◎ | ナノ

老後/おじいちゃんな丸井てどんな口調なのか想像付かないまま強行突破した感丸出し/






「今日は久しぶりに、どこか散歩に行こう」


朝食を食卓に並べている最中の私に、ゆったりとした口調で彼は言った。
朝食だけはしっかり摂るのがいつからか家の決まりのようになっていた。私も彼も料理が好きなのもあり、二人で毎朝早く起きて家族4人分の朝食を時間をかけて作ることが若い頃からよくあった。最近では、作る量も減ったけれど。

丸井からブン太になった呼び方は、今ではもうお父さんになった。私の名字も彼と同じ丸井になって、お父さんと呼ぶきっかけとなった子供達はもう自立して家にいないのに、親でもない人をお父さんと呼ぶ。そんなこともすっかり自然に感じるようになっている。今更ブン太だなんて呼べないなと考えるとなんだかとても可笑しくて。

「あぁ、素敵ね」

朝食を食べて歯磨きをして、毎日楽しみにしている朝のドラマを15分間二人並んで座って名前も知らない俳優さんの優しい演技を笑いながら見る。ドラマを見ながらどこに行こうかという話をした。どこでもいいけれど、行ったことのないところと、いつか行ったところとどこがいいだろう。お父さんがそう言うから、迷子になるのも怖いのでいつか若い頃にふたりで行ったところに行ってみましょうと返した。「あぁ、そうだ」彼はリビングに飾ってある写真達を眺めてから提案した。

「あの観覧車のあるだだっ広い公園なんてどうかな」

年を重ねても若い頃と変わらず突然に洒落たことを言う人だなと思って笑った。
久しぶりのデートだわと思うととてもふっくらとした気持ちになり、暫く来ていなかった柔らかな麻のロングスカートをタンスから引っ張り出した。年甲斐がないかしらと鏡の前で戸惑ってみたけれど、せっかくなので着ることにした。あの頃、結婚した当初なんかはいつかこんなおじいちゃんおばあちゃんになっても一緒にいる自分達を想像しただろうか。年甲斐なんて考えて鏡の前に立つ日を想像しただろうか。あの頃の私には想像したつもりではあっても、きっとどこかどうにも想像のつかない果てしない未来ことだった。でも今は、まるで当たり前のようにここにいる。私は今昔の私の未来に立っているのだ。


歩いて、電車に乗って、また歩いた。
観覧車以外はベンチとこぢんまりとした売店ちょっとしたバラ園と、あとは無駄なくらいの敷地いっぱいに広がる芝生しかないような公園。あの頃はあんなにもつまらなかったはずなのに、今日はなんて心地のいい解放的な場所なのだろうなんて深く息を吸った。年老いたものだなんて思うけど、寂しさなんてなかった。誰もいないしなんて少し恥ずかしがりながら笑い合って初々しく手を繋いだりもした。


ほとんど口を利かない時期や、別々に生きることを考えた時期がなかったわけじゃなかった。それでも、ずるずると引きずりながら歩き、ゆっくりと消化しながら打ち解け、長い時間をかけて私達は他人から友人へ、友人から恋人へ、恋人から夫婦へ、夫婦から家族へと。そうして育んだもので繋がっていた。

大きな大きな観覧車をふもとからふたりで見上げた。他に誰もいない、寂しい土地で、気持ちはとても穏やかで温かい。

「なまえ」
「はい」
「今日はおまえの誕生日だろう、おめでとう」

隣を見るとお父さんは私と同じく穏やかな表情で笑っていた。差し出された小さな箱にあの時を思い出さずにはいられない。ああ、何年ぶりに聞く言葉だろう。子供がいなくなれば自分の誕生日なんて意識する必要が薄れていって、忘れきっていた。いくつになるのだったっけ。そんなことも直ぐには思い出せないくらい、年を重ねたということだけは確かだった。小さく輝くそのリングを、いつか抜けなくなっても困るからと外してしまった結婚指輪の代わりのようにして左の薬指にはめて、これからはまた家族から夫婦に戻って、あの頃みたいにブン太と呼ぶのもいいかもしれないなぁなんて、ありがとうと言う私の声はあの時と変わらない幸せで少しだけ震えていた。




ワンモアポロポーズ



何も経験ないんですけれども、おじいちゃんおばあちゃんになっても手繋いだりして、「最期まで隣にいたいねぇ〜」って死を見通しつつもっかいプロポーズとかしてもらえたら素敵だと思うっていう、保育園児が「しょーらいの夢は〜ケーキ屋さんか〜、お花屋さんか〜、おとうさんのお嫁さん〜!!」って言うのと同じレベルの夢を見ています。なんか、お母さんはパパって呼ぶのにお父さんは名前で呼ぶってのありますよね?可愛いと思います
訳:おじいちゃんおばあちゃんの口調わかんなかったです

あとおじいちゃんにするのは何も丸井じゃなくてよかったかなとは思って反省してます ブン太って呼ばれるおじいちゃんやだ カタカナなのに日本人なのが最高にやだ
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -