つみのかじつのみちびきよ


シズク、シズクか…。ヨシュアは除念の料金(前払い)としてクロロから教えてもらったあの晩の女神の名前を胸の内で幾度も繰り返す。音も字面も可愛い名前だな…まるで彼女の魅力を表す為だけに作られた言葉の様だ。ヨシュアは廃工場の端で他の団員達と戦利品の食料を漁るシズクを眺めつつそんなことを考えた。
わーサンドイッチ食べてるー、かわいいー、いいなーあの唇に挟まれてあの娘の身体に消化されていけるならサンドイッチになりたいー、等と頬の緩みを抑えもせずに彼女をガン見していればシャルナークとクロロが牛乳を拭いた雑巾を見るような視線をこちらに向けているのに気づいた。ヨシュアは緩みまくった頬の筋肉に喝を入れて腑抜けた表情を直してヨシュアは目を閉じて小さく息を吐く。落ち着け、自分。この除念が終わったら名前以外の情報も貰えるんだ。好きな食べ物とか、好きな色とか、出来たら好みの異性のタイプとか…。
思い出してみればあの夜のバーでの出来事から愛しの彼女を探して辿り着くまでの三ヶ月、気が遠くなりそうなくらい長かった。名前も聞かないままバーで別れてしまった彼女を探してヨシュアは知り合いの乳がやたらでかい情報屋の元へ行った。外見の情報を元にそれらしい人物を絞り込んで片っ端から当たろうと考えたのだ。
国際データバンク覗くのめんどい、と文句を言う情報屋に大枚叩いて絞り込んで貰ったデータの中には残念なことにヨシュアの探す女性はいなかった。

「これ以外にも一応ヨシュアの言う外見の娘に心辺りはあるっちゃあるんだけどさ…」
「まじ!?教えて!!」
「教えてもいいけど今のヨシュアの口座の中身じゃ前金にもならないよ」
「……ローン組める?」
「うちの支払いは一括以外受け付けてません。出直してこい」

というやり取りを経てヨシュアは金を求めて仕事を探した。便利屋を営むヨシュアだが彼が請け負える仕事の中で一番稼げるのが除念だ。「死者の念のみ」というかなり特殊な条件だが除念能力自体がかなりの希少価値があり、そもそも自身に除念能力があること自体を公表する者も少ないせいか除念能力があるというだけであっちこっち引っ張り凧である。ヨシュアもそれを利用して情報屋に提示された愛しの女神と思しき女性の詳細情報代を稼ぐ為に西へ東へ除念に奔走していた。
まさか仕事先で出会うとは思わなかった。ヨシュアは緩みそうになる頬の筋肉を必死に抑えつつシズクを見た。このオールバックの幻影旅団団長の下にいるということは彼女は幻影旅団の団員の一人なのだろう。確か幻影旅団は殆どのメンバーが流星街出身者で戸籍を持たないと知り合いの賞金首ハンターから聞いたことがある。それなら国際データバンクに載っていなかったのも当然だ。
恐らく情報屋の言っていた「心辺り」とここにいる彼女は同一人物なのだろう。それなら情報屋が情報代にぼったくりかとぶん殴りたくなる料金を提示したのも納得がいく。幻影旅団というA級賞金首の情報を提供するのだ。報復のリスクを考えたらあの金額は妥当…いや、やっぱり高い。0をあと一つくらい減らしてもいい気がする。ハンター専用の情報サイトのがもうちょっと良心的な料金だろう。ライセンス持ってないから利用できないけど。ハンターライセンス欲しいけどハンター試験って賞金首でも申し込めるんだろうか。まあそれはさておき、

「除念して欲しい本ってどれ?」
「これだ」

ヨシュアはクロロから件の念の掛かった本を受け取る。少し古ぼけた落ち着いたブラウンのハードカバー。表紙には少し掠れたハンター文字で「亡夢論 リアン=マグリット」と印字されている。試しにヨシュアがその本を開こうと表紙に手を掛ければ中身を見せることを拒むかの様にあまり気持ちのいいとは言えないオーラが本を包んだ。

「読んだら死ぬ本だっけ?」
「正しくは読んだら数日後に変死する本だな」
「あっそ」

ヨシュアは興味なさそうな返事をすると念の掛かった本を片手にそっと息を吐いて精神を安定させる為に瞼をそっと下ろし、視界を闇へと沈める。

『罪悪を孕む女〈アヴェマリア〉』

ヨシュアは身体全体に緩やかにオーラを纏いながら胸の内で自身の能力の名を浮かべる。その瞬間、ヨシュアの背後に聖母の像が一体現れた。クロロは唐突に現れた聖母の像をその黒曜石の様な瞳で食い入る様に眺め、観察していく。ヨシュアの除念能力であろう聖母像。大きさは2m半程。白い大理石を削り、象られた様な形状のそれはぞっとするくらい美しい外観をしていた。聖母の身に纏うドレープの効いた白い衣は彫刻である筈なのに皺の一つさえ本物の布と錯覚しそうな程繊細さを持ち、安らかながらどこか悲哀を感じさせるその横顔は
生命には存在し得ない無機質の美の粋を決して創り上げられた存在の様にすら思えた。
眠る様に瞼が閉じられた聖母の像。祈る様に胸の前に組まれた無機質な白い手には十字架を模した形状の柄の部分に花や蔦模様の緻密な細工が施された鋭いナイフが握られていた。
ヨシュアが聖母の前に無言で手を差し出せば彼女は瞼を閉じたまま、宛ら生きた人間の様にヨシュアに自身が握っていたナイフを渡す。ヨシュアは空になった
聖母の掌にナイフの代わりに念の掛かった例の本を渡した。聖母は受け取った本を大事に胸元に抱える。すると聖母の胸元が淡く光ったかと思うと本が溶け込むかの様にそのまま彼女の胸元に沈んで消えた。再び空になった掌で聖母がそっと自身の腹部を撫でたその瞬間、彼女の下腹部が緩やかに膨らんでいく。聖母の腹部は見る見る肥大化し、臨月真近の妊婦の様な体型になったところで腹部の膨張は終わった。聖母像は自身の膨らんだ腹部を白布のドレープ越しにそっと撫でる。愛おしそうに僅かに口元を綻ばせて孕んだそれを撫でる彼女の姿は正しく「聖母」と言うに相応しい慈愛に満ちたものだ。
ヨシュアはそれをどこか冷めた目で見詰めながら先程聖母から受け取ったナイフを逆手に持ち変えるとそのまま大きく腕を振り上げ、迷うことなく聖母の膨らんだ腹部にそれを突き刺した。
ぐちゃ、と宛ら人の肉を刺した時の様な粘着質な音が聖母の皹割れた様な傷口から響く。よく見るとナイフが柄の部分まで深々と突き刺さった腹部からは赤黒い血の様な液体が滲んでいた。ヨシュアは刺したナイフの柄を強く握り直すとそのまま妊婦の腹を顔色一つ変えずに縦に裂く。
白い石膏の皮膚に鋭くも粘着質な傷が縦に一筋開いたと同時に、眠る様に閉じられたままだった聖母の瞼が開かれ、同じくずっと閉じられたままだった唇を大きく開け、その無垢の権化のような外見からは想像もできないようなけたたましい断末魔の悲鳴が上がった。ヨシュアはそんな聖母を冷めた眼差しで見詰めながら情の欠片もない乱暴な手付きで聖母の腹部からナイフを引き抜く。
赤黒い血の様な液体がナイフを伝いぽたぽたと数滴落ちると同時にぶち、と言う何かが食い破る様な音が聖母の腹部から聴こえてた。
ぶち、ぐちゃ、ぶち、と粘着質な響きを持った肉を引き裂く様な音。血塗れの聖母の腹部を見れば粘液に塗れた黒い異形の手が一本、そこから覗いていた。異形の腕はそのまま聖母の腹から這い出ていき、肉の千切れる音と共にその異形の全貌を明らかにしていく。聖母の腹の質量を越えた腕、頭、胴体、最後に脚を引き抜くと脱け殻となった母体を捨てて罅割れたコンクリートの地面に降り立った。血塗れの聖母像は腹から子が産まれ落ちると同時に身体全体に亀裂が入り、硝子が砕け散る様な音と共に崩れて消え去った。
クロロは聖母から産まれ出た異形の化け物の姿を確認する。血と羊水で照った身体は脚や胴体、尾に至るまで全て黒。体毛などはなく、爬虫類の皮膚の様な硬質ながらもどこか軟体感を携えた皮膚で全身が覆われている。
卵型の胴体には鋭い牙の覗く大きく裂けた口が一つとその上部や胴体の腹の辺り、それに尻の部分には充血した複数の瞳。更に胴の脇からは鉤爪のついた手足が両サイドに三本ずつ、計六本生えていた。

「一応確認取るけど依頼人はアンタでいいんだよね?」

刃にべったりと付着した聖母像の血をナイフを手の内で素早く回転させて払いながらヨシュアがクロロに向かって訊いた。

「ああそうだ」
「そ。じゃあアンタの他に二人、人選んで。誰でもいいけど腕っ節に自信があるやつのがいいよ」

最悪死ぬから。指先で器用にナイフをくるくると回しながらヨシュアは言った。「最悪死ぬ」それはどういう意味なのだろうか。クロロが浮かんだ疑問をそのまま口にしようとすればそれを予想していたのかヨシュアが先回りする様に話を続けていく。

「こいつは見ての通りあの本に付いてた念をベースに具現化した念獣だ」

ヨシュアは十字架を模したナイフの刃先で先程聖母像から生まれた異形の化け物の姿を指す。その刃先に釣られる様にクロロとその横にいたシャルナークは念獣を見た。成人男性ほどの大きさのそれはねちゃねちゃと湿った雑音を立てながら女性の甲高い悲鳴と動物の鳴き声に壊れたラジオの砂嵐の音を混ぜた様な奇声を発しては蠢いている。その姿に「キモッ」と反射的に吐き出されたであろうシャルナークの呟きが聴こえた。

「今から依頼人のアンタと他二人…あ、別に誰でもいいよ。アンタが好きに指名しちゃって。その指名したやつと合わせて三人でこいつと戦って貰う」
「戦う?」
「戦うっつーかこいつの息の音を止めて貰うって感じかな。今のこいつは奇声を上げて蠢くだけで無害だけどこいつにこのナイフを食わせると行動の自由を得てターゲット…あ、この場合依頼人であるクロロに襲い掛かる」

念獣は奇声を上げてその場で蠢き、溢れる闘争心が抑えきれないかの様に六本の手足に生えた鋭い爪でコンクリートの床をガリガリと削っている。

「こいつの急所は今から食わせるこのナイフな。この念獣の中に埋まったこいつを真っ二つでも粉砕でも何でもいい。兎に角壊しちゃって」

あ、こいつごと抉ってこのナイフを体外へ引き剥がすのも可な。とヨシュアが付け加えると彼の言葉に反応する様に念獣はキシャァアアアア!!と喧しい奇声を上げてその場で激しく暴れ蠢いた。抵抗とも抗議とも取れるその奇声。この気色悪い化け物に言葉が理解できる程の知能があるんだろうか。微かに疑問に思いながらクロロはまだ途中だったヨシュアの話に耳を傾ける。

「いくつか質問をいいか?」
「何?」
「こいつの戦闘能力はどのくらいだ?どの程度動けるんだ?それと何か特異な念能力があるのか?」
「わかんねぇ」
「なぜだ」
「この念能力さ、具現化する念獣の形状も能力も毎回違うんだよ」

毎回この化け物が聖母像の腹を食い破って出てくるのかと思ったがどうやら違うらしい。クロロはヨシュアの念能力に対する情報を一つずつ確実に得ていってはいつか隙を見て盗むかどうかの品定めを始めて行く。

「あ、念能力はある。どんな能力かはわかんねぇけど」
「そうか。こいつを殺すのに他に何か条件はあるか?」
「時間制限はあるぜ。こいつにナイフ食わして六時間以内に倒せなかったらゲームオーバーで除念失敗。依頼人…この場合アンタな。アンタが念獣に襲われて死んでも除念失敗。指定した三人以外がこいつに危害を加えたり念獣との戦闘中に周囲の人間にアドバイスとか怪我の手当てとかして協力してもらうのもアウト。除念失敗な」
「除念に失敗した場合どうなる?」
「さぁ?読んだら死ぬ本が触ったら死ぬ本くらいになるんじゃね?」

失敗すると除念対象に念が何倍にもなって跳ね返ってくる。ヨシュアの言葉から意味を汲み取り、これまで得た彼の念能力の情報を元に整理していく。
彼の除念能力は除念対象のオーラを念獣として具現化し、それを除念の依頼人含む三名に倒させることによって除念が完了する。念獣の能力、形状は共にランダム。念獣は急所…いや、核の方が正しいか。核を壊せば死に至る。核はヨシュアの手元にある刃渡り20センチほどの華奢なナイフ。十字架を模した形状で柄の部分に花や蔦模様の緻密な細工がされたそれが見た目通りの耐久なら壊すなど造作もないことだろう。制限時間はヨシュアが念獣に核となるナイフを取り込ませてから六時間。この時間内に念獣が倒せないと除念は失敗し、念が何倍にも膨れ上がって念の掛かっていたものへと戻っていくようだ。
クロロはぐちゃぐちゃと粘着質な水音を立てながらコンクリートの上を蠢く念獣を見る。この「読んだら死ぬ本」から生まれた念獣はどの程度の力を持っているのだろうか。勝手な予想だが除念対象に掛かった念が強ければ強いほど具現化される念獣は強いものになると思われる。
こいつと戦うことによって受けるこちら側の損害がどの程度のものかはわからない。果たして本一冊に対する対価として見合うものなのだろうか。

「どうする?除念やるの?やらないの?今ならまだキャンセルできるよ」
「…仮に除念が失敗したとしてもオレ達に直接念が返ってくる訳じゃないんだな?」
「あんたらには返っては来ないけど本に返って来た念で受ける被害とかは責任取らないよ。うちアフターケアとかそういうサービスないからね」

早く決めてくんない?と急かすヨシュアの表情は平静を装っていながらどこか落ち着かない雰囲気が滲んでいる。早く除念を終えてシズクの情報が聞きたいからだろう。どういう経緯でそうなったのかはわからないがこの目の前の男はシズクに気があるらしい。クロロとの会話の合間にもちらちらとシズクの方を見てはだらしなく頬を緩めている。シズクを出しに使えば今後もいいように使えそうだ、と考えつつクロロはそっと口を開く。

「シャル、ウボォー、来い」

唐突に名前を呼ばれ、シャルナークは自前の携帯を弄りつつ、ウボォーギンは飲み掛けのビールを一気に煽ってからクロロの横へ行く。

「話は聞いていたな?」
「聞いてたよ」
「おうよ。要するにこいつぶっ殺しゃあいいんだろ?」

飲み干したビールの缶を握り潰し、梅干しの種ほどのサイズまで丸めて放りながらウボォーギンは言う。そうそう大体そんな感じ、とヨシュアがウボォーギンに対して相槌を打った。

「除念をしてくれ」

クロロの言葉にヨシュアはサイドの少し長い細い髪を揺らしつつ頷いた。くるりとナイフを手の内で回しナイフの切っ先を念獣に向ければ念獣はそれに応じるかの様に鋭い牙が剥き出しの口を大きく開く。長く赤いグロテスクな舌が覗く念獣の口内。唾液が潤い、口の端や牙の先端を濡らすそこにヨシュアは十字架を模した華奢なナイフを放り込んだ。
ぐちゅ、ぐちゅ、ごくん。唾液の粘着質な水音とそれを丸呑みする音が崩れ掛けた廃工場内に大きく響く。ナイフを体内に取り込んだ念獣は手足の筋をぴきぴきと震わせ、宛ら戒めの鎖を解かれた囚人が喜ぶかの様にけたたましい咆哮をあげた。
壁を揺らし、窓硝子を震わせる超音波と言っても過言ではない耳障りな鳴き声に外野で見ていた他の団員たちから「五月蝿い」という苦情が飛んでくる。

「しょうがないだろー。こっちのが距離近い分五月蝿さ三割増しなんだから我慢してよ」
「ささとそいつ殺して黙らせるね」
「はいはい」

シズク達が盗ってきたであろう中華まんを齧りながら不快そうに眉に皺を刻むフェイタンにシャルナークは困った風に笑いつつも念獣を見た。先程の様な咆哮は止めこそしたもの念獣は未だ耳障りな寄生を上げ続けている。牙と長い舌を剥き出しにして大きく開いた口から零れた唾液がコンクリートの床を溶かすのを見て「うわぁ…」と生理的に受け付けないと言わんばかりに嫌そうな声を漏らした。
硫酸の唾液を飛ばしながら念獣は一際大きい奇声をあげてその節足動物の様な身体を大きくしならせる。黒く太い手脚の筋肉を血管が浮きだつ程膨らませ、コンクリートの床を抉り蹴り上げ、念獣の標的であるクロロに飛び掛かった。

20140531


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