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塗り潰した様な濃紺の一面に広がった、見たこともないような数の星々を、首が疲れるまでずっと見上げていた。瞬くとはこういうことで、あぁ綺麗だなと感じた。
星の数ほど、という言葉があるが、都会の天上で臨める星の数しか知らなかった俺からしてみればなんてちっぽけな規模なのだろうなんて思っていた。もちろん肉眼で見えない向こう側には無限に星が続いている位知っていたが、俺の星の数なんてこんなものかなんて、冷めた目で見てしまっていたのだ。田舎町では標高が高くなくてもこんなに澄んだ空が見えるなんて。空気がどこまでも透明で、嗅いだことのないくらい濃い冬の匂いがひんやりと鼻腔をつついた。


「……すごい、」
「ふふ、そうだね」
「これ全部が星なんだ」
「そう。少し、信じられないでしょ」


冬は空気が冷たくてすんでいるから、とても綺麗に星が見えるの。ねぇ、幸村くん。そう言っていたなまえはまた黙って空を見詰めた。それに倣って俺もまた満天の星空を瞳に映す。星がありすぎて、元々詳しくもない星座なんてわかりっこないけど。だけどやっぱり美しい景色なんだということだけはわかって、これを絵に描けたら楽しいだろうなぁなんて考える。あぁ、彼らとこの空が見られたなら、もっと楽しいかもしれない。
けれど。綺麗だと言えばそうだね、と。嫌いだと言えばそうね、と。隣の彼女はただ静かに相槌を打つ。俺はいつだって彼らの元へ行けるのに。居心地が良すぎて、どうしても離れられなかった。甘えているのは俺だ。ばかみたいにそれを受け入れて、彼女は自分の地元の空に俺を招いた。
病院で出会ったこの空に溶け込むみたいに透き通る黒髪の彼女はもう助からないのだという。四十そこらの看護婦が「まだあんなに若くて可愛らしいお嬢さんなのにね」なんて、顔の皺を深くしながら神妙な顔つきで言っていた。それをなぜ俺に言ったかは知らないしその時の俺にはそんなことまともに考える余裕もなかった。彼女はもう、自分の余命を知っているのだそうだ。だから、こうやって無邪気に笑うのだろうか。病院から逃れて地元の自然を求めたのだろうか。都会の空は、彼女には狭すぎたのだろうか。


「もしかして、流れ星も見られたりするのかい?」


こんなに星があるなら、そう思った。するとまるで小さな子供にそうするみたいに微笑むその姿に苛ついた。


「まぁ、たまぁにね。私も、あんまり見たことないけれど」


今日は特別に星が多く出ているからもしかしたら、ね、にこにこ笑いながら空を見上げたなまえは本当に自分が生きていられる時間の短さを理解しているのだろうか。
「ねぇ、なまえ」言いかけた時、さっきまでより少しばかりボリュームの大きななまえの声が田舎の他には何もない空にポッカリと響いた。それにほんの小さな俺の声も重なる。俺達は一筋の光を確かにこの目で見たのだった。

願い事を三回なんて繰り返す暇もなく、短い尾びれを引いて一瞬の間に死んだその星の残像がまだ見えているような錯覚に陥って、彼女がおまえみたいにそっちへ逝きませんようにと、一度だけ思った。三度も繰り返す暇は、やっぱりなかった。それじゃこんな願いは叶わないかなと、思えば苦笑を洩らすしかなくて。時が止まったみたいに、星だけが変わらず瞬き続ける空を二人で見つめた後、隣で彼女がわぁっと口を開いて、時をまた動かした。


「すごい、すごいよ、幸村くん!本当に見れちゃった」
「驚いた、初めて見たよ」
「本当に?ねぇ、すごいね、見れるかなって話をした直後だったよ」
「うん、すごい」
「お願い事、できた?」
「ううん、一度しか言えなかったよ」
「そっか、なんて言ったの?」


俺は彼女の興奮した頭でも理解が出来るようにと、ゆっくり丁寧にその願いを口にした。なまえが、あっちへ、逝きませんように。すうと彼女の顔から表情が薄くなり、悲しそうに俺を見る。そっか。その声はまるで儚くて、彼女には自分の何もかもがわかっているということを悟った。


「それじゃ、わたしと逆だね」


え?なんて聞き返すことも出来なかった。星が瞬く。小さな光で俺達を照らす。彼女の頬はそこに一つだけ立つ寂しい青白い街灯と空の色と星の光に反射して死に際の人のようだった。


「私は、流れ星みたいに、早く、綺麗に逝けますようにって願っちゃったよ」


無邪気な、たったの十とそこらの少女の口からまるで当たり前のように吐き出される願い事の冷たさに打ちのめされる俺になまえはきれいに笑った。


「幸村くん、ありがとう」
「…うん、でも君はまだ」
「ううん、もう半年もないの。誰かから聞いてる?」
「うん、聞いた」
「そっか。仕方ないからね、あーあ、痛くないといいなあ」


死と直面している彼女は俺に星を見せたいと言った。都会の空じゃ彼女が昇るには狭すぎる。


「痛くないよ」
「そう?それならいいんだけどね」
「うん、」
「幸村くん、テニス、続けてね」
「うん、」
「私は死ぬけどさ、生きてね」
「うん、」
「がんばってね」
「がんばるよ」


ぼたぼたと絶え間なく涙を落していたのは何故か次の夏を迎えずにいなくなるのであろう彼女の方ではなく俺の方で。彼女はにこにこと俺の大好きな笑顔を浮かべて流れ星の消えた星を見上げた。


「流れ星、嬉しかったね」
「うん」
「神奈川から遠いのに、ここまで付き合ってくれてありがとう」
「うん」
「帰ろっか」
「…うん、手を繋いでいこう」


それ、すごくうれしい。そう笑ってくれた彼女にどれだけ救われただろう。星空を背中に、自分のそれよりも小さな掌を壊れてしまわないようにそっと握って帰り道をなぞった。



星が死ぬときは僕も死ぬ


/僕等の365日さま提出
ありがとうございました。冬のテーマタイトルを択ばせて頂きましたが、夏に書くとどうしても夏臭がしますね。長くなったし纏まらなかったなぁと。
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