彼女は綺麗な女性だった。
それは顔の造形とか身体の凹凸だとかそう言う意味もあるけどボクが彼女を初めて見たとき浮かんだ印象は「穢れてなさそう」だった。穢れてる、って言うのは性的な意味とかもまぁ含んでると言えば含んでるけどボクが言いたいのは彼女の纏う何にも染まってなさそうな真っ白な雰囲気のこと。世の中の汚いものに一切触れたことが無さそうなそれは例えるなら降ったばかりで足跡一つない白雪の淡さにも似ていたし傷を帯びたことの無いきらきらと眩いダイヤモンドの輝きにも似ている。
柔らかくて融けてしまいそうなのに触れれば存外硬く、力を入れても壊れずにたおやかで眩い光を携える彼女。世界で一番綺麗な人間だと思った。

「ヒソカ」

静かな空間の中自分の名を呼ぶ透き通った声が響く。彼女の声に対しなんとなく始めてしまったテーブルの上で三段目まで積み上げられたトランプタワーを作る手を止めてからゆっくりと振り向いてにこりと笑顔を作って「なんだい?」と返せば彼女も釣られた様に柔らかな笑みを浮かべる。

「今日のご飯、オムライスでいい?」
「構わないよ」
「よかった」

安心した様に再び笑って彼女は静かにソファーに座り直してから女性向けのファッション雑誌をぱらぱらと捲り始めた。トランプタワーを作りながらなんとなくその綺麗な横顔を見詰めていれば視線に気付いたのか彼女はこちらを向いて不思議そうに首を傾げる。手を伸ばし頬を優しく撫でれば子猫の様にボクの手に擦り寄って幸せそうに笑った。
彼女と出会ったのは吐いた息すら凍りそうな雪が降り注ぐ冬の寒い日だった。雪が降っているせいか人が少ない繁華街を偶々通り掛かると花壇の縁に腰掛けて特にすることも無くぼーっとしている彼女がいた。彼女は何にも干渉されてない様なまっさらな雰囲気を纏っていて彼女がいる場所だけ世界が区切られているのでは無いかと思うくらい綺麗で穢れの一つも無さそうだった。誰かを待っているのか、それともただの変わり者なのか、ただ衣服に雪が積もるくらい座り込む彼女がなんとなく気になってしまい声を掛けたのが始まりだ。
「何してるんだい?」そう聞けば彼女は「足を挫いちゃったの」なんて呑気にヒールの高い革のブーツで覆われた右脚の足首を指して言った。「動けないの?」と聞けば「動けないの」と彼女は返す。「家まで送ってあげようか?」と聞けば「変わった人だね」と彼女は笑った。「君も十分変わっているよ」と言えば「知ってるよ」と当たり前の様に返されてしまった。
そのまま家まで送ってやってなんとなくお互いの名前を知って適当に雑談をした。「また来るよ」なんて冗談混じりに言えば「水曜日と土曜日以外仕事でいないから気をつけてね」なんてあちらも冗談半分で笑っていた。そのままずるずる引き摺って恋人と言うには浅く、友達と言うには深く、知り合いと言うには干渉し過ぎた関係になってもう直ぐ一年になる。

「君は綺麗だよね」
「ヒソカの方が何倍も綺麗な顔してるよ」
「顔だけのことじゃないよ。身体も、心も、全部」

そっと彼女の手首を掴み、ソファーに押し倒せばその衝撃が伝わったのかテーブルの上の作り掛けのトランプタワーがばらばらと音を立てて崩れては床に落ちた。彼女が一瞬それに気を取られた隙に頬に触れるだけのキスを落とせば意識は直ぐにこちらに戻る。彼女はこの状況に戸惑いつつも不思議そうな表情を浮かべながらその綺麗な瞳でこちらを真っ直ぐ見詰めている。無垢な少女の様な穢れの無い色を宿す瞳は愛しく、瞼に唇を落とせば彼女は戸惑いと疑問が入り交じった表情に更に不安と言うスパイスが加わった。

「綺麗で真っ白な君を見てるとさ、滅茶苦茶に穢して一生元に戻れないくらい酷い色に染め上げちゃいたいのにそれと同じくらい誰にも穢されない様に何処かに閉じ込めて一生優しく慈しんで愛でていたいって気持ちもあるんだ」
「…ヒソカ?」
「君はどっちがいい?」

震える指をそっと包んでお伽噺の王子様がしそうなくらい優しく口付ける。冷たい指先が自分の熱を持った唇に当たるとお互いの体温が混じり合ってどっち付かずの温度になった。まるで今のボクの頭の中みたいだ。彼女を大切にしたいけど滅茶苦茶にしたい、それらは極端に傾くことも無くどっち付かずのままぐちゃぐちゃと混ざり合って頭の中を巡ってる。その行き場の無い感情は胸の内で静かだが確実に、いつか来る限界を待ち焦がれて燻っているんだ。

「どっちかじゃないと駄目なの?」
「うん」
「今答えを出さなくてもいいの?」
「今じゃなくてもいいよ。だけど時間切れが何時来るかわからないから早めにね」
「時間切れになったらどうなるの?」
「ボクにもわからないな。さっき言った二択のどっちかになるかもしれないしもしかしたら他の選択をするかもしれない」
「そっか。じゃあご飯食べてからゆっくり考えるよ」

先程ボクが彼女にした様に彼女もボクの頬に優しく口付ける。柔らかな感触と優しい暖かさを孕んだそれは母親が小さな幼子に授けるそれと酷似していた。
すっかり緩んでしまっていた腕の拘束から彼女はそっとすり抜けてゆっくりとした動作で立ち上がった。少し乱れてしまった髪を手櫛で軽く整えてからそのままふらふらとした足取りでキッチンの方へと向かう。暫くしたらかちゃかちゃと、恐らく調理道具を準備している音が聞こえて来た。呑気な鼻歌混じりにトントンと拍子の良い包丁で食材を切り刻む音も聞こえる。どうやら晩御飯の準備を始めた模様。メニューは先程言っていたオムライスだろう。
やれやれ、と溜め息を吐いて口の端を吊り上げて笑みを浮かべる。どうやら自分は彼女に到底敵わない様だ。

20120301