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翠銅鉱

※蒼月



 彼女の目を見た時、俺は彼女の境遇を凡そ察してしまった。それはきっと俺が聡いからとかではなくて、もっと簡単な理由だ。





「……書庫に侵入者?」


 執務室で仕事をしていた俺に、兵士の一人がそんなことを報告してきた。特段驚くような内容ではないが、だからといってよくある事でもないので耳をよく傾ける。

 重要な報告ではあまりないのですが、と前置きされていたため身構えてはいなかったが、侵入者。そこそこ王城の警備はしっかりとしていたはずなのだが、それをすり抜けて侵入してきた。しかもそれが宝物庫ではなく、書庫とはどういうことだろうか。
 書物にも高級なものは多々ある。しかしそれを書庫から探す手間を考えれば、宝物庫を荒らした方が手っ取り早いだろう。尤も、今のこのファーガス神聖王国は戦争を終えた直後で、宝物庫にまともな財宝などないのだが。


「そいつの目的は? 今はどこに……」
「お取り込み中失礼します、国王陛下!」


 今日はなにやら報告が多い。今度はなんだ、急用か。そう思いながら、兵士が入ってきた戸の方を見る。そこにあったのは兵士の姿だけではなくて、見慣れた若緑。
 こんな時期にどうして、とか、言いたいことは沢山あったが、それよりも何よりも先に兵士が口を開いた。


「大司教猊下がお見えになられています」
「せんせ、……失礼。大司教猊下」


 五年前に俺を教え、戦争で共に戦った恩師で戦友が、そこにいた。思わず昔の呼称で呼びかけて、周りの兵士の目があることを思い出して呼び直す。俺が猊下と先生生徒の関係であったことは皆知っているが、やはりこういうプライベートではない空間ではその方が締まりがいいだろう、と思ったからだ。
 と、俺のそんな気も知らずに先生は「久しぶり、ディミトリ」と口を開いた。……まぁ、そちらの方が俺もむず痒くはないし、構わないのだが。

 兵士たちに目を向ける。構わずどうぞ、と目で言われた。いや、構うも何も。
 ……侵入者のことは気になるが、慌てている様子もないので急ぎではないのだろう。そう判断して、俺はかつての師に対して普段通りに接する。


「……久しぶりだな、先生。修道院の復興の方にまで手を回せなくてすまない」
「いや、気にしないでいい。ファーガスの地は寒冷だから、こちらよりも復興を急いで基盤を固めないと大変だろうし、こちらはこちらでなんとかやれているから」
「それならいいんだが……」


 ガルグ=マク大修道院は一度陥落し、その後俺達が拠点として使用していた。使っていた頃に軽く瓦礫の掃除や施設の整備を行っていたとはいえ、その機能が十全に戻ったとは言い難い。
 だから少し気を揉んでいたのだが、流石先生だ。俺が手を回せていない分まで、きちんとやっていてくれている。本当に申し訳ないと同時に、この人の元で学べてよかったとも思う。


「それで先生、今日はなぜファーガスに? 修道院や、学校の方は大丈夫なのか?」
「人手が足りないからね、大丈夫とは言い難いんだが……」
「なら、先生が来なければならなかった理由が?」
「特使を出してもよかったんだけれど。生徒のことだから、自分が顔を出そうかと」
「生徒?」


 再開した士官学校には、少ないながらも再び生徒が学びに来ているという。俺達が学んでいた頃よりも生徒数は少なく、また戦敗国であるアドラステア帝国や解散したレスター諸侯同盟はそれどころではない民も多いが、やはり学びと暮らしの場を提供される士官学校という場は民草にも必要で、その再開は自分たちが想定していたよりも遥かに早かった。
 そんな士官学校の生徒について、と聞いてなんだか不思議な気分になった。当たり前ではあるのだが、先生も俺たちだけの先生ではないのだな、と思うとなんとも言えない心地になる。まぁ、先生は今や大司教だから、本当の意味での先生ではないのだろうが。


「ファーガスの生徒が学校で何かを……?」
「いや……むしろ逆かな」
「逆?」
「うちの生徒が、ここの書庫に侵入したと聞いてね」
「!」
「自分は本来、別件でファーガスに来ていたのだけれど。そう聞いたから、こちらまで足を運んだんだ」


 書庫への侵入者。それはつい先程聞いたフレーズだ。
 最初に俺に報を持ってきた兵士に目を向ける。この兵士もまさか大司教が自ら出向くと思っていなかったのだろう、さすがに焦りの表情を浮かべていた。


「……さっき俺もそれを聞いたところだよ。……その侵入者、今はどこに?」
「はっ……、暫定的に地下牢に繋いでいますが……」
「……だそうだ先生。すまないな、こちらも詳しいことはまだわからず手が回っていなくて」
「仕方ないよ。……案内してもらえるかな、構わない?」
「ああ、俺も行こう」


 本来ならば、国王という立場にある俺がそんなことをするのはきっとお門違いなのだろう。こういう仕事は兵士や騎士に任せろ、と言われるのかもしれない。
 だが、先生……大司教が自ら足を運んだというのならば、きっと話は別だ。俺もそれに並ぶのはおかしくないだろうし、それに何より俺自身が気になった。その侵入者が何を求めて、書庫に侵入したのか。
 机の上に散らかした書類をまとめて片隅に置き、服の形を直す。兵士たちに下がるよう命令した後、先生の隣に立って部屋から出た。





「君が書庫に侵入したという士官学校の生徒か?」


 憲兵を付き添いに置き、牢の中へと声をかける。声が届いて、侵入者の肩が揺れた。
 侵入者はこちらに背を向け座っていた。その後ろ姿は確かに士官学校の制服のもので、懐かしさと同時に息苦しさを少し覚える。肩にかかる髪の毛は、どこか仇敵だった女を想起させる銀色をしていた。
 ゆったりとした動きで、侵入者はこちらを見る。その瞳が俺を映して──。


「……っ、」


 瞬間的に、理解した。……理解、してしまった。
 きっとそれは俺が聡いからとかではなくて、もっと簡単なものだ。


「……どうも、陛下」
「君は……」
「やっぱり君だったか、なまえ=みょうじ」
「あぁ、大司教様も……」


 苦笑を浮かべてこちらを見る女生徒。なまえと呼ばれた彼女の左肩には学級章がある。その色は青色で、青獅子学級所属の生徒──つまり王国出身だということを察した。
 先生が一歩前に出る。心配そうに眉を下げて彼女を見るその顔は、俺とはじめて出会った頃よりも随分と表情豊かだ。……だが、俺の意識はすぐ先生から逸れてその少女へと向けられる。その目があまりにも、他人のものとは思えなかったからだ。


「処分を、言い渡されに来たんですかね……?」
「今この国はそこまで手が回っていないらしいからね、その前にと思って自分が来たんだ」
「侵入した私が言うのもなんですけど、こういうのは後回しにすると罪状とか色々面倒になって処理も大変だと思いますよ」
「本当に君が言うのもなんだな……」


 先生が彼女と問答しているのもあまり頭に入ってこなかった。……それほどに彼女の目が、心臓の奥に突き刺さって抜けない。
 だから、なのだろうか。その問いが自分でも驚くほど自然に口から滑り落ちる。


「何を目的に?」
「何って……、お城の書庫なら何か面白いことがあるかなってー……」
「復讐の道具……情報を、探しに来たように見えるが」
「…………」


 少女はそれまでの力ない笑顔から一転する。
 口元が弧を描く。目が暗い光を灯した。人を責めるような見下すようなその表情は、俺にでも先生にでもなく、他でもない彼女自身に向けられているように見える。

 ……あぁ、やはり同じだ、と彼女を見て思う。
 この少女の目はかつての俺と同じだった。だからだろう、彼女の目が突き刺さって抜けないのは。だからだろう、彼女の目を一目見て彼女がそうだと理解してしまったのは。


「……いつから気づいてたんですか?」
「お前の目を、一目見た時に」


 己を嘲る笑みが心臓の傷口を抉る。今まで隠し続けてた己の残虐性を露顕させた時の表情は、かつての俺自身を見ているようだった。

 そしてだからこそ分かる。この先には何も無い、と。
 俺は俺を導く存在がいたから俺を許すことを教えて貰えた。だが、彼女はどうだろうか。俺を導いた先生は大司教で、あの頃のように生徒一人一人に寄り添い人を導くというのは難しいだろう。出来ないこともないだろうが、それでは先生がオーバーフローしてしまう。

 それは、いけない。それだけはあってはならない。
 先生にこれ以上の労働を課すのも、……このなまえという少女をこのまま進ませてしまうのも。
 だが、だったらどうすれば。悩む俺の横顔を見ながら、先生は口を開いた。


「……ディミトリ」
「? どうした、先生?」
「なまえ、暫くここで預かってはもらえないだろうか。本当は、出来るなら連れて帰るつもりだったけれど……」
「……ぇ」


 なまえも予想していなかっただろう答えに小さく声を漏らした。俺も意味がわからなくて、先生をじっと見る。多分その顔は、驚愕に濡れていたのだろう。
 何を言っているんですか、と牢の中で立ち上がったなまえを横目に、そしてその様子を見てまた驚いている兵を他所に先生は続ける。


「侵入者を何の咎めもなしに士官学校に戻したとすると、自分も……ディミトリもいい噂を立てられない。癒着を疑われる可能性があるからね。戦争の後で不安定な今の時期において、それだけは絶対に避けるべきことだ」
「……それは分かる。だが、何故?」
「手が回っていない、と言っていたから」


 執務は山ほどあるんだろう。そう付け足されて目を瞬かせた。先生が少し笑っている、……これは、多分額面通りの言葉ではない。
 けれど、先生がなんの考えもなしに俺にそんなことを言ったりすることは多分ないのだろう。俺と先生は国王と大司教だが、やはり今でも生徒と先生で、ならばその先にあるのはひとつの教えがあるのかもしれない。
 ならば、と俺は息を吐き出しながら。


「……学級章を見るに王国領出身らしいしな。雑務くらいになるが、いいだろうか」
「ああ、構わないよ。内政を任せるわけにはいかないしね。……ということだ、なまえ=みょうじ。本来の処分よりも随分軽いものになっただろうから、暫く頑張って」
「ちょ……っと大司教様! 何を言って……国王陛下もそれで宜しいので!?」
「……俺は、」


 先生の言葉ももちろんあるが、今のお前から目を離そうとは思わない。
 その言葉を嚥下して、俺は牢の鍵を自ら開く。重い扉の音は、何処と無く彼女の心の冷たさを思わせた。





 なまえ=みょうじはよく働いた。最初の頃は何故こんなことを、と不満を漏らすことがよくあったが、数週もしないうちにその不満はなりを潜めた。
 一応刑罰という扱いなので給金を出すことは出来なかったが、それでも彼女は文句を言わない。衣食住をこちらで提供しているだけで良いと言われたくらいだ。部屋はあるし、食べ物もほかの兵士たちと同じものがある。服は特別華美なものはさすがに無理だが、それでも構わないらしい。
 ただひとつ俺に対し秘密裏に要求してきたのが、書庫の使用だった。それに関しては書庫の掃除を仕事として与えたので、問題もない。

 ……問題は、ない。だが、少し不安に思っていた。
 書庫の使用を求む、ということはつまり復讐を諦める気は無い、ということだろう。彼女が書庫に侵入したのは、元々書庫から復讐のために必要な情報を集めるためだったのだから。
 故に俺は度々、書庫の掃除をしているなまえの元へ行く。復讐を止めるだなんて立派なことは俺にはできないし、してはいけない。だから、ただの雑談をしに。


「……陛下、暇なんですか?」
「手元のこれを見ても暇だと思うか?」
「思わないですけど……」


 無論、俺にも仕事があるので雑談と言っても仕事をしながら話す、ということになってしまう。それでも受け答えをしてくれるのは、その程度には嫌われていない、という事だろうか。それとも、俺の立場ゆえだろうか。
 前者なら嬉しい、と思いながら、俺は今日も口を開く。


「おすすめの本は何かあるか? 気分転換になりそうなものだと有難いんだが」
「……私が読んでいるのは、アガルタのことばかりなので……勧められるようなものは、なにも」
「……アガルタ?」


 聞き慣れない単語を聞き返せば、なまえは露骨にしまった、という顔をした。
 素が出てからの彼女は、表情を隠すのが下手だ。その辺りもあの頃の俺と似ていて、心の奥底に指を突っ込まれた気分になる。普通に振る舞うのはそこそこ出来るくせに、普通でないことがバレてしまうとそう振る舞えなくなる、……本当に、俺の傷のような。


「……言いたくないなら言わなくても構わないが」
「言われなくても言いませんよ」


 下手に踏み入るつもりもないしな。彼女もどうやら踏み込まれたくはないらしいし、きっとこれが正解なのだろう。
 とは言え、彼女が自ら自分の地雷を踏んだことには変わりない。少し重い空気が流れて、これはもう今日の雑談は無理そうだな、と俺が思い始めた頃。


「……私」


 今までよりも小さくなったなまえの声がした。それが少し震えているように聞こえたのは、きっと俺の気の所為ではないのだろう。
 書類に書き込んでいた手を止める。そちらを見れば、その目はやはりかつての俺と同じ、苦しみを宿している。


「ずっと復讐のために生きていました。今でもそれは、変わりません」
「…………」
「でもその反面、私……もうやめたいんです、もう……相手がもういないことも、認めたいのに認められなくて……陛下のせいです」


 俺のせい、と予想だにしない言葉を聞いて聞き返しかけたが、止めた。なんとなく予測はつく、恐らくあの戦争の最中に俺達が殺した相手の中に、彼女の復讐相手がいたのだろう。
 彼女はそれをわかっている。わかっているのにやめられない。そうすることでしか生きてこれなかったから、それをやめることができない。それを俺のせい、と形容するのはきっと適切ではなくて、適切でないことすら彼女は理解しているのだろう。
 ……そんな彼女の気持ちは、痛いほどわかる。どうしてこうも、俺に似ているのか。


「ねぇ陛下、どうしたらいいんですか。どうすれば私は救われるんですか?」


 じくり、と心の奥の傷が痛んだ。その問いかけは。

 なまえの顔を見る。自分の無力さと愚かさを言葉にして自覚してしまった彼女は、ぽろぽろと涙を零していた。
 自分が泣いていることを知らぬままに泣いているのだろう。その姿はまるで、雨の中に手をさしのべられた時の俺のようだ。

 ああ、ならば、俺がかけてやれる言葉なんて、かつて先生から貰った言葉しかないだろう。
 ……先生もきっと、こうなることを見越していたのだろう。俺の傷口と彼女の傷口を重ね合わせて、だからこそ今度はその傷を俺が、と。
 どうか届いてくれ、と思って。俺はかつて貰った言葉を、彼女に手を差し伸べながら、己となまえの傷口に落とした。


「……もう十分、苦しんだだろう?」



傷を舐めろということか。
(自分を許してやればいい)(お前も、俺もな)



翠銅鉱-Dioptase-
石言葉:控えめな愛、自由な生き方、不安感を取り除く、精神の安定


Title...反転コンタクト
2019.09.09
原題:傷を舐めろということか?