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紅玉髄

※男主



「こんばんは、皇女様」
「……貴方、いつかヒューベルトに殺されても文句言えないわよ」


 ガルグ=マク大修道院学生寮の一室、エーデルガルトの部屋の窓から彼は現れた。
 ここは二階なのにどうやって窓まで来たのだとか、そもそも窓が開いているからと勝手に入ってくるなとか、尤もな指摘は彼に通用しないことをエーデルガルトは今までの経験から理解している。
 故にエーデルガルトは彼に向かってこれ見よがしとため息を吐き出す。しかし彼は大袈裟に肩を竦めるだけで、その表情は一切悪びれた様子を見せていない。


「あいつ怖いもんなぁ、エーデルガルトさんのことになると特に」
「茶化さないで。怖いと思うなら彼を刺激するようなことをしないでくれる?」
「やだよ」


 けらけらと笑いながらそんなことを言う。本当はきっと怖いとも思っていないのだろう。
 自分の従者を軽視されるのは少々腹が立つが、彼の実力もよく知っている。ヒューベルトと互角に戦うことが出来る彼にとっては、必要以上に恐怖する理由がないし、そうしないことで正しく力を量っているのだろう。
 つくづく嫌な──そして出来る男だ。


「今日は何の用なの、なまえ? 定期連絡ならすでに出したはずだけれど」
「何も。しいて言うなら、貴方に会いたかった。って言うのはだめ?」
「なによそれ……」


 意図せず溜息が零れ落ちる。この男──なまえはいつもそうだ。

 なまえというこの男は、自分たちと生まれを別にする存在であり、今のところ協力者である。
 彼らの話がどこまで本当かわからないが、なまえ曰く彼らは「はるか昔に地下に追いやられた者」──らしい。故に女神への復讐を誓いそのために動いている、と聞いた。
 そのような御伽噺のすべてを信じていいものか、最初のころは悩んだように思う。しかし、自分と目的を同じくする彼らと手を組むこと自体は、今のエーデルガルトにとって必要なことだ。

 だが、なまえの行動はその範疇を超えているように思う。
 士官学校の生徒でもないのに士官学校の制服に身を包み、用もないのにエーデルガルトの部屋によく訪れる。前者は「ここで活動していても怪しまれないようにするため」と言われればわからなくもないが、後者に関してはエーデルガルトにとっては理解不能だ。

 いつも彼は「エーデルガルトさんに会いたかった」と言う。理由も必要も、義理すらないにも関わらず、だ。
 自分たちは協力者で、それ以上でもそれ以下でもない。会いたい、などという感情に理解が示せない。

 そんなエーデルガルトの思いをなまえは知らない。知らないからこそ、ただそこでにこにことこちらを見ていられるのだろう。


「……その笑顔は何?」
「いや、別に。追い出さないでいてくれんだなって」
「貴方ね……。今追い出して、誰かに見つかったら事でしょう」
「そりゃそうか」


 ヒューベルトに見つからずとも教師たちに見つかるかもしれない。士官学校の生徒全員の顔を教師たちが覚えているかはわからないが、用心する必要はある。簡単に追い出して、見つかりでもしたら面倒だ。
 ならば人の少ない時間帯に、警戒して出て行ってもらった方がいい。そう判断してのことだというのに、この男はどうしてか好意的にとらえるから困ったものだ。その都度否定するものいい加減に疲れてくる。

 窓の際にいつまでもおられては、その人影が誰かに見つかってしまうかもしれない。エーデルガルトは渋々といった様子で彼を部屋の中に招き入れた。
 皇女の部屋に男を入れるなど、軽率にもほどがある、とエーデルガルトは自嘲気味に笑う。もしもヒューベルトに知られることがあれば説教は間違いないだろう。

 招かれたなまえは慣れた様子で窓を閉じ、それから寝具へと腰かけた。もうこの光景も何回と見てきたものだ。最初のころはもう少し遠慮があったように思うが。
 一応離れた場所に座ってくれるのは配慮なのだろうか。


「学校生活は楽しい? エーデルガルトさん」
「急に何?」
「いや? ただの世間話」


 世間話に持ち出す内容がそれか、と眉を顰める。

 エーデルガルトにとってこの学校生活はごっこ遊びだ。
 無論、師から学ぶものはある。だが、本来の目的は学びではなく大司教の打倒。そのために潜伏しているに過ぎない。

 それをなまえも分かっている。分かっているからこその協力者なのに、なぜそれを問いかける。
 詰ろうとした。が、なまえの目は純粋にその話が聞きたいと語っていて、エーデルガルトは溜息をつく。この目をしている彼は、梃子でも動かない。


「……学ぶことはあるわ。本当に。一年では足りないほどに」
「へえ」
「何よ」
「エーデルガルトさんでも、まだ学び足りないんだ」
「……なまえ、貴方は私をなんだと思っているの?」


 別にエーデルガルトは超人ではない。身体を弄られ、血に二つの紋章を宿すことになっても、エーデルガルトという人物はただの人でしかない。
 けれども、世間はそうは見てくれない。どこへ行こうともついて回る「皇女」の肩書が、エーデルガルトをただの少女ではいさせてくれない。
 だから、なまえもそう感じているのだろう。自分は人間だと、言わねばわからないのだろう──そう思ったから、そんなことを口にしたのに。


「紋章に翻弄される可哀想な女の子」
「──な、」


 当然のように当たり前のように、ごくごく自然に言われたその言葉に、エーデルガルトは言葉を詰まらせた。この男は、今何を。
 普段どおりの調子で、世間話の延長のような軽さで──彼にとっては実際世間話なのだろうが──告げられた言葉が、その軽さに見合わぬ重みを持っている気がして一瞬呑み込めなかった。

 目の前の彼は、笑っている。


「もう一度言ってやろうか、エーデルガルトさん」
「…………」
「紋章に翻弄されている憐れな、ただの少女。自分のための明日を選ぼうと足掻く、弱くて、強くならざるを得なかった華麗で傲慢な、ただの人。違う?」


 違わないわ。
 喉から絞り出した声は少し震えた。そんな風に評されたのは初めてだった。

 憐れ、などと。
 皇女たる自分をそう称する人は初めてで──だからこそ、彼は立場ではなく自分を見ているのだとエーデルガルトは理解して、胸が詰まる。

 彼を見やる。まだ笑っていた。


「俺は、そんなエーデルガルトさんが好ましいけどね」
「……嘘が下手ね、なまえ」
「酷い。本心だって。ただの人じゃなかったら──あっち側の化け物だったら、たとえエーデルガルトさんでも好きじゃなかったさ」


 あちら側の人間な自分を想像して鳥肌が立った。そんな自分を好きになられても困ると苦笑する。そもそも、そんな世界はどこにもないのだが。
 なまえがこちらをじっとみていることに気がついて気恥ずかしくなる。なんとなく咳払いをしてから、彼と視線を合わせた。
 視線が絡んで、一瞬空気が止まる。先に口を開いたのはなまえだった。


「いつか、貴方は俺らをも滅ぼすんだろう?」
「……気がついていたのね」
「まぁな。同胞には言ってないけど」


 当然だ。彼らが行っていることに、見過ごせない事象が混ざっているのは紛れもない事実なのだから。
 共闘関係にあるのは今だけだ。異形の支配から脱したその時は、フォドラを脅かす彼らを滅ぼさないはずがない。


「なぜあなたの同胞には黙っているの?」
「必要ないから」
「必要ない?」
「俺はさ、女神への復讐ももちろん大事だけど」


 なまえが寝具から立ち上がった。こちらに近づくのか、と思ったがそうではないらしい。
 窓に歩み寄り、それを開ける。吹き込んだ風は夜の空気を孕んでいて少し冷たい。

 夜の闇が、彼に手を伸ばすように見えた。


「好いた女が明日を手に入れようと足掻いてるのを邪魔する奴にはなりたくない」
「! 待っ──」
「やーだ、待たない。じゃあなエーデルガルトさん、また明日=v


 一際強い風が吹く。思わず目を閉じ、瞳を守る。
 次に瞳を開いた時、窓の向こう側にあったのは茫漠たる夜だけだった。

 なまえは本当に、彼の同胞に自分の将来的な裏切りの気配を伝えていないのだろうか。
 だとしたら、何故──などという思考は、きっと野暮なのだろう。彼の言葉を信じるのならば。
 なんてことを言い逃げしたんだ。どこにもぶつけられない気持ちを寝具の上にあった枕にぶつけた。

 しばらくして部屋の戸が叩かれる。
 従者が訪れたのを見て、なまえは従者から逃れるために出ていったのだと理解し苦笑した。



恋も明日も手に入れろ!
(好いた女、だなんて)(……自惚れてしまうじゃない)




紅玉髄-Carnelian-
石言葉:勇気、積極性、力強さ


2020.04.04
Title...反転コンタクト