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珊瑚

※グランドフィナーレ後
※夢主=元ミラージュマスター


 海の音がする。漣の音、風の音。そのいずれもがなまえの耳を撫で、しかし彼女の中には響かない。冷たい海水に手を浸し、濯ぐ。水に曝した手を何度もこすり合わせて。
 しかし彼女はそれをやめることが出来ない。消えてくれない幻の感覚に手の先が支配されていて、それを落としたいがためにずっと手を洗っている。
 まるで何かに支配されたかのように、一心不乱という様子で。傍から見れば異常に見えるのだろうな、と自覚はあるものの、手に纏わりついた気持ち悪さが手を止めることを許さない。

 冷たいという感覚もなくなって、痛いという感覚をも通り越して。それでも、『何か』があるという幻だけが脳裏にこびりついている。
 どうして取れてくれないの、と口の中に言葉が溜まる。波が大きくなって足を濡らしたことすら気に留めていない。
 その終わりの無い行動を止めたのは、一つの外的要因だった。


「──おい、なまえ!?」
「ッ!?」


 がし、と強い力で手が引かれる。勢いよく引かれたせいで体が後ろへと傾く。何かに支えられて、しりもちをつくことはなかった。
 数瞬遅れて視界に男性の手が入ってきて、抱きしめられるように支えられていることに気が付く。は、と背後を見上げると、そこで揺れていた緋色は見慣れたもの。自分がマネージメントをしている少年、斗馬だ。
 しまった、と一瞬の思考が過って顔が引き攣る。すぐに自然な表情に戻したが、恐らくは。


「……なんだトウマか。急にびっくりさせないでよ、もう」
「いやぁ悪い悪い……じゃなくて。急じゃねえよ、何回も呼んだって。反応しなかったのはなまえだろ」
「……そう、ごめん」


 気が付かなかったことに苦い顔をする。自分の行動に集中しすぎて彼の声が聞こえなかったのだろう。
 掴まれた手首が少し熱を持つ。結構な力で引かれたことに気が付いたが、きっとそれだけトウマには異様な光景に見えたのだろうと半分諦めて手はそのままにしておいた。きっといずれ気づくだろう。


「あんな風に長く浸してたら、手荒れるぜ。タレントは手も大事にしろって」
「もうタレントじゃないし……いつから見てたの?」
「結構前から……、最初はそれが終わるまで待ってようと思ってたんだけど、終わんねえし」
「……ごめん」


 そんなに前からいたのに、声どころか気配すら感じ取ることが出来なかった。マネージャーとして失格だろう、と少し落ち込んでしまう。無論、マネージャーになって日が浅いのはフォルトナにおける共通認識故、それを責めるものは誰もいない。斗馬や樹らとも年齢は変わらないわけだし、本来ならばまだ働いていなくてもおかしくはないのだから。故に、これはなまえ本人の心の問題だ。
 気落ちしているなまえの姿に気づいたのか、斗馬は少し考えたように目線を泳がせる。


「……いったい何があったんだよ? 明らかにいつもと様子が違う風に見えたっつーか……」
「……やっぱり」


 誤魔化せないよね、と笑顔を取り繕っても当たり前だと当然のように返される。昔に行っていた演技の練習も、現役で俳優として活躍している斗馬相手では通用しないのだろう。
 斗馬に掴まれた手に視線を落とす。長く海水に使っていた手は青白くなっていた。それ以外は何もない。
 何もない。分かっている。それは自明の理だ。それでも、その幻覚は離れてくれない。


「……メディウスを倒したときからずっと、手が気持ち悪くて、汚く思えて……」
「気持ち悪い?」
「手に感覚が残って……、ミラージュを切り倒したときの、感覚」


 ぽつと零した言葉は、誰にも話したことがなかったなまえの悩みだった。

 ミラージュは実体ではない。感触はあっても、自分たちとは違う世界の存在だ。だから切り伏せたミラージュたちは霧散して消えていく。血は噴き出ないし、体内のものが飛び出したりもしない。
 それをなまえは理解していた。理解しているつもりだった。

 だが体はついてきてはくれない。
 全ての元凶たるメディウスを倒し、自分たちのミラージュが元の世界へと帰ったあの日。突如としてそれは訪れた。


「……今までは、私のミラージュがずっと支えていてくれていたから平気だった……んだと思うけど。あの子がいなくなって……一人の時間が増えて。そうしたら……、切り伏せた時のあの衝撃が、感触が……、ずっと、手に残っているような、そんな感じがするふうになって」
「……なまえ。それ、ずっと一人で?」
「うん、普段は……普段は大丈夫なんだよ。手が気持ち悪いって思うことはあったけど、こんなふうにずっと洗ったりはしてなかった」
「じゃあ、今日はなんで」
「ここ、私が私のミラージュに出会った場所で。それでかな、いろいろ考えてたら……」


 止まらなくなって、と付け足した言葉は語尾が弱々しくなっていく。
 情けないという気持ちと、言うつもりなかったのにという自虐と、よりによって自分が支えていかねばならない斗馬という相手にばれてしまったという恥ずかしさで、斗馬の方を見られなくなってしまった。
 静寂しじまが辺りを覆う。聞こえるのは波の音だけだ。
 それから少しして。はあ、と斗馬の息をつく声が聞こえた。


「……トウマ?」
「ん? ……ああいや、悪い。普段はここまでじゃねえって聞いて、ちょっと安心した」
「安心?」
「あ……勿論普段だって大変な思いをしてるのは理解してるぜ? でも、さっきのなまえは……なんというか」


 危うかったから。
 そう零した斗馬はようやくなまえの手首から己の手を離した。じわりと血液が指先に行き渡り、指先の感覚が戻ってくる。ぐーぱーぐーぱーと何度か手を開閉し、動きを確かめる。幸いにもあかぎれ等は怒っていないようだ。
 なまえの手の動きを確認したのち、斗馬はなまえの肩を掴んだ。力の入れ方を見るに、こちらを向け、ということらしい。逆らう必要も特に見当たらないので大人しく斗馬の方を向いた。
 彼は、眉根を下げてなまえを見つめている。


「ヒーローがそんな顔をしてどうするの」
「そんな顔をさせてんのはお前だっつの」
「……それは」


 そんな自覚はなかったが、斗馬が言うのならばそうなのだろう。この男は、人に無意味に責任を負わせたりはしない。
 だからと言ってごめんなさいは何か違う気がして、結果答えをなくしてしまう。何も言うことが出来ずにいると、斗馬が手をなまえの手に重ねて指を絡めた。


「……トウマ?」
「大丈夫、なまえの手は汚れてねえよ」
「…………」


 不安そうになまえの表情が歪む。斗馬が絡めた指に力が入り、なまえの手を握った。
 その手つきはどこか大切なものを手に隠すときのような力の入れ方で、なまえにとっては異質だった。自分がそんな扱いをされるとは到底思えていないのだから。


「お前が汚れてんだったら、俺もイツキも、ツバサちゃんも霧亜さんも……フォルトナのみんながそうなっちまうし」
「そんなことは……」
「わかってる、なまえは別に俺たちが汚れてるって言いたいわけじゃねえんだろ」


 それはそうだけど、と小さくうなずく。握ってくれている斗馬の手が汚れているなどと一瞬たりとも思ったことはない。それどころか、自分の手を握ってくれている彼の手に安堵感すら覚えている。
 きゅ、と力を入れて握り返す。冷え切っていた手は、斗馬の手から体温を分け与えてもらって熱を取り戻していた。


「だから、平気だ。お前だって、汚れてねえよ」
「……私も……」
「まあ、すぐそうやって思うのは難しいと思うからさ。不安になったらまた言ってくれ。その度にこうやって握って、汚くねえって教えてやるから」


 何か愛しいものを見るような目で微笑みかけられる。それはマネージャーに向ける笑顔、というにはあまりにも親密なものだ。
 ざあざあと波の音が遠くに聞こえる。心臓の音が、やけにうるさく聞こえた気がした。



波音、心音、重なって
(ずっとマネージメントしてきたけれど、こんなにも頼もしく見えたことはなかったのに)



珊瑚 -Coral-
石言葉:確実な成長、長寿、幸運


2020.02.11
Title...反転コンタクト