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跡部景吾を知ったのは本当につい最近のことだった。まだ5年も前の話じゃないだろう。そりゃあアトベと言えばとても有名な会社だし、気になるドラマの合間合間に流れるCMでくらいなら聞いたことのある名前だったけれど、その家の一人息子がちょうど同じ中学校で同い年だなんて知る由もなかったから。

とても綺麗な顔立ちをしていたから、直ぐに覚えた。イギリスからの帰国子女がいるとは噂になっていたし、入学式でも生徒会長にいきなり俺様が王様だとかなんとかと悪目立ちしていた彼は、どこにいたってわかるくらいのオーラがあった。あの頃は、きっともう既に校内に彼の名を知らない生徒なんていないんだろうねぇと出来立てほやほやの友達と話したものだ。その頃の跡部景吾に対する感情は、興味とか、野次馬根性みたいな、そんなもの。

初めて彼が一人で汗を流している姿を見たのは、彼を初めて見た日から三年も経った高校生になった一年生の夏休み。ストリートのテニスコートだった。たまたま通りかかっただけだったけど、地毛には見えないくらい色素の薄い綺麗な髪はどこにいたってつい目に留まる。あぁ、跡部景吾だ。そう思って、友達との待ち合わせ時間までにもずいぶん余裕があったから足を止めて少し離れた場所から眺めていた。
相手は少し年上に見えた。黄色いテニスボールは軽快な音を立ててコートを跳ね回っている。よくわからないけれど、彼はよく人から聞く通りとてもテニスが上手なんだってことだけは分かった。鋭くラケットを振って、徐々に相手を追いつめてゆく。あっという間に跡部景吾の勝利で試合は終わった。
跡部景吾がコートから出る際、ちょうどこちらを振り向いた。目が合う。濃い青の不思議な色をした彼の目と、私の日本人らしい黒色の目の真直ぐな視線が絡み合った。そのほんの少しの間、自分から視線を逸らすことが出来なくて。
どうせ私のことなんてわからないだろうし、気まずいことなんてないやと、やっと思えて視線を逸らし、自転車のペダルをぐっと踏み込んだ。

「おい、お前」

呼びとめられて本当に自転車がよろけた。びっくりしながら振り向くと、彼は間違いなく私を呼んだみたいだった。証拠に真っ直ぐに此方を見ている。
偉そうに手招きされるまで私は振り向いた格好のまま動かなかった。警戒していたのだ。見物料でも払わなきゃいけないのかとかそんなことを危惧したわけじゃないけど、あまり関りたくなかったのだ。なんか、あんまりにも煌びやかな世界の人って感じがして。

恐る恐る近寄る。一応、お疲れ様なんて言ってみた。そんな私の言葉に反応するでもなく、跡部景吾は少し考えるような仕草をしてからこう言った。考えるその姿さえも画になっていた。

「お前、氷帝の生徒だろ」

戸惑いと驚きを隠せないままゆっくり上下した私の瞼。そんな様子に跡部景吾は柔和な笑顔を見せた。やっぱりそれも画になる人だった。
氷帝生だからと言って何かあったわけでもないらしく、跡部景吾はどっか行くのかと興味もないであろう私の予定を訊ねた。友達と約束してる。そう答えてそれじゃあと別れた。それだけだった。

なんだか跡部景吾のことが頭に過ったり浮かんだり沈んだり張り付いたりし出したのはその日の夜から。胸焼けみたいに肺辺りが気持ち悪くてしょうがない。あの、わがまま放題そうな跡部景吾が頬に浮かべたあの柔らかい笑顔に、ああ、やられたみたいだ。



苺の詰まった胃袋で




そんな暖かで柔らかな恋の始まりなんてもうずっと遠くに感じてしまう。あれから三年も経てばそうも感じるはずだ。
薄い瞼で視界を遮れば思い出す。可愛い季節だった。
一度たまたまテニスをしている姿を見ただけで、当時自分の好きな人が可愛いひとつしたの女の子と付き合っていたとも知らずに恋に落ちた私は、彼を好きになって約一年後の初夏に、彼女にフラれてしまったと噂になっていた跡部景吾に見事漬け込んで一年間だけ彼と付き合った。私が、彼を見詰めていたのと同じだけ。私が、胃のなかで苺みたいに赤く熟れて可愛い感情をゆっくりと煮詰めてたのと同じだけ、彼の隣にいられたのだ。
傷心中だったとは言え、彼も自暴自棄になって私と付き合ったわけではないみたいだった。その子のことは大事にしていたみたいで、直ぐには忘れられないようだったけど、私の髪を撫でる彼の表情からは自棄なんかじゃないってちゃんと伝わってきた。

別れ話は彼の方からしてきた。ひどく空しい別れだった。理由がではなく、私の心がだった。

なんで
なんで なんで。私の何がいけなかった?やっぱり彼女の存在が大きかった?
一年間も、あんなに大切にしてくれていたのに。

つらつらと紡がれては溢れ落ちてゆく言葉たちはすべてつまらなくて、重たくて、子供で、空しいだけで。跡部景吾は少し厚めの唇をゆるやかに動かした。まるで私とは正反対の余裕のある動きに見えた。

「決まってるんだ、もう」

父方の祖父が決めた人だという。仕方ないことらしい。俺は跡部を継がなければならないから。そう言った跡部景吾に私の瞳はますます曇った。本当に仕方のないことなのだろうか。覆すことは、出来ないことなのだろうか。そんなこと、してはくれないんだろうな。格差という、どうしようもない壁だった。わかっていたはずだった。
ああ、わたしは。私は彼の未来にはなれないんだ。

わかった途端に涙が溢れた。素直な悲しいという感情はますます子供みたいで。

彼はどうしようもなく優しく微笑んで、私の目尻を親指で拭った。俺じゃない方が幸せになれるはずだから 残酷な言葉に顔を上げると何度目かわからない、けれど最後だということはわかる柔らかいキスをされた。あの日と同じ笑顔に、私はまた、恋に落ちた。




(抱いて眠る)


すごくねむい(私が)
意味がわからない話になってしまいました
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