※近親相姦



光を浴びて輝くステンドグラス。華やかな芳香を漂わすブーケ。女性なら一度は憧れるであろう眩しい純白のドレス。静かな表情で伴侶となる人間を見据える花嫁。今日は結婚式だった。




直ぐ下の妹の結婚式があったその日の夜のことだった。
どこか慌ただしさが残る屋敷の中、ミルキは珍しく長兄の部屋へと向かった。自分の中に浮かんだ疑問を確かめるべく、扉を開く。ソファーに座りながらどこか不思議そうな顔をして自分を見詰めた兄は明日の仕事で使うであろう針を静かに磨いていた。

「何か用?」

テーブルの上に針を置いた兄はそうミルキに問い掛けた。感情に乏しい、抑揚の無い声。いつもと変わらない筈なのに今日の彼の声は心無しかどこか澱みが含まれている様な気がした。
形容し難い居心地の悪さが空間を支配する中、ミルキはそっと兄の部屋に踏み入れる。ゆっくりと閉まっていく扉はこの空間とそれ以外の全てを分けるかの様な音を立てて閉じていった。

「本当によかったのかよ」
「何が?」
「ナマエのこと」

つい先刻、結婚してしまった妹。その名前を出せば無表情だった彼の眉が僅かに動いた。ミルキの直ぐ下に生まれた妹。僅か数時間前に母の決めた男の元へと嫁いでしまった彼女をイルミは大切にしていた。
彼女に向けていた感情は彼が大事にしている下の弟、キルアに向けるものとは似ていたが大分違ったものであり、両方とも愛情には変わりないが明らかに種類が異なっていた。キルアに対する愛情は家を継ぐものに向ける期待と長兄としての義務感や家族愛が混じったものだったが妹であるナマエに向けていたものは明らかに違った。彼女に向けていたのは異性への情欲が混じったそれである。
勿論ながら、妹が実は血が繋がっていないとかいう漫画やアニメの有りがちな展開染みたことはなく、正真正銘血を分けた実の妹にイルミは異性間に生じる愛情を向けていたのだ。しかもそれに対する妹も満更でもない対応をしているというおまけ付きで。
相思相愛の兄妹という、彼らの身内からすれば生理的嫌悪さえ感じるカップル(一応バレない様に配慮をしていたらしいのだが正直バレバレだった)を見てきたミルキにしてみれば今回の結婚は不思議なものでしかなかった。

「結婚、イル兄が薦めたんだって?」
「そうだよ」
「ナマエのこと、…その…好きじゃなかったのか?」
「好きに決まってるだろ。愛してさえいるよ」

じゃあ何で、という言葉は口にする前に喉の奥で飲み込まれた。先程まで静かだった彼のオーラが唐突に濃く、禍々しいものに変わった気がしたからだ。
不意に変わった兄の雰囲気に、思わず萎縮するミルキ。そんな彼にイルミは形の良い唇をそっと開き、問い掛ける。

「訊きたい?」

抑揚の無い声で呟かれた言葉は静かな威圧と、恐ろしいくらいの禍々しさを秘めている。きっと訊いたら自分は後悔する。漠然とそう思った。そのくらい目の前の兄の声には鬱蒼とした澱みが含まれている。だが自身の内側から密やかに溢れ出す好奇心にミルキは無意識に頷いた。イルミはそんな彼をいつもと変わらない感情に乏しい表情で眺めつつもゆっくりと口を開いた。

「ねぇ、ミルキはさ、知ってる?」
「何を?」
「血の繋がった兄妹ってさ、結婚出来ないんだよ」

大人、いや、子供でさえ知っている当たり前の常識。それを彼はもう直ぐ二十歳になろうかという弟に言った。知ってるも何もないだろ、とミルキは内心思ったがそれを口にすると話が何脱線してしまいそうだったので何も言わず黙っておく。

「兄妹で結婚って何処の国もさ、基本的に駄目なんだよね。片親が違うならいい、って国はいくつかあるんだけど残念ながらオレとナマエは無理。だってナマエとオレは正真正銘同じ両親から産まれてきた兄妹だし」
「……」
「酷いと思わない?危険だなんだ言う理由って要するに子供作らなきゃ解決出来る問題でしょ?なら子供何ていらないし作らないから結婚くらい認めてくれたっていいのにね」

おかしな話を展開し始める兄にミルキは絶句しつつ、自分は何の目的でここへ来たんだったかと頭の中をぐるぐると回転させては思い出しに掛かった。そうだ、このシスコン(という枠で収めていいのかはわからないが)の兄が妹の結婚を許した理由だ。それを自分は訊きに来たのだ。

「つまり、イル兄はナマエと結婚が出来ないから嫁に出したってこと?」
「んー…当たらずとも遠からずかな」

何だそれは。そう思いつつ兄を見れば彼は相変わらずの無表情でその視線の先には自分は居らず、終始何処か遠くを見ていた。

「ナマエとオレが結婚出来ない限りさ、ナマエはいつかオレじゃない誰かの所にお嫁に行っちゃうんだよ」
「……まぁ、うん…そうだけど…」
「産まれた時からずっと一緒にいて、唇も処女も奪って、自分だけ愛す様に一生懸命教育して、どんなに愛し合ったって最終的に何処の馬の骨とも知れない他の男と幸せになるんだよ?他人ってだけで結ばれることを許されるだけの男にさ。ミルキにはわかる?この気持ち」

抑揚の無い声と淡々とした口調で話すイルミ。感情の乏しいその声には微かだか言い様の無い不満や苛立ちが含まれている様な気さえした。言葉も出ない、そんな顔をした弟を大して気にもせず、イルミはただ淡々と話を続けていく。

「ねぇミルキ。オレはね、ナマエが『イルミ=ゾルディック』という存在を忘れて幸せになるのが絶対に耐えられないって思ったんだ。だからさ、考えたんだよ。どうしたらナマエはオレ以外の男と一生幸せになれないようになるかな、って」

それでね、考えた末にナマエを手離すことにしたんだ。そう口にする彼の声はまるで小さな子供が悪戯を思い付いた時の様に何処か楽し気な色を含んでおり、宛ら狂気とさえ見えるその雰囲気はミルキから言語能力を一時的に奪うには十分なものだった。
何も言わないまま、ただ彼女にそこまで執着する理由も、彼女を結婚させた意図も全く理解出来ていないミルキはただ目を見開き、唖然としながらイルミを見ている。そんな弟の心境を全く理解しないまま、イルミはその男性的ながら美しい人差し指を唇に当てて、内緒話をするかの様に少し声を潜めて言った。

「ここから先に言うことはナマエや父さんや母さん、キル達には勿論、執事も例外無く、他言しないでね」

破ったら…、と静かに、しかし恐ろしくドス黒いオーラで威圧を掛けるイルミ。そんな彼に、ミルキは慌てて首を縦に何度も振れば彼は満足そうに相槌を打ち、唇に当てていた人差し指を下ろす。そのまま彼は自身の能面の様な顔に楽し気な雰囲気を携えては弟に少しだけ近付き、そっとその言葉を口にした。

「あいつはね、絶対に幸せになれないよ」

何処か嬉しそうに告げられた言葉に無意識に冷や汗が垂れた。とんでもないくらい酷いことをこんな声音で口にする恐怖を抱きつつも、相槌さえ打たぬままにただ押し黙る。
無意識に頭に浮かんだ妹の穏やかな笑顔が緩やかに崩れていくのを彼はひたすら気付かない振りをした。

「ナマエと結婚したあの男はね、絶対にあいつを愛すことは無いよ。ナマエを散々詰って、罵って、痛め付けて、適当な女と浮気して、ぼろぼろにするよ。絶対にね」
「なんで…」
「何でわかるかって?だってオレがそうしたからに決まってるだろ」

これでね、と彼はテーブルの上に置いてあった仕事用であろう針を指差す。意味を理解した途端、ぞくりとした寒気が背筋より這い上がってくるのを感じた。
ミルキは妹と結婚したあの男のことを思い出す。あまり顔を合わせたことは無かったが、照れ臭そうな顔と恋焦がれている様な蕩けた瞳をナマエに向けていたのは曖昧に憶えていた。
彼に対する何と無くの印象としては「きっとこいつは妹を悪い様にはしないだろう」という漠然とした確信を抱いていた。きっと妹もこいつとなら幸せになれるだろう。そんな風に思った気もした。多分その通りだったのだろう。きっと彼女が何事も無くこの話を運んでいっていたなら恐らく幸せになれた。彼女のイルミに対する感情は容易に捨て切れる程軽くはなかっただろうけどそれを考慮したって彼女は暖かな幸せを受け取れるくらいの環境はあった筈だ。
それなのに現実は常に非情だ。この目の前にいる男は彼女が受け取れる筈だった小さな幸せすらも、何の迷いも無く平気でぶち壊したのだ。

「どうしてそんなこと……」
「ナマエのことを愛してるのはオレだけでいいんだよ。他はいらない。必要ない」

無意識に思わず漏れた言葉は兄の返事を訊いて直ぐ口にしたことを後悔した。
緩やかに音を立てては崩れていく妹の穏やかな笑顔。それはもうとっくに気付かない振りが出来ない程に大きく、そしてどうしようもないくらい砕けてしまっていた。

「ナマエは馬鹿で真面目だからさ、『お父さんやお母さんを失望させられない』とか思ってどんなに酷いことされたって帰って来ないよ。それこそ、死ぬまでずっと。辛い時には思い出すんだよ。オレと過ごした日々がどれだけ穏やか愛しくて幸せなものだったかを、さ。つまりナマエは辛くて苦しい現実の中、ただ過去の幸せだけに縋って生きていくしかない。これがどういうことかわかる?ナマエの中で『イルミ=ゾルディック』という存在は永遠になるってことだよ」

そう言って唇に柔らかな弧を描く彼は心底嬉しそうな笑みをその顔に浮かべるだけだった。

20130206