◎ | ナノ

何故だろうな、と。口元すら画になる人の、悩ましげな表情は、それもまた画になるほどの端正さで、完璧とも言うべき姿です。けれども、自分には悲しいことに思えました。

「アイツには、言えねえ」

こんなにも弱い目をした跡部さんを見たのは初めてでした。いつもの鋭くて自信の青に満ちた眼光は何処にもなく、俯く姿。自嘲すら感じられる姿。そして、涙を落とすような声音でその名前を呼びます。

「なまえ、は、きっと」

俺じゃない と続くと自分にはわかっていました。けれどその声は思った以上に掠れてしまい、音になりません。かける言葉なんて、普段から口下手な自分には思い浮かぶわけもなく。跡部さんになにひとつできることなど、自分にはなくて、それに、自分の抉られるような痛みはどこのものなのかもわからなくて、ずっと考えました。
なまえさん。その名は跡部さんの隣のクラスにいる名字さんという人のことでした。努力家で賢く、謙虚で健気で、柔らかく朗らかな笑顔が美しい女性と記憶しています。品行方正と言えばよく当てはまるような欠点の見当たらない人です。無口な自分にもよく笑いかけてくれました。そんな彼女こそが、跡部さんをこんなにも弱くさせているのです。

「………跡部、さん」

「は、見損なっただろう。自分でも思うが、まるで俺じゃないみたいだ」

「…いえ、自分は そうは思いません」

本当です。思わない。これも跡部さんの姿なのだろう。目の前の姿を信じられないと言う人間はどれほどいるだろう。きっと彼女なら受け入れるだろう。そう思いました。
自分にはよくわかっていました。よく見ていた二人のことです。彼らの両想いなど容易く勘付くことが出来ました。誰も知らなくても、また、誰もが知っていても、当人は気付いていません。互いに優れた魅力的な人物であるにもかかわらず、いつまでも自信を持てず、否定的に笑い、はぐらかすのです。このままでは本当に二人互いに背を向けて離れていってしまうのも時間の問題なのは自分じゃなくても、跡部さんだって気が付いているはずなのに。
互いの幸せを願うばかりに、その幸せはお互いに歩み寄らないと叶わないのに。なんと愚かしい姿でしょう。美しく切ない物語ではないのです。叶わないとならない明るい物語であるべきなのです。彼らにとっても、また。いえ、彼らにとって。
けれど、自分の中には彼の背中を押すような力強く優しい言葉が見当たりません。裏を返せばそれほど簡単なことなのです。ただ素直になればいいだけなのです。しかし、自分が彼らにひとつそれを教えたところで、また、柔らかい悲しい表情で否定されるに決まっていました。それが自分にとっても何よりの皮肉でした。俯く跡部さんとただ立ち竦む自分では、どちらが不幸なのかと、ひたすら考えてしまうほど、悲しいことに思えました。/teikan
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -