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報われない/愛されてない/日吉が弱々しい/




小さな音が鼓膜を震わせた。びくりと肩を揺らしてから、彼は素早く携帯に手を伸ばす。「…もしもし」張り詰めた声音。私は彼の背中に自分の背中をくっつける形で座っていた。彼の声がよく聞こえた。電話の向こうの彼の愛しい人のかわいい声もよく聞こえた。

『もしもし?若今なにしてたの?』
「何も、してないけど」
『そうなの?じゃあ時間大丈夫?』
「あぁ、」

何もしていないなんてうそつきだ。ずっと彼は貴女の連絡を待っていたんだよ。今にも震え出して止まらなくなりそうな肩を理性だけで必死に抑え込んで、呼吸すら緊張していたんだよ。貴女はそれを知らない。貴女は少しだけ緊張が緩んだ日吉の声しかしらない。わたししか知らない日吉の不安定な姿。何も知りたくて知ったわけじゃなかった。できることなら私だって彼の愛しい人側に立っていたかった。けれど、私は彼を愛する側の人間だった。彼は私に愛される側の人間で、もっと別の人を愛する側の人間で、日吉に愛されるその人はまた別の人を愛する側にいて、それでいて日吉に愛される側で。

電話の向こうの彼女の、またひとつ向こう側に、明るい騒いだ声の群れがあった。楽しそう。ここの空気よりもずっとギラギラしていて、緊張なんかちっともなくて、誰かが自分の肩を抑え込むように抱く姿を見守らなきゃならないこともなくて。でも、それでも私はここにいることを選んでいる。それはだからつまり、私が日吉を愛する側の人間であるからだ。


そうして日吉と日吉の大好きな彼女は他愛のない会話を数分間続けてから、『あ、呼ばれちゃった。ごめんねそれじゃ』という彼女の言葉で終わりを迎えた。少し受話器を口元から話してみたのか、切れる時に僅かに『今行くってばあ』という甘えたかわいい声が漏れていた。日吉が携帯を放り投げた。ベッドの上から転げ落ちる携帯電話は衝撃で電池パックを手放してしまったのか、ぷつりと真っ暗な画面で息絶えた。その姿はまるでそっくりそのまま今の日吉みたいだと、そう思った。

「ひよし」

静かに名前を呼んだ。わかし とは呼ばせてもらえない。いや、日吉がそうして私を拒否したのではなく、私自身が自らそれ以上近付くことを避けていたのだ。
近付きたい。これ以上ないくらい優しく彼を抱き寄せて、そのまま弱みに漬け込んでしまいたい。きっとそれは 私が思うよりずっと容易で単純なことで。だからこそ、そんなことで日吉を壊してしまいたくはなかった。これが私が日吉にしてあげられる最大の愛情表現だった。

「なまえせんぱ、い、先輩…っ」

喉元をきゅうきゅうと抑えつけられたみたいな、情けない切羽詰まった声に私はゆっくりと目を閉じた。先輩だったのなんてもう四年も前なのに。「うん」小さく頷いて、ここにいるよと腕をさすってあげると、日吉は少し肩を揺らす。いやならそう、言えばいいのに。それでも拒まない日吉は本当にずるいと思った。どうしても悲しくなってしまう。誰も報われないだなんて。不毛な思考を回しながら、日吉の空しくて悲しいキスの雨に、私は黙って降られていた。傘なんて無かったし、差したいとも思わなかった。キスの回数だけならあの子にだって負けていないはずだから。そう考えて、また空しさが広がった。



こうやって下らない関係をもう三年も続けていた。周りの友人が少しずつ苗字を変えて女の幸福を勝ち取っていく中で、私は日吉を、日吉はあの子を、あの子は日吉ではない誰かを。いつか終わりが来るだろうか。終わりが来るだろう。終わりが、来るといい。そんなことを思いながら、今日も私は彼の背中を「日吉」と呼んで、涸れた涙を思い出していた。




夜ごと
/不安定で重たくてつまんなくてかわいい日吉とかぜひとも精一杯愛してあげたいじゃないですかあ!
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