチャカチャ音を立てる。
声のした方、右斜め後ろ、すこし上。
近くの高校の制服。涼しげな瞳。縁取る控えめな二重瞼。言葉の端をかたどったままの唇もキレイな形だった。
ピアスの多い耳たぶから垂れ下がるイヤホンが私がこのあいだなくしたのと同じ。

男の子はわたしの驚いた顔を見て一瞬手首に触れた手を離す。その手首にあるリストバンドはわたしの通っていた中学のテニス部の証。OBなんだなって、観察。


「あ、すんません。
ここ、どうぞ」


男の子はもう一度わたしの手首を、今度はしっかり握ると自分が持っていたのであろう吊革まで運び掴ませた。
途端に安定する足元に安心感。チャラそうなのに、優しいしすごい格好いい子。モテるタイプ。


「あ、ありがとうございます」
「や。ぜんぜんっすわ。…それ四天美専やんな?」


わたしの持っていたばかでかい鞄を指指した。美容学生特有の黒い大きなバッグ。満員電車ではしょっちゅう睨み付けられるやつだけど。
知ってるんだ。目立つもんな。このサイズのバッグ持ってギャルみたいな集団が歩いてたりするもんなぁ。

こくこくと頷くわたしに、電車が停まる音が止むのを待ってから男の子は一段と綺麗な笑顔を見せた。クシャっと笑う感じではなくて、冷たいけれど柔らかく。


「俺も来年からそこやねん。
仲良うしたってな なまえサン」


そう言ってわたしが降りる駅より三駅早く電車を降りたその子をボーッと見送った。わたしのかばんについている名前入りのキーホルダーを見て名前を呼んだことはすぐに気が付いたけれど、わたしは男の名前を聞いていないことに気付いたのはあと二駅の電車内で。そして自分の中のざわざわと音を立てる気持ちにゆっくり気付く。明日から早起きだなんて考えながら、掴む吊革をもう一度握り込んだ。

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