舌の上で転がして


作りすぎた朝食を前に安室透は自虐の溜息をついた。
精彩に富んだ創作料理に自画自賛しないでもないが、料理は人の胃に入ってこそ。
不健康な部下の顔を思い出して名を言葉にした瞬間、手元の携帯端末が機械的なベル音を鳴らした。

(解析、早かったな)

目の前の湯気の上がる料理は、年上の部下の口に入ることはなさそうだ。
箸を持ったままスピーカーモードで通話を開始する。

「もしもし?」
『ハウス?サクラ?それともポスト?』

知らない人物がきいたら少年に聞こえそうな抑揚の薄い声。
女の問いかけに、安室は少しだけ微笑んでいた。
それは自分でも気づかない降谷零としての皮肉めいた笑みではあったが。

それは彼女が徹夜明けに出す、本人さえ気づかない癖のような声だ。

「ハウス、午後からサクラ」
『わかった、今から行くから』

人の返答を聞かず、ぶつりと通話の切れる音が耳たぶを打つ。

「ったく…」

安室は通話時間画面をタップして、すっと机の端に携帯を滑らす。
まだゆっくりと日本酒薫る魚に箸を伸ばす時間はありそうだ。





「おはよう」
「おはよう透、はいこれ頼まれてたやつ」

宅配業者でももう少し中に入るだろうという位置に彼女、名無は今にも瞼を閉じそうな顔で立っていた。
白い腕をむき出しにしたタンクトップにアンクル丈のズボン。
色合いこそモノトーンでまとめてあるが妙齢の女性には聊か露出が過ぎる。

「またそんな恰好して、お前もいい年だろう」
「まだ四捨五入しても20代です。透に言われたくない。それにそんなに人は人のことなんて見てない、ほら私帰って早く寝たいから受け取って」

服装に合わない、ふあぁあと幼子のような無防備なあくび。
そのあと強めに瞼をこするのも昔から変わらない。
洋画に出てくる世間知らずなティーン、そう彼女を形容したのは憎い敵だが思わず頷いたものだ。
一歩内へ足を引くと、彼女の顔が不機嫌にゆがんだ。

「確認する、上がっていけ」
「やだ、帰る」
「いいからあがれ、そんなふらふらで事故にあってもこっちが困るからな」

玄関に背を向ければ、背中に英語なまりの舌打ちをぶつけられる。
たたきにヒールサンダルが脱ぎ捨てられたのを音で確認して、足を止めた。
右手には洗面台、便所、そして

「風呂」
「ん?」
「沸かしてある、入ってろ。溺れるなよ」

風呂を指差せば、もう一度英語になまった舌打ちの後手の中にUSBメモリを叩き付けられた。

「どーぞ!ご査収ください!」
「ご苦労、新しい歯ブラシ使っていいからな」

生温いそれを安室は、つまんでリビングのパソコンへ差した。
風呂場の扉が盛大な音をたててしまるのと同時に、パソコンにパスワードを求められた。
安室は迷うことなく数字を打ち込み、暴かれた秘密が羅列する僅かな時間だけ彼女の仕事を頭のなかだけで誉め称えた。





「なんで女物のパンツまであるの」
「さぁ?なんでだろうな」
「さすがにその歳じゃもう女装は厳しいでしょ」
「だれが僕のだと言った。もうって何だ、やったことなんかない」

ぺたぺたとしっかりとした足音に失礼なことを言われてパソコンから思わず目を離す。
ふわりと湿気た風に微かな石鹸の香り。
十分に温まった肌は血色を帯びてーーー言葉を飲み込んだ。

「透、すごい間抜け面」
「…お前の行動に呆れてるだけだ」

バスタオルに埋もれるように髪を拭く、Tシャツ1枚姿の名無が大股で部屋を歩く。
はしたない、そう安室は頭を振る。
行動ではなくその格好にだ。

「…置いておいただろう」
「何を?」
「下も……腰ひもがついている、締めれば穿けるだろ」

ぴたり、と安室が座るダイニングチェアーの横で足を止めて名無はパソコンに手を伸ばす。
あとで、と名無は気にしない風に画面から目を離さない。
強く清潔な温もりが近く顔を寄せる。

「ねぇ、ここ少し気になるんだけど」

濡れ髪を耳にかける仕種。自分と対して長さの代わらないその髪から露になるのは黄色の肌。
純粋なアジア系、モンゴロイドーーーいや日本人である印。

「前にもらった資料の中に同じIPアドレスを見た気がする。ほら、風見さんからもらったやつ…トール?」

焦げ茶色の瞳も、この国では平々凡々な色。
いつか自分が望んだ色は睡魔はもう見えず、鋭さを潜めている。

「トール?目開けながら寝てるの?その耳も飾り??頭ついにお仕事にやられちゃった?」
「お前よりは頭が回る。ここのIPアドレスだろ、わかってる。それよりも・・・また名前が鈍ってる」

ただひとつ彼女の違和感は、話したときにでる。
英語圏で育ち、ほとんど他のネイティブと触れ合わなかったため
話し言葉の固有名詞、特に人名の発音に弱い。
本人は辞書にのらない名前は難しいのだそうだ。個人的にと彼女は必ず付け加えるが。
物理の公式を諳じるよりも、パートナーの名前を呼ぶ方が難しいというのは彼女らしい。

「え、んー、トール?」
「違う、透」
「トォル」
「イントネーションが違う、透」
「とーる」
「自棄になるな」

何度も何度も、その仮初の名前を口にする。
外では安室の姓を呼ばせているが、それもまた確認すべきだろう。
名前にも発音記号とアクセント記号をふってほしいとぼやいては何度も確認する。

「と、お、る。と、お、る」
「繋げて」
「とおる、透、透」
「まぁ及第点だな。ほら髪乾かしてこい、飯用意しておくから」

ノートパソコンを閉じて、台所へたつ。
ラップしたおかずを冷蔵庫からだしてそのまま電子レンジへ突っ込む。
大味で育ち味覚が馬鹿な大食漢ににだすには、もったいない気がすると自然に溜息でた。

「名無、早くズボンはいて髪を…」
「零」
「……っ」

突然、呼ばれた本当の名前に振り返る。

「れい、れーい、零、零……これはあってる?」

本質を表す名を口にして、楽しそうに笑う彼女。
ほとんど呼ばれることのないその名を何度も確かめるように、音にする彼女をーーー急に引き寄せたくなる。
けれども皮肉屋の降谷零は、ここで優しいところは見せない。

「……あってない、へたくそ」
「え、零、れーい、零」
「まだ違うな」

舌の当たる位置を確かめるように、
大きく口を開けてひらがな二文字を繋げては、繰り返し息をのせる。
ただの1,000Hzの振動、ただの空気の伝播、ただの彼女の声。

日の下で、彼女の声が、心を締め付ける。

「零、零、れい、零」
「……まぁそれも及第点だな」
「人と話さないと、忘れていくね。日本語難しい」

バスタオルを肩にかけて、ぽすっと腰掛けてこちらに笑いかける。

「れい、ごはん」
「僕はごはんじゃない、食べたければ髪乾かしてこい」
「大丈夫、乾く。自然乾燥っていうんでしょ」
「……これ風見にやろうかな」

慌てて洗面所へかけ込んでいく背を見て、久しぶりに自分でもわかるくらいまなじりが下がった気がする。
もう少しだけ彼女の笑顔が見たくなって冷蔵庫から冷たい麦茶を取り出した。




Up,21/07/28


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