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志摩廉造という人はオンナノコがだいすきだという。いつかに本人から聞いたことだった。その中には私も神木さんも朴ちゃんも、学校には来ていないよくわからない杜山という子も、すべてが含まれるんだと思う。とても大きな括り。

「なまえちゃん、おはようさん」

日直の仕事を片付ける為に朝早く登校すると、なぜか志摩くんに出会った。今日の日直は彼とではなかった気がする。じゃあなんで、少し焦りながら早口でおはようを返した。

「…早いね」
「珍しく坊より早起きできてん」

別にどうしたのなんて聞いてもないのに、にかっと笑う志摩くん。そんな些細なことさえも苛々としてしまう。そうなんだと相槌を打つ私の声はすこし冷たい。もう彼にはほとほと呆れていて、自分でも気付かないうちに冷めた目線で見てしまっていたみたいだった。

「冷たー。今日日直なんや?俺も手伝うえ」
「いいよ、一人でできるから」
「ええんて、ひまやったし」

これ以上しつこくされるのも、何度も断るのも面倒くさくて、机の整頓でもしてもらうことにした。
私が花瓶の水を入れ替えて戻って来たとき、机達はもう整然と並べられていて、志摩君は自分の席にだるそうな格好で座っていた。最初から、そうしてくれていればいいのに。一瞥してまた、机を適当に水拭きしてから、黒板消しを右手に黒板をきれいにしてゆく。昨日の日直は帰りに黒板を消していってくれなかったみたいで、白い文字が全体に散らかっていた。志摩君はヒマなようで、ダラダラとどうでもいいような話を絶えず続けた。次から次へと湧き出る話題を鬱陶しく感じないのはきっと彼の性格の明朗な雰囲気が土台にあるからだろう。
その会話に懐かしさを感じた。前とは違って今の私はただ、曖昧に相槌を打つだけだったけど。

「…なぁ、」

付き合ったのは入学してすぐだった。あっちから、ごく自然な流れで告白してきたことを覚えている。綺麗な顔をしていたし、フレンドリーな印象だったから、私は二つ返事で志摩くんと付き合うことにした。けれど別れたのもすぐで、一ヶ月もったかもたなかったか。私がごめんと切り出した。わたしじゃなくてもいいんだろうなと感じていたから。仄かな嫉妬心が芽生えたりする自分の感情に耐えきれなくなったから。もういいやなんて、まるで開き直るみたいにして。
唐突に今までと明らかに違う雰囲気で吐きだされた声音に私はまだ何も返していないのに、志摩君は続ける。

「俺やっぱりなまえちゃんのこと好きやで」

黒板の白をぬり潰すみたいな動きで消していく。白い粉が舞う。汚いなぁとすこしだけ目を瞑った。黒板の一番上の文字までぐいと腕を伸ばして、志摩くんの言葉が聞こえないフリをした。届かない文字を一旦諦めて、右手を横に伸ばす。

「なぁ、聞いといてって」
「……」

なんでこんな日に彼は早起きしてしまったんだろう、なんで私は今日日直なんだろう。
無防備な左手と黒板消しを奪われた。志摩くんの右手は黒板消し、左手は私の左手。背中に触れそうな距離の人の温度を感じた。軋むみたいに強張る体。
ああなんで、こんな日に彼は早起きしてしまったんだろう、なんで私は今日に限って日直なんだろう。ああどうしよう、もう、この人とは卒業まで関りを持ちたくないとすら思っていたのに。きっとこの人の隣じゃロクな目に遭わない。きっといつでも、志摩くんと話す時の他の女の子の豊かな表情筋とは対称的に私の頬は固くなってゆくんだ。そんなのって醜い女の子でしかないから、そんなのって嫌だから。

身動きの取れない私を押さないようにしながら、志摩くんの長い右腕はすこし乱雑に黒板上を走る。私の左手を握る志摩くんの左手は静かだけど、うっすらと熱があった。

「俺とおってもドキドキできん?俺じゃあかん?」
「……そんなわけじゃないよ」
「俺は、いまめっちゃドキドキしとる。俺はなまえちゃんがいい」
「うそだよ、神木さんとかでもいいんでしょ」

目を瞑って、大きく息を吸ってずっと思っていたことを吐きだした。せめて志摩君が背後にいてくれてよかった。真正面切ってこんなことを言われてもきっと何も答えられないまま流されてしまっただろう。顔が見えないのに、志摩くんの眉間に切なく皺が寄るのを背中で感じた。

「ちゃう、なまえちゃんと他の女の子じゃ全部違っとる」
「あの時、志摩くんは誰でもいいんだと思ったの」

左手にぎゅうと熱が集まった。小さくいたいと呟いてみたけれど、特にどうにかなるわけでもなく。同時に重みの掛かる右肩に心臓が飛び跳ねた。いつの間にか黒板消しをはめた右手は黒板に押し付けるみたいにして動きを止めていた。

「そんな、悲しいこと言わんで、」
「…ごめんね」
「俺が悪かった、だからもっかい、やり直さしてや…、……」



私はひたすら無言で、朝のひやりとした空気に耳を澄ましていた。
志摩くんには悪いことをしているのかもしれないと思ったけれど、流されるべきではないと感じたから、左手と肩の熱を受け入れながら、私はずっと黙ったままでいた。

しばらくすると幾分か落ち着いた様子の志摩くんは鼻を啜ってごめんと呟く。わたしはうんとだけ返して、潤む睫毛を眺めた。廊下の向こうが微かにざわつき始める。ポケットティッシュを手渡すと、彼はまた鼻をぐずぐず言わせながらごめんな、とはにかんだ。わたしもまたうんとだけ返して、みんなが来るまでのいつもより静かな教室で、今度は私も相槌だけでなく笑顔を零しながら、凍えてた距離を温め直すみたいに会話を続けた。



奪われながら話し続ける
title/にやり
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テーマ「人外ファンタジー」
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